汪溢する言葉

 目が覚めた。と言っても、それが朝だとは限らない。という事は誰でも知っているだろうが、人は先を読もうとする性質でも持ち合わせているのか、結構な場合においてその言葉から朝だと想像する。それが悪いわけではなくて、常識というものの存在に強い影響力があるのだな。と認識する要因になるという話なのだが、この回りくどさが気に入らないのか、「言葉が足りていないだけだろう?」と言う彼の言葉の多くも、彼の言葉を借りて言うなら、言葉が足りていないだけだろう。と言い切ってしまえるが、わざわざそれを口にする事はないし態度にも出さないのは、私の方が大人なのだという優越感を得るためでもあるのだが、当然それも彼には教えてやらない。


 彼が、自分の方が私より優れている。と思っている事を私は知っている。

 そんな、自分の方が私より優れている。と思っている彼の事を自分より劣っている。と思っている私がいる事を、当然私は認知しているが、それは別に私が彼を劣っている事を利用して悪事を働こうとしている訳ではなくて、ただそう思っている彼を見る事で優越感にひたっているだけで、私より優れていると思っている彼の前では、私が本当は彼より優れているにも関わらず劣っている振りをし続けている。

 それが嫌だと思った事はない。それどころか優越感で心は際限さいげんなく満たされていく。


 そういう理由ではあるが、彼の事をしっかりいとおしいと感じれる私は人としてなんとか成り立っているものだと思っていた。

 しかし、そうではないらしい。

 彼女は私の優越感というものを瞬時に見破り、そこに分け入ってくるとふてぶてしくも的確に、「考えがひねくれていて不快」といった端的で忌憚きたんのない意見を、のべつまくなしに喋ってみせていた。


「そんな事をわざわざ言う、あなたの方が不快だ」


 私の言葉もまた、彼女が優越感を踏みにじる事で得た優越感を踏みにじる。それは沸き起こる感情の再利用であるのだが、資源の再利用における地球環境の保全とは大きく異なり、再利用するに当たってまず人間関係の保全が行われる事などあり得ないと言える。それは今回においても適切で、やはり彼女は私の言葉を不快に感じたようで気付けばほおに痛みがじんわりと伝わった。そして徐々に自分が感情の再利用などとのたまった事を思い出して、恥ずかしくなる。根本的に私の優越感と彼女の優越感の出所は違うものであるので、これを再利用などと呼ぶ事は間違っていたのだと気付いても、もう遅い。


 人として成熟するには自らを俯瞰ふかん的に、客観的に見る事が必要だという。私は彼に対してそれをある程度実践出来ていると感じている。彼は私を劣っていると判断していて、それを私は知っていながらも彼を不快にさせずにいる事は、分別ふんべつがあると言えるだろうし、それならば私は俯瞰的かつ客観的に自分を見れている事に他ならない。

 人との交流の中で優越感を抱いている事は道徳的には良くないと言われるかもしれないが、それを誰かに露呈ろていするでもなく、ただ内に押し込みふとした瞬間にそれでほくそ笑むだけなのだから、それは誰にも迷惑がかかる事でもないので、まあ許される範囲なのではないかと思っているし、それが間違っているとは到底思わない。

 しかし何故それが彼女には見透かされてしまったのだろうかと私は考える。


 第一の可能性としては、自分が隠せていると思っているだけで、隠しきれていないという事。まずこれはあり得ないが、念のために候補としてあげてみる。隠せていないのなら、他の人間にも止めた方がいいなどと無駄なアドバイスをお節介な人間からされるだろうが、今までにそんな事は一度もなかったのだから、やはり可能性としては除外出来るだろう。


 第二の可能性は、彼女自身が私と同じような思考回路を持ち合わせていて、実際に同じ事をしている、もしくは同じ事をしていた過去があるという事。これは可能性として大いにあり得そうではあるが、それならばわざわざ私の発言を聞いて、私の頰をはたくような真似はしないだろう。これは同じ思考回路という前提があるため、私の思考回路で判断していい問題であるから、やはり可能性としては除外してしかるべきなのだろう。


 第三の可能性は、彼女が彼に好意があるという事。これだと話は早い。彼女が彼に好意があるとするなら、他の誰よりも彼の事を見ている時間が多く、不意に表れる私の、彼に対する態度の節々の異変に気付く可能性は十分にあると言える。それならば私は、好意を持たれている彼の側から離れて、彼女に彼を譲り渡すべきなのかもしれない。

 何故なら私は彼を愛おしいとは思うが、別に愛している訳でもなければ、身体の関係がある訳でもない。ただお互いの関係の中に居場所を見出す事で、そこに存在しようとする一個人の我儘わがままを通すために必要なだけであって、それは私にとっては彼でなくても構わないのだから、それならば彼女に彼の彼女になってもらえばいい。その先に彼女の幸福が待っているとは私は思えないが、幸福を得なかったがために幸福とは何かを知るいい機会を、彼は与えてあげられるのではないかと私は微かに感じる。


 それでは、私は彼と離れてまた新しい彼に変わる彼のような誰かを見付け出さなければならない。

 彼女が言った言葉を借りるなら、《考えが捻くれていて不快》な私を不快とも思わない、私の事を自分より劣っていると認識する彼に変わる、私の事を自分より劣っていると認識している事を認識させて私に優越感を与えてくれる誰かを。

 無駄に考え過ぎたような気がするけれど、今の私には考える事が必要だったんだと思う。ありがとうとは言わないけれど、さようならとは言ってあげる。

「さようなら」

 さようなら。

 彼は、「言葉が足りていない」と怒るが、《さようなら》よりも《ありがとう》という言葉を彼は欲しているのだから、ちゃんとありがとうと言ってくれと彼は言えば良かったのだ。結局のところ、彼自身の言葉が足りていないのだ。

 彼から私は離れる。彼からの優越感は二度と得られない事を、私は私自身を俯瞰的かつ客観的に見る事が出来るので知っている。

 疲れた私は、目を閉じた。と言ってもそれが夜だとは限らない。という事は誰でも知っている。

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