十二番番目の志士(第二部)
十二番番目の志士(第二部)11 暫くすると源介があとかたずけもおわりやした、私はこれでと言うと彦八もあっしもと店を出て行ったのです、旦那と手を引いて二階につれていくと膳の用意がしてあ
十二番番目の志士(第二部)11 暫くすると源介があとかたずけもおわりやした、私はこれでと言うと彦八もあっしもと店を出て行ったのです、旦那と手を引いて二階につれていくと膳の用意がしてあ
十二番番目の志士(第二部)11
暫くすると源介があとかたずけもおわりやした、私はこれでと言うと彦八もあっしもと店を出て行ったのです、旦那と手を引いて二階につれていくと膳の用意がしてあり、
ます、霞が酌をするので飲み干し返杯して、弟はと聞くと明日ここに引越してきます、二階の奥の部屋に住んでもらいます、蒸気船を作るところへ勤める事になり給金も、
月に2円貰えるそうです、
英語が出来るのでまず始めに外国の技術書翻訳する仕事だそうで、一生懸命覚えて早く蒸気船を作りたいと言っていましたと嬉そうです、彦八さんがこの建屋の権利書を、
渡しましたがいいのですかと霞が聞くので何かあった時は売れるだろう、いい人が出来たら嫁にいけばいいよと言うと、いまさら嫁にはいきませんよと言うので、霞の好、
にすればいいよと言うと、
唇を重ねて来たので抱きしめるて帯を解き乳房を吸うと声を出して新之助の一物をもんだのです、一物が硬くなると馬乗りになり敏感な部分に一物を入れ激しく動かした、
すので、暫くすると我慢出来ずにう~と低い声を出し放出してしまったのです、霞は胸に顔をうずめ嬉しいこれからはう~んと可愛がってくださいねと指を絡めたのです、
暫くすると霞が起き上がりみずくろいをして酌をして、奥方様には決して迷惑はかけません、時々は店に顔をだしてくださいと言うので、わかったと返事して、杯を飲み、
干し返杯したのです、それではそろそろ帰るよと言うと、わかりましたと言って入口まで見送ったのです、家に帰るとマリアが随分遅かったですねと言うので、佐々木達、
と一杯飲んでいたんだよと話すと、
川路さんがお見えになって待っていらしたのですと言うので、居間に行くと夜分押しかけてすみませんと言うので、いやどうしたのと聞き酌をすると飲み干して、今日伊藤、
さんが刺客に襲われましてというので、それでケガはと聞くと左手にケガをしたそうですが、たいした事はありません、犯人のめぼしはと聞くと残っていたゲタから土佐の、
士族みたいなんですと言うので、
そうか今回板垣さんが下野した事と、土佐だけは暴発していないので不平武士の不満がそのまま温存されているわけだと話すと、どうすればと言うので、都内にいる土佐、
出身の士族を全て調べ上げてマークするのだよ、そうすれば自分達がマークされていると知れば過激な行動は控えるだろう、犯人が分かれば新聞を使って指名手配するの、
だ、
板垣さんに一枚かんでもらおうと話すと、どげんすっとごわすかと聞くので、暗殺は自由民権運動を妨害するものであり、自由民権とは暴力ではなく議論で国政を決める、
思想だとぶち上げてもらうのさといい、あした板垣さんに会って頼んでくるというと、分かりました明日から土佐人をマークしますといい帰っていったのです、
マリアが旦那様も気をつけてくださいと言うので、ああ十分気をつけるよと言うと、今風呂を立てましたお湯が沸きましたので入って来てくださいというので湯殿に行き、
サツパリして上がって来るとビールを出したのでコップを飲み干して、美味いと言ったのです、どうしてみんなはわかってくれないのですかねと言うので、武士の世では、
なくなり、
なんの腕もないものが職がなく、食うのも困っているのですぐ暴力の道に走ろうとするのさと言うと、マリアが官営の職業を訓練する学校を作ればどうですか、オランダ、
では授業料はタダにしており、卒業すると働く場所も紹介するんですよと言うので、なるほどそれはいい、そうすれば少しは士族の不満も和らぐだろうと言うと、旦那様、
の役に立てて嬉しいというのでマリアに酌をしたのです、
マリアが明日から一周間ほど福岡の博多商会に行ってきます、留守を宜しくお願いします、お妙さんに新一の事は頼みましたと言うので、分かった仕事だけでなく色々楽し、
んできなさいと言ったのです、翌日マリアは出かけて行き、新之助は板垣に会って、伊藤が土佐の士族に襲われた事を話し、新聞の論説の事を話すとわかりました、
原稿を書いて新聞に載せてもらいましょうといったのです、それが出ると逆恨みをして板垣さんが狙われるかもしれないので気をつけてくださいと言うと、大丈夫ですよ、
と笑ったのです、翌日の新聞には自由民権論の論説がでたのです、自由民権とは議会を開き広く国民の意見を聞き論議して国政を行う事であり、暗殺などという暴力に、
訴えてはいけない、
そのような行動を起こす者は民主主の敵でありとうてい許す事はできないと、一面に論説して暴力を糾弾したのです、土佐の士族には激高する者もいたのですが、警察が、
マークしている為過激な行動は取れなかったのです、しかし、日比谷公園で板垣が自由民権運動街頭演説をやっている時に刺客に襲われたのです、回りの者が取り押さえ、
たので板垣は無事だったのてすが、
その時演説で板垣死すとも自由は死なずと言う名文句をいい、新聞に大きく取り上げられ暴力に対する非難が沸騰したのです、この為都内にいた不平士族は国に帰り東京、
の治安は良くなったのです、激動の明治10年は暮れて11年になり平穏なうちに時が過ぎて春になり新緑豊かな皐月晴れの日に大久保は太政官に出仕する為に馬車に乗り込、
み走っていると、
家を出てすぐの紀尾井坂まで来ると5人の男が馬車を遮り仕込み杖を抜いて襲いかかったのです、大久保は馬車から引きずり降ろされ一斉に切りつけられたのです、大久保、
が何をすっとか、おいどんにはまだやらなならんことあっとじやと言う声もむなしく、数箇所を切られてその場に倒れたのです、刺客はもういいだろうと一斉に走り去った、
のです、
羅卒が駆けつけた時は大久保はすでに息を引き取った後であり、知らせを聞いた西郷従道が現場に着き遺体を抱き起こして馬車に乗せ自宅に連れ帰ったのです、明治11年5月、
ついに大久保も刺客に倒れ、これで、西郷、木戸、大久保と明治を作った維新三傑がこの世からいなくなったのです、この知らせを太政官に出仕していた新之助は聞き、急ぎ、
大久保の自宅に駆けつけると、
遺体が寝かせてあり焼香を済ませて奥方に悔やみを言うと、凜として、いま頃は西郷さんと会っているでしょう、大久保はいつも自分だけが生き残って申し訳なかと言うてい、
ました、これでゆつくり休める事ですといい、後は新之助さんお頼みしますと頭を下げたのです、なんともいえない怒りがこみ上げたのです、葬式の段取りを従道に頼み、
警視庁に向かったのです、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます