第3話 弁護士
『聡明になった貴方は、幾つもの苦難をたどるでしょう。その度に胃がねじ切れるような、皮膚が焼けるような痛みに耐え、立ち上がらねばなりません。そうして立ち上がるたびにまた、傷ついてゆくことでしょう。それが生きてゆくということなのかもしれません。けれどあなたは強い人だから、きっとそれができるでしょう』
しばらくすると雨が降ってきて、たちまち海は黒く濁った。
きっと通り雨だろう。空は明るいままだった。
けぶる視界の中、全てが遮断され、リズミカルな雨音だけが駅に響く。
青黒い海に空からたらされた銀の糸が、まるで吸い込まれるように空の上から降りてくる。その糸の一房が駅の屋根に当たり、カラカラと音をたてた。
少年がその音に耳を傾けていると、雨に打たれた男が1人、上着を頭に羽織って、屋根の下に飛び込んできた。
男は「やれやれ」と言いながら、カバンから真っ白なタオルを取り出し、濡れた上着を拭きはじめた。比較的近くにいたのだろう。表面が濡れただけで、幸い上着の内側は何とも無いようだった。
男の上着から水気がなくなっていくにつれ、タオルは冷たい雫を吸いながら、次第にその身をだらんと重くしていった。
大方上着を拭き終わり、タオルで頭をふいている男の方を少年がチラリとみると、胸元に、きらりと光るバッチが見えた。
菊の絵が付いた黄金色のあれは、何を指しているものなのか、少年には皆目見当がつかない。
男と目が合った。
男は少年にニコリと笑いかけると、「急に降ってきて参ったよ」と肩をすくめた。
少年は先ほどと同じ質問を男にしてみた。
「あなたは一体どこに行くんですか?」
男は驚いた顔で少年を見つめ、少し考えると、説得力のある声で口を開いた。
「仕事をしにね。隣の町まで行くのさ」
「仕事って?」
少年が聞くと、その男は困ったような顔をして「子どもにはまだわからないと思うな」と言った。
「分かりやすく言えば、正義の味方になりに行くのさ。〝悪い人〟を懲らしめ、〝良い人〟を守る。そんな仕事だよ」
ニコリと笑った彼は、相変わらず説得力のある声で、「君もルールを守れる〝正しい大人〟になるんだよ」と言うと、次の電車に乗って、先ほどの男と同じように、暗いトンネルに吸い込まれていった。
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