第31話

「……ふう。どこかの誰かが言っていたけれど、ファーストキスはスイートレモンの味がするだとか。実際にシてみたら、まったくそんなことはなかったわね」


「あはは……でも、美味しかったでしょ?」


「改めてちゃんと断っておくけれど……あんまり美味しくはなかったわ。美少女の吐いたものとて、特殊なバイアスが掛かることはなかった――ということね」


「美少女ってそんな……ゆきに言われると、照れちゃうよ。ワタシは美味しかったよ。ゆきの味。スイートレモンってほどじゃないけど、甘く感じた」


 ゆきの味が甘かったのはたぶん、脳内麻薬が大量に分泌されたからだと思う。なんだっけ、イルカっぽい名前だったはず。ドルフィン……忘れた。どうでもいっか。


「ま。美少女なのはお互いさまってことで。謙遜しなくてもいいわよ、ほたる。なんてったって、あなたはあたしの初恋相手だもの。自信をもって!」


「えっ、そうなの……? てっきり、弐宮が好きなんだとばかり」


「弐宮くん……? どうして彼が出てくるの。確かに彼は男子で唯一の友だちだけれど、そういう関係になりたいと思ったことは……。魔が差したことはあるけれど」


 そうして、ゆきは遠い目をした。魔が差したことについては追及するのはやめよう。またワタシの勘違いか何かで関係が抉れそうだから。ゆきを信じよう、うん。


 だって、ゆきは普段の澄まし顔で、ファーストキスだって言ってくれた。ワタシもそうだもん。季節を何度も跨いだ末のハッピーエンドを迎えられて、素直に嬉しい。


「そういえば、かなたから聞いたよ。第一志望、蹴ったんでしょ。そこまでワタシのことを気にしてくれていたんだって。聞いたとき、ちょっと泣いちゃった」


「かなたのバカ……蛍には内緒だって言ったのに。あの子、あたしたちの中継役に向いていないんじゃないの。意思疎通が上手くいっていなかった節があるし」


「ううん、そんなことないよ。かなたはじゅうぶん、やってくれたよ」


 かなたはヒトの前では必ず、ワタシを新しい名字で呼んでくれていたし、中継役として適切な距離を取ってくれていた。かなたにはずいぶんと無理をさせてしまった。


 ワタシがほたるとして関わることはなかったが、彼女はちゃんとワタシをけいとして認識してくれていた。そんなこと、並大抵の努力がないとできない。


「だから、かなたには感謝だよ。かなたのおかげで、ゆきと結ばれたんだから」


「それもそうね……うん。教室に帰ったら、おしるこでも奢……」


「……どうしたの、ゆき?」


 なにか思い出したかのように、急に言葉を止めたゆき。口は「ご」の発音をしたまま、微動だにしない。首を傾げてゆきのほうを見るやいなや、とたん動き出す。


「忘れていたことがあったわ。……蛍。あなた、なつにひどいことしたわよね?」


「えっ? ……あー、うん。ひどいことと言われると、その類に入るかもしれない」


「なつだけじゃなくて、弐宮くんにもひどいことした?」


「え。えっとぉ……そのぉ……うーん? アンマリキオクニナイナー」


 あれ。おかしいなあ。さっきまであんなに幸せムードだったじゃん。気持ちが報われてハッピーエンドまで目前ってところで、こんなことあるの? 嘘でしょ?


 あんなにやさしかったゆきの顔が、いまはもはや直視できない。笑顔なのは分かっているんだけど、闇に浸食されて怖い感じになっているんだけど……?


「ゆき……? ワタシとのハッピーエンド、迎えたくないの?」


「蛍。。なつも弐宮くんも、あたしの友だちなの。ふたりに謝って許してもらえるまで、ハッピーエンドはお預けだから。分かった?」


「……分かりましたっ。即座に謝ってきます!」


 うう。ゆきのあんな顔……初めて見た。般若とひょっとこと骸骨が重なり合ってもまだ足りないってくらい、怖かった。おしっこちびりそうな恐怖を帯びていた。


 犬みたいに駆け出す。情けない姿だ。でも、しょうがない。ワタシの心はとうに奪われてしまった。――だって、ワタシもゆきのそういう顔は見たくないもん。

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