第18話
「それに、あの時計……しょっちゅう、あのヒトに盗まれるのよ。雰囲気のあるアクセサリがないって。成人しているんだから、妹のもの奪わないで買えばいいのに」
あのとき、ボクが見たユキはユキじゃなかった。そんなことがあるのか?
背筋が冷気を帯びてくる。全身の血の気が引いていくのが分かる。ボクが裏切られていたと思っていた少女は赤の他人だった。――なのにボクはユキを傷つけた。
勘違いしたまま傷つけ続けた。それがユキに対する断罪だと思ったから。ワタシを慰めるための唯一の方法だったから。――でもそれは正しいことではなかった。
「ほんと、迷惑しちゃうわよね。ヒトの大切なものを事後報告で返しに来るんだからっ! あれにはあたしだけの青春が……いえ、なんでもないわ。とにかく、うちの姉は廿六木さんにぞっこんなのよ。たぶん蛍くんはそれを目撃したんだと思うわ」
「あ、ああ……そう、なのかもね」
どうしよう。ユキに与える言葉が見つからない。手のひらが汗ばんできたし、おなかも痛くなってきた。いますぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。
ボクはなんてことをしてしまったんだ。断罪されるべきはボクのほうだ。ユキを苦しめていたのはボクだ。ボクが居ないほうがユキは幸せなんだ、きっと。
「――っていうか、そのペンダント。まだ持っていてくれたのね。ありがとう」
「いや、これは……」
きみへの憎悪を忘れないために。恣意的に裏返した気持ちを殺さないために。ボクがボクで居たいがために持っていただけだ。これがユキを笑顔にする資格はない。
「そっちこそ、その懐中時計。まだ持っていたんだね。壊れたのかと思ったよ」
「相変わらず逆に針が進むけれど、お守りであることに変わりはないわ。あなたとの思い出もここにある。辛かったときはこの写真があたしを救ってくれたの」
――ああ、ユキはどこまでも真っすぐなんだ。だからこそ、ボクは自分の情けなさを深く自覚してしまう。ボクは醜い。愚かだ。どうしようもなく、自分本位だ。
そんなちっぽけな自分とは裏腹に、空は青く澄み切っていた。雲ひとつない、綺麗な水色が広がっていて、いっそうボクの罪を際立たせている気がして、嫌だった。
「ねえ、蛍くん。どこに行くの? このまま放課後までサボっちゃいましょうよ?」
「……やっぱりボクはきみの近くに居るべきじゃないんだよ。きみを自分の都合で傷つけてしまったし、悲しませてしまった。許されないだろうけど、ごめん……っ」
不甲斐なさ過ぎて涙が出てきた。さっきボクがユキに放った、棘だらけの言葉が身に沁みてくる。――なんで泣くんだよ。ボクを裏切ったのはそっちじゃないか。
ボクに泣く資格なんてないのに、それでも涙が止まらない。袖で拭っても、目を閉じても、必要以上に溢れてくる。――いずれにせよ、きみは最低な人間だよ。
「どうして泣いているの、蛍くん。顔を上げてくれる?」
「ううぅ……っ」
「そんなにマジ泣きされたら、あたしが泣かせたって誤解されちゃうじゃない。お願いだから泣き止んでちょうだい……う。ええと、あの。ハンカチ、使う?」
差し出されたハンカチを借りて、ぐちゃぐちゃになった顔を拭いてもらった。柄にもなく泣き喚いて子どもみたい――冷静になった頭で俯瞰して、途端に恥ずかしくなる。なにをやっているんだ、ワタシは。サーカスの道化師みたいじゃないか。
*
「あの。ユキ……ごめん。洗って返すから」
「気にしなくていいわよ。あなたの個性が崩壊するところが見れて、ちょっとびっくりしたけれど……でも、あたしは昔に戻った気がして、少し嬉しいかも」
「昔? それってどのくらいのこと?」
「あっ……いや、気のせいだわ。蛍くんと出会ったのは1年前だものね。ほかの誰かと間違えちゃったかもしれないわね。あはは……ごめんなさい」
言って、ユキはまた物憂げに目を伏せた。今度は見逃さない。見逃したくない。ユキには悲しい顔よりも、きっと笑った顔が似合う。あまり見たことはないけれど。
だからボクは気が付けば、ユキの顔を見つめていた。哀愁を漂わせた切ない表情のくせに、最上級の美しさを思わせる。卵のように柔らかそうな肌に、さくらんぼみたいに情熱的なピンクの唇が、ボクの鼓動をどうしようもなく、騒がしくする。
「蛍くん。顔が赤いけれど、どうしたの? 冷えちゃった?」
「い、いや。なんでもないよ。それより、ユキは大丈夫? 寒くない?」
「ふふ……。さっきまで『きみの居ない世界は楽園』とか言っていたのに、この数分で気遣いの天使と化していて面白いわね。人格ガチャでもしたのかって疑うレベル」
「そ、それはごめん……まさか、きみとその姉さんを間違えていただなんて、思ってもみなかったから。ひどいことを言ってしまったのは、いくら謝っても謝り切れないことだとは思う」
ユキに対しての、過去すべての数え切れない暴言を省みる。ほんとにボクはどうしようもなく、意味のない罪を重ねてきたのだろう。ペンダントに秘め続けてきた憎悪だけでは自分をコントロールすることができなかった。――それくらい、ボクは。
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