第6話 女

『私を見るたびにあの人が弱っていくのを感じていました。あの人が顔を悲しく歪めることに耐えられなかったのです。毒を一滴ずつたらすように、少しずつくるっていくあの人のことを、私は心を震わせながらただただ見ていることしかできませんでした。

 私は自分の傲慢な考えを押し付け、世界で一番優しいあの人のことを、裏切りました』



 雨が上がると、少年を慰めるような淡い虹がかかっていた。

 少年の涙は、いつの間にか止まっていた。

 けれどもそれは心が晴れたからではなく、涙が勝手に止まったのだ。けれど、気を抜くとまた涙が溢れそうになるので、少年はできるだけ心を空っぽにして海を眺めることにした。


 するとそこへ、荷物をたくさん抱えた女が一人、ベンチに座ってきた。

 女は若く、あまり機能的とは言えないような服に身を包み、茶色い髪を肩までたらして、しきりに鏡を見ていた。

 鏡に向かって目を見開いたり、口をすぼめたりしている。

 何をしているのだろうか。

 自分の色とは異なるその髪に、少年は「きっと外国の人なのだろう」と考えた。

 電話が鳴った。

 女がカバンの中から携帯電話を取り出し、耳に押し当てる。

「もしもし。うん、今まだ駅」

 少年は目を見開いた。

 日本語だ。

 もしかしたら日本語が話せる人なのかもしれない。

 電話が終わった女は、また鏡とにらめっこを始めた。今度はいろいろな道具を取り出し、顔をいじっている。

 少年は恐る恐る聞いてみた。


「あなたは一体どこへいくの?」


「……」

 女は何も言わなかった。もしかしたらこちらの声に気づいていないだけかもしれない。

「どこに……行くの?」

 少年はもう一度、少し大きな声で言ってみた。

「……」

 けれど女は答えない。顔をいじるのに夢中になっている。

 少年は、恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じた。

 やっぱり外国人で、僕の言ったことがわからなかったんだと少年は思った。

 駅に、居心地の悪い沈黙が流れる。少年は比較的静かなところの方が好きだが、この静かさは好きにはなれなかった。

 体が小さくなっていく感覚にとらわれ、世界の端で息をしているようだ。


 するとそこへ電車が来た。

 女は無言でそれに乗ると、今までの人と同じように暗いトンネルに吸い込まれていった。

 その人は、少年のことを一度も見ようとはしなかった。

 女が立ち去った後、少年は大きく深呼吸をした。

 やっと息ができたような気がする。

 ふわりと潮の香りがして、ここが駅であったことをやっと思い出した。

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