あわせ鏡の戯れ
見ると見る鏡の自分にやあやあと、凄んでみようと至極みじめで、目を瞑りことば置き往きぬふと吐く、鏡の自分にぬふと吐く、跳ね返る息の重みもうすくなり、感じるは鏡の自分、瞑った目一挙に開けば前に立つ、鏡の自分か鏡が自分か。
やあやあと鏡の自分を見ると見る、凄んでいたのが至極こっけい、目を開きことば置き往きしうと吸う、鏡の自分をしうと吸う、生き返る息の重みはあつくなり、震えるは鏡の自分、開いた目
「何見てるの」
鏡に映る自分が嫌いで、それなら鏡を見なければいいという人もいるかもしれない。けれど、鏡じゃなくても姿が映るものというのは世に氾濫していて、反射する自分の姿を見ないでいる事というのは難しく諦める。
それに元々嫌いな顔。それをそのまま人様に見せるなんて出来ないので化粧はする。鏡を見る。そこに映る顔は自分の顔とは左右が逆になっている。もしかすると、この左右が逆になっている顔が、嫌いなだけなのかもしれない。と考えて、もう一つ鏡を用意してみて、そこに鏡に映る自分の顔を映す。鏡に映る自分の顔が映る鏡。そこに映るのは本当の自分。と思っていたのだが、結局それは自分の左右が反転した顔を映した顔であって、それが自分の手からはすでに離れたものであると気付くと、もう私の興味はそこにはなくなり、自分の顔の連続に興味は移る。次第に自分の顔がゲシュタルト崩壊を起こし、自分が何物であるのか分からなくなって、いや、最初から自分が何者であるのかなんて分かっていなかったような気もする。
「はあ」
「へー」
顔に固執するあまり気付いていなかったのだけれど、顔の間には後頭部が映し出されている。後頭部なんて普段見る事はないなと、思いがけない発見はなんだか人類史に自分の存在を刻み付けたようにも思えたが、こんな事もうすでに誰かがやった事なんだと冷静に判断して後頭部から目を逸らす。自分の後頭部はなにやら寂しげな表情をしているように思えたが、後頭部に表情なんてものはないのは知っているのに、どうしてそんなことをかんがえてしまうのだろうかとぼんやりとふたたびかがみをみる。
きれいなひかりを映せばきれいな光。うつくしいくさばなを映せば美しい草花。あたたかいこころを映せば。くらいよるを映せば。どうあるべきかわからないじぶんを映せば。
じぶんのなかの自分の中のじぶんのなか。
鏡に映る化粧を終えた自分を見てにやっと笑ってみるけれど、やはりその顔は自分を不快な気分にさせる。なんだかおかしくなる。鏡の向こうの自分の顔の後頭部のその向こうの自分の顔は今にこにことしている。
そのにこにこした顔はなかなか悪くないじゃないかと思ってしまって、少しだけ嫌いな自分を許してみたりした。
「いってきます」
見ると見る鏡の自分がにやにやと、不快であるのは至極てきとう、目を瞑りことば伴いおいと言う、鏡の自分においと言う、跳ね返る
にやにやと鏡の自分が見ると見る、不快であるのは至極まっとう、目を開きことば伴いおいと言う、鏡の自分においと言う、飛び跳ねる言の重みはそらに舞い、にこにこと鏡の自分、開いた目開いたままで前に立つ、鏡の自分は
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