あかいまあるい

 別になんという事でもないのかもしれないが、「気になった事はメモにして残しておくといいよ」と彼女に言われたので、トートバッグの中から昨日彼女に渡された手の平サイズのメモ帳と書きやすいらしいボールペンを取り出して《あかいまあるい》と書く。

 信号待ちの途中、隣の母子の話の中で子どもが言ったのが《あかいあまるい》だった。

 赤信号?

 そんな事だろうと思いながらも、なぜその言葉が気になったのか意味が分からない。でも信号か、と考え昔を思い出す。


 あれはまだ自分が小学校に通い始めた頃、信号はちゃんと守ってね。といった母の忠告を守らず、車が来ないからと渡った横断歩道で車に轢かれた事があって、僕の記憶では車は来ていなかったと思っていたのに、一緒にいた友達が言うにはしっかり車は来てたしパーっと音が響いていたらしい。

 不思議な事もあるものだと思っていたが不思議に思っていたのは友人も同じで、なぜ自分から車に突っ込んでいったのかと何度も聞かれたがその度に覚えていないと突っぱねていた。


 メモを取り出して以降、頻繁に《あかいまあるい》を聞く事になって僕は驚いた。いつもその言葉を言うのは子ども。《あかいまあるい》は時にトマトで、《あかいまあるい》は時にうさぎの目で、《あかいまあるい》は時に太陽であった。

「これなに?」

 そう言う彼女の気持ちも分からなくは無い。メモ帳の一ページ目に書かれた《あかいまあるい》に続くのは、赤くて丸いものばかりであるのだから、不審に思う彼女の反応は正常なのだろう。かと言ってそれは僕が不審である事の証明にはならない。僕は彼女に言われて気になる事をメモするようになっただけなのだから。

「最近やたらと耳にするんだよ、その言葉を」

 そしてまた《あかいまあるい》と言う言葉が聞こえてくる。僕は言葉のする方を向いた。また子どもだ。子どもの目線のその先にあるのは軒先に飾られた提灯。その提灯はその家だけではなく、先の、その先の家にもぶら下がっている。

「ふーん。そういえば今日はお祭りね」

 彼女が屈託のない笑顔を向けて、僕を見る。

 その顔は子どものようで、彼女も《あかいまあるい》と言い出すのではという考えが頭を過る。

「お祭り行ってみようか」

 僕は彼女に笑顔を向ける。

「わたしも《あかいまあるい》買おうかな」

 彼女は悪戯な笑みで言う。これは見なくてもすぐに分かるくらい安直な答えで、わざわざ彼女に言わせる必要もない事だと僕は思った。

「二人で食べよう」

「一人で一個食べるには大きいものね」

 僕らはお祭りへ向かった。少しずつ辺りは暗くなりつつある。通る車のライトは点けているものもあれば点けていないものもあり、それを見るともなしに見ていると車に轢かれた時の事を思い出した。

 そうだ。あの時僕も《あかいまあるい》を見ていた。あれは車のテールランプで、僕はそれに惹かれ追いかけ後続車に轢かれた。そうか、みんな子どもの頃に《あかいまあるい》を見るのだ。それは人により違って、ある子どもにとっては赤信号、ある子どもにとっては提灯、ある子どもにとっては林檎飴で、ある子どもにとっては車のテールランプであったりする。それを見る事が人間における一つの通過儀礼と言えるのかもしれない。

 お祭りに近付くにつれ空はかなり暗くなってきていて、僕と彼女はただ見ていた。

 その《あかいまあるい》を。

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