第20話「根底のロマネコンティ」

 ニオイ情報のインプットはこれくらいにして、アウトプットに移りますよ。ええ、脳からの出力側。

もちろんありますよ。さっきの「○○の味だ!」って認識するのは脳からにおいの記憶を引き出して照会しているからできるのですから。アウトプットできなかったら学習能力のない人間になってしまいます。最近時々目にしますけど。

 『ニオイに関する記憶』というのも結構バカにできませんよ。だってアルツハイマーでほとんど話しもできなくなった患者さんに『ぬかみそ』のにおいを嗅がせてみたら、子供の頃に住んでいた家のことを思い出して少しずつ症状が改善したってことがあるくらいですから。

 だから嗅いだことのあるニオイは、将来何かを引き出すときの鍵にもなるってことですね。最近何かのアンケートで『五感のうちでなくなっても良いと思う物』を上げてもらったら、圧倒的に嗅覚がなくなっても良いって回答だったそうです。

 若い人間だけじゃなくて、結構な年の人でも嗅覚やニオイの重要性を知らないことが多いですね。現場に出た時に「私は鼻が全然利きませんから」と言う人が多いんですけど、『嗅覚脱失』といって病気なんかで完全に機能しなくなっちゃったら別ですけど、それは鼻が利かないのではなくて「注意深く嗅いでいない」だけです。

 においの正しい嗅ぎ方を知って、いろいろ嗅いで頭の中の『ニオイライブラリ』を増やしていけば良いだけのことです。


 正しい嗅ぎ方? 簡単です。ワインのテイスティングと一緒ですよ。あれは、グラスで色を観て、回して内側にできる雫の具合でアルコール度数観て。それからグラスの中に鼻を入れるぐらいにして、ゆっくり香りを吸い込みます。

 あれ、音がするほど強く息を吸いませんよね。音がするほど強く息を吸ってしまいますとね、高速の空気圧で触圧覚刺激が発生してかえってニオイが分からなくなります。普通の呼吸で嗅ぐのが良い。

 そんな高級ワインには縁がない? 高くなくて良いですから、1本千円くらいのでも月に2回くらい味わって飲むと良いですよ。舌と嗅覚がワインを覚えて、何かの機会で良いワインを飲んだときに「これは良い!」って感じるベースができますから。

 まるっきりワインを口にしたことがないのに、いきなりロマネコンティなんか出されたところで「酸っぱい・渋い」くらいしか感じられません。ワインの味や香りを分析評価するデータベースが脳の中にできていないから。それでデータの照会ができなくて、情報の評価もアウトプットもできない。

 千円くらい……最近は六百円くらいのでもそこそこ飲めるのがありますから、キャンティだとあまり外れがないみたいですよ。何でも良いからとにかく飲んで、値段に関係なく自分好みの銘柄を見つけるところから始める。

 そうすると『この値段でこの味』って自己流の判断基準ができるでしょ? 他人の判断基準に合わせる必要なんてないんだから。世の中が吉野屋ベストって言ってても、松屋が好みならそれでいいってこと。ランプ亭戻って来てくれませんかね?

 判断基準が決まれば、味の善し悪し……これも好みですけど味によるコストパフォーマンス判断もできる。二千五百円のを飲んで「あ、やっぱ値段だけのことあるわ……」とも「何だ、こんな程度か」と判断できる。

まず自己流判断基準を持つことが重要。それにはやっぱり経験による脳内データベースなのですよ。

 ニオイの記憶ライブラリに関してね、以前に調査で伺ったお宅ですけど。娘さんがまだ小さいから、お母さんが神経質になっちゃって。やっぱりニオイのことをいろいろ気にするのですね。

 通販で光触媒の脱臭機を買って、それが結構利くっておっしゃるのですよ。でもそしたら今度は「こんなにニオイを消しちゃってもいいのかしら?」と疑問に思い始めたそうで、別の件でしたけど調べに来た私に質問したのですよ。「カレーなんかを作っていても、すぐにニオイが消えてしまうのですけど。この状態は良いことなのでしょうか?」と。

 それで私は、さっき話したアルツハイマー患者さんの件を話して、「良いニオイも悪いニオイも、できるだけたくさん経験させておいたほうが良い」と言っておきました。

 それに、そこでは言いませんでしたけど。吸着ではなくて分解型の脱臭装置の場合、ニオイを分解してできる副次生成物にどんな物がでてくるのか解らないところが危ない。

 まあ大半はNOx(窒素酸化物)みたいなものでしょうけど、特に効果が高いものほど副次生成物がたくさんできますからね、換気の悪い家庭内で使用するのはちょっと心配があります。空気清浄機で、オゾンが出てくるタイプと同じですね。


 え~と。あら、バーボンが空になってしまった……そんな大酒飲みじゃありませんけどね、いろいろ飲みますよ。ワインも日本酒ビールも焼酎も。

 このバーボンも、昔は薬でしたからね。開拓時代のアメリカじゃ、リンゴ酒が飲料でバーボンは消毒や鎮痛剤の代わりに使われたとか効きました。焼酎も似たような使われ方ですね。日本酒は飲料でしたけど焼酎は消毒とかマッサージ用に使われる方が多かったようです。アルコール度数の高い物は、やはり消毒とか溶媒として重宝されたのでしょうね。

 まあ元が本当に薬だったのはジンですね。あれは蒸留酒にジェニパーベリーのエキスを溶かしだした解熱薬でした。それにハーブ酒のノイリーやチンザノを混ぜたのがマティーニ、薬の薬割りですね。

 でもいいですか。マティーニの話しをするときは声を潜めて、誰かに聞かれないようにするんですよ。だってアメリカじゃ、100人いたら100通りのマティーニの処方があって、さらに皆「自分のが絶対正しい」って譲らないそうですから。


 つづく

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