第20話

「あれ、なつ? ……居ないし。待っててって云ったのに」


 ヒトが自販機の釣り銭切れに四苦八苦しているあいだに愛想を尽かしたのか、炭酸系の清涼飲料水を2つ手に入れたところで、気が付けば姿を消していた。

 いちおうスマホでメッセージを飛ばしておいたけど、機械音痴のなつのことだ――僕の心配は泡沫に帰すことだろう。なんのための携帯電話なんだか。

 

「だいたい、授業サボるって言い出したのはなつからじゃないか。なのに、僕を置いてどこほっつき歩いているんだよ。変なことに巻き込まれても知らないからな」

「なつなら、もう帰ったわよ」

「うわっ、ご、五反田さん!? いま、どっから出てきたの?」


 五反田さんのあまりにも唐突な登場に、喉奥から飛び出してきそうだった心臓を寸でのところでなんとか体内へと格納し、瞬時に澄ました顔を繕い、平然を装う。


「どこって、保健室からだけれど。ほら、あたしって、いちおう腹痛ってことで教室を抜け出してきているから」

「なつが帰ったってどういうこと? カバンとかは?」

「さあ? 取りに戻ったんじゃない? 幸い、授業が1つ終わったところみたいだし。蛍―—じゃなかった、二取くんがバキバキの体調不良だったからその付き添いで帰ったみたいよ」

「ああ、そっか。なつって保健委員だったっけ。それも小中高連続で」


 なつの世話焼きはいまもなお健在のようだ。小学校の時の、保健委員になりたての頃なんか特にひどかったもんな。僕を練習台にするんだもん。

 怪我すらしていない僕に、絆創膏をペタペタ貼ったり、体温計を何度も無理やり脇に挟まれたりした。消毒液をぶっかけられたこともあった気がする。いまとなっては面白い思い出だけど、あの頃はホントに迷惑だったな……ははは。


「弐宮くんはこれから教室に戻るのかしら?」

「ああ、うん。なつが帰ったんじゃ、別に授業をさぼる理由なんかないしね」

「ねえ。よかったら一緒に図書室に行かない? おすすめの本があるの」

「五反田さんはサボり継続なの? 五反田さんおすすめの本かぁ……うーん」


 これ以上ここで立ち往生していたら、先生にバレて怒られるかもしれない……でも正直、バレるかバレないかの瀬戸際がスリリングで楽しくなってきた。

 不安な気持ちを押しつぶすための虚構かもしれないが、僕自身そのスリルにひりついているのは事実だ。いまなら全裸で側転をしてもバレないかも、とかそういう稚拙な空想ばかりが頭をよぎる。まあ、フツーにしないけど。


「無理強いはしないわ。弐宮くん、マジメな人だからサボりたくないのならあたしも教室に戻るし」

「うん、ごめんね。せっかくのお誘いだけど、あんまり授業に参加しないのも僕らの世間体が悪くなっちゃうかな~って」

「1回サボったら、2回サボるのも3回サボるのも同じだと思うけれどね。まあ、いいわ。今回は弐宮くんのマジメルールに従ってあげる」


 ありがとう、とだけお礼を言って、教室へと歩を進める。……この場合の、ありがとうってなんだ? 自分で発しておいてなんだけど、よくわからない答えだった。

 五反田さんを非行に走らせないで、か? それなら、いちおう整合性は取れる。

 休み時間なのにひときわ静かな廊下を歩きながら、後ろからついてくる五反田さんに話しかける。


「ところで、五反田さんが僕に勧めたかった本って何だったの?」

「弐宮くんって、ひょっとしてクイズの問題文を度外視して、答えだけ知りたいタイプ? あたしの提案を揉み消しておいて、烏滸がましいとは思わないのかしら?」

「厚顔無恥なのは自覚しているよ。でもその図書室でおサボりする世界線には至っていないから、どうしても気になっちゃって。せめて、どんな本かだけは教えてよ。あとで個人的に読んでみたいんだ」

「そんな、お楽しみにされても困るわっ。話のタネ程度に聞いてくれさえすれば、それで良かったんだから」


 五反田さんと話しているうちに、制服のポケットが震えるのを感じた。

 何気なくスマホを取り出すと、画面にはなつからの新着メッセージの通知がバナー表示されていた。


「あら。なつから?」

「ちょっと……! 五反田さん、スマホの覗き見は良くないよ。ヒトのプライバシーを勝手に!」

「えぇ? 良いじゃない、別に。マッチングアプリの通知じゃないんだから。幼なじみの女の子とのやりとりを見られて、死にたくなる?」

「そういう訳じゃないけどさ。でも、僕にもパーソナルスペースっていうものがあって!」

「ごめんなさい。なに、弐宮くんの腋でも舐めれば許してくれるの?」


 なんでそうなるんだ。もういいよ……見られたものは返ってこない。それに、大した内容じゃなかったし。


「冗談はさておき。なつからのそのメッセージなら、あたしにも来たわよ。たぶん、壱河くんにも届いたんじゃないかしら」

「賢一にも?」

「だって、あたしたちの班で学校に残っているといえば、その3人しか居ないもの」

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