第30話

「ちょっ、ちょっと! 四葉さん! 四葉さんってば!」

「うるさいなぁ。おっきい声で叫ばないでよ。耳、千切れちゃうんだけど」


 弐宮の手を引いていたが、この辺で良いか。

 なるだけヒト気のないところまで弐宮を引っ張り、壁に押し付ける。


「か、壁ドン……しかも、女の子に。初めてされたよ」

「相変わらず、気色の悪いことを平然と言うね。弐宮……あんた。中身、おじさんなんじゃないの?」


 弐宮の股の間に脚を入れ、身動きできない状態にしてやる。膝をもう少し上げられたら、緊張している弐宮のアレをこつん、ってして挑発できるのに。

 わざと顔を近付け、唇がくっついちゃうような距離まで迫ってみる。分かりやすく挙動不審になる様子がいちいち面白い。草食系って言うの? ホントに居るんだ。


「ち、近いってば……キスの練習ならもうやめてね? 僕、彼女ができたんだ」

「なつでしょ、知ってる。昨日、仲直りするって言っていたもんね」


 可愛い可愛い女の子に迫られているというのに、昨日の今日でやけに冷静な弐宮に苛立ちを覚える。達観しているんじゃないよ。弐宮のくせに。

 ほとんど嫌がらせのつもりで、耳に息を掛けてあげる。


「ふう……っ」

「……っ!? 四葉さん、なんのつもり? こんなことをしても、誰のためにもならないよ。四葉さんだってこんなところ……賢一に見られたくないでしょ?」


 イラッ。

 なんなの、こいつ。弐宮のくせに。

 ――でも、弐宮の云う通りだった。

 何かのボタンの掛け違いで、賢一くんがこんな辺鄙なところに来ないとも限らない。誰も居ないはずの教室に弐宮を連れ込んだのに、蛍となつに練習現場を見られてしまったのを思い出す。


「……はぁ。ちょっとした冗談も躱せないなんて。弐宮が宗教勧誘のセクシーウーマンに騙される未来が見えるわ。お気の毒に……!」

「あはは……忠告ありがとう」


 明らかな嫌味に対しても、好青年さながらの爽やかスマイルで応じてくる。

 なんなの、こいつ。マジで。手が出てしまうかと思ったが、欠片ほどの理性でグッとこらえる。暴力で支配したところで、問題の解決にはならない。

 ――それに。


「ねえ、弐宮。昨日のことだけど……キスの練習云々のことは忘れてもらえる? 私、賢一くんと初めていっぱい喋ったせいで、舞い上がっちゃっていたの」


 弐宮は口を開かず、黙ったまま頷いた。

 そのまま続ける。


「あんたを練習台にしたのは悪かったわ。あまりにも自分本位で動き過ぎた。そのせいで、いろんなヒトを傷つけちゃった。あんたと、なつ……そして、賢一くんも」


 視界が揺らぐ。うるおった目蓋が熱を帯びる。

 そんな筋合いもないのに、被害者意識のお高いこと。

 自分で、自分が、嫌になる。


「私、とんでもないことしちゃった。なつになんて謝れば……」


 なつになんて謝ればいいの?

 言葉の途中で不意に、目の前が真っ暗になる。

 目を閉じた訳じゃない。そんなの明白だ。じゃあ、なんで?


「……ごめん。四葉さん、気持ち悪いよね?」

「え……?」


 頭の後ろで弐宮の声がする。そんなはずないのに。

 見上げると、ずいぶんと弐宮が接近していた。それだけじゃなく、私を包み込むように抱きしめていた。

 ――気持ち悪い。

 不思議とそんな感覚はなかった。

 温かくって、心地よい。


「あはは……なんというか、その。四葉さんが捨てられた子犬みたいに見えちゃって。つい……」

「ヒトをペットみたいに扱って……ヘンタイ」

「ごめん。どうしようもなく、僕は。誰かの涙を見たくないみたいだ。偽善に聞こえたら、ごめん」


 内心でため息を吐く。

 私の負けだ。こいつには敵わない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る