第17*話

 ――キスをした。

 好きなヒトと……だったら最善だったけど、違う。初めての口付けは練習のようなものだった。相手の唇にただ自分のを重ねるだけの、ひたすらに不器用なキス。

 淡々と行われたそれはあんまり実感がなくって、余韻に浸る時間さえ惜しかった。


「よ、よつばさん……?」

「……シちゃった、キス。これが、キス、なんだ……?」


 不意打ち気味のキスはなんだか優しくなくって、つまんなかった。都合の良い温もりみたいで、むしろ気持ち悪かった。少女マンガでの憧れは、とたん、無に変わる。こんなのに何年も何年もときめいていた自分が恥ずかしくなった。

 なにより、初キスはレモンのような味だ――と、どこかで聞いたことがある。いざシてみるとそんなことはまったくなく、誰かに裏切られた気がした。

 期待外れな現実。せっかく勇気を出して試してみたのに。

 心のなかだけでため息を吐く。私がしたかったのはこんなことだったのだろうか。



「……え、なつ? あっ、やば……」


 諦めた風に視線を外すと、教室のドアが不自然に少し開いているのが見えて、その隙間から、なつがこちらの様子を覗いていたのに気付いた。

 私からすれば、弐宮とのキスは賢一君とのお付き合いを想定したデモンストレーションに過ぎなかったが、彼女からすればどうだろう。ひどい裏切りに思えるかもしれない。

 弐宮もなつの存在に気づいたらしく、狼狽えていた。自分たちはとんでもない過ちを犯してしまったんじゃないか? ――そう考えているように見える。


「どうして、なつが……?」

「きっと、僕を探していたんだ。なつと喧嘩をしていたから」

「喧嘩って、昨日のバスの? っていうか、まだ仲直りしていなかったの?」

「僕もなつも頑固だからね。どちらかが折れないと、永遠に終わらないんだ」


 確かに。どっちも自分の意見を絶対に曲げないタイプだ。けっきょく私が強引にキスの練習をするまで弐宮は、「キスは好きなヒトとするもの」とかいう、5世紀くらい前の恋愛観を述べていたし。

 ――まあ、でも。いま思えば弐宮の言う通りだったのかもしれない。無気力に苛まれるくらいなら、レモン味の幻想に囚われていたほうが、状況は良かった。

 だが、シてしまったものは仕方ない。時間は元には戻らないし、なつも帰ってこない。友だちと幼なじみの最悪な光景を目の当たりにしたのだから当然だ。

 私なら賢一君となつのそれを目撃したら、2ヶ月は引き籠る自信がある。ショックのあまり食べものが喉を通らないし、健康的だった睡眠時間も大幅に減るだろう。


 なつのことは気掛かりだけど、私が追いかけても仕方ない、よね。

 彼女との関係が抉れたのは必至――だったら、もう一回試してみてもいいかな。ちょっとよく分からなかったから。今度は舌でも入れてみようか。深いキスなら?

 ――なんて考えていた矢先、教室のドアが弐宮によって開けられようとしていた。


「ちょ――ちょっと、私を置いてどこに行くつもりなの?」

「どこって、なつを追いかけるんだよ。まだ仲直りをしていないからね」


 そう言い放つと、弐宮は勢いよく教室を飛び出していった。なに、あいつ。青春してる。廊下は走ったらダメって言われずに育ったのかな。

 などと、内心で悪態をつく前に、


「……おっと。急に飛び出すと危ないよ。これが道路だったら、きみは即死だ」

「ご、ごめん。二取くん、怪我はない?」

「珍しいね。ボクの名前を覚えているクラスメイトが居るとは。三沢なつと五反田ゆきには苦虫を嚙み潰した気分にさせられたけど、それもまた僥倖だよね」


 ちょうど弐宮の斜線上に蛍が重なり、急ブレーキを掛けさせた。危ない危ない。蛍とぶつかるなんてことがあったら、彼女の正体がバレてしまう。私もちゃんと名字で呼ばないと。

 フォローをするという名目でドアに近づき、顔を覗かせ、蛍に声を掛ける。


「あ、二取じゃん。ええと、さっきは話を聞いてくれて、ありがと」

「どういたしまして。これでも同じ中学のよしみだからね」

「おかげでちょっと分かった気がしたよ。私に必要なものが」

「そう? なら良かった。四葉かなたの幸せが、まんまボクの幸せだからね」

「あはは、なにそれ。匂わせているみたいで、なんかあれだね。ヤバいね」

「わざとだよ。これくらいの冗談を言い合える仲だと思ったから、ついね」


 蛍もいつも通りって気がして、安心した。ところで、蛍は昨日の遠足は楽しめたのだろうか。なんか、あんまり楽しそうじゃない雰囲気を感じたから。

 私も私で不可抗力的にお化け屋敷の床を濡らしちゃったり、いろいろと大変だったから分からないけど。

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