第19話
「あなたに言われた数々の言葉、鮮明に思い出せる自信があるわ。なんだっけ――いまさら現れて謝るな? きみは最低な人間? そっくりそのまま返せるわね」
「う、うう……」
「愚姉とあたしを1年ものあいだ誤認し続けたあげく、矢継ぎ早に人格否定のような罵詈雑言を浴びせられて。並大抵の女だったら、顔面を崩壊させながらガン泣きしていたところよ……! あたしが並大抵の女じゃなくて命拾いしたわね、蛍くん」
返す言葉がなかった。だからそのぶん、ボクは自分の罪をすべて自覚しないといけないはずだった。なのに、ユキのやさしさが、ボクの空っぽな器を満たそうとする。
本来であれば、ユキはボクを糾弾していい立場のはずなのに。配慮の必要性がない生身の言葉で突き刺してもいいはずなのに。ユキは、そうしなかった。
「ごめん、なさい……ユキ」
「もう謝らなくていいってば。謝罪botと化した蛍くんなんて見たくないわ」
「でもボクの気が晴れないんだ。どうしたらボクはきみに断罪してもらえるんだろう?」
「ねえ、蛍くんって断罪されたいがために『ごめんなさい』を連呼しているの? 自分が救われたいと思っている時点で、それは傲慢が過ぎるんじゃないの?」
どこまでも続く闇にひと筋の光が差したように、とたん、視界が開けた。ユキの言っていることは、寸分違わず、まったくもってその通りだった。ボクは自分でも無意識のうちに、ワタシにとっても都合の良いハッピーエンドを未だに求めていた。
誰も傷つかないトゥルーエンドなんて、そんなものないのに。どうかしている。
「――でも、そうね。断罪ってほどではないけれど、少し目を閉じてもらっていいかしら。いまから蛍くんに、とっておきのおまじないを掛けてあげる」
「とっておきのおまじない……?」
「いいから、目を閉じて。あたしに許されたいのなら、できるはずよ」
ユキにそう言われても、ボクはワタシだけの世界が嫌だった。たとえ数秒のあいだだとしても。そして同時に、ボクの悠長なルールに拘るのも不誠実だと思った。
「目を閉じるのが、怖いの?」
ユキの問いかけに頷く。口調はいつもよりやさしかった。自分よりも小さな子どもをあやすような猫撫で声だったことに安心感が満ちていく。不思議な感覚だった。
ユキになら、結末を委ねていいのかもしれない。拮抗するふたつの想いはボクには捌き切れない。だからきっとボクは、そのまま瞳を裏側へと重ねることができたのだろう。
「じゃあ、準備が整い次第、こちらで勝手に始めさせてもらうわね?」
「う、うん……」
自分でも理解している。明らかに声が震えていた。色のない深淵にワタシは囚われていた。怖い。一刻も早くユキに会いたい。目を開けて、朝を迎えたかった。
数秒前の決意が、嘘みたいに一瞬で崩れそうになる。――ねえ、ユキ。きみはいま、どこに居るの? 会いたいよ。ボクを……ワタシを抱きしめてよ。
準備はいつ終わるの? おまじないはいつ終わるの? 永遠にも感じられる孤独な時間に比例し、不安は増幅していく。――怖いよ、ユキ。ワタシを見つけて。
「……よし。覚悟は決まったわ。あたしも並大抵の女じゃないからねっ」
ユキの声が聞こえる。――どこ? どこに居るの?
不意に、頬っぺたに仄かな温もりを覚える。ワタシが求めているもの。ユキの手だ。細くてしなやかな彼女の手のひらが、おそらくワタシに宛がわれたのだ。
「ゆ、ユキ……?」
「怖がらなくて大丈夫。このおまじないは一瞬で終わるから」
一瞬? ――おうむ返しの疑問符を浮かべたその刹那、思考停止するレベルの衝撃が脳を激しく揺らした。理解が追い付かない。そのままボクは暗闇に倒れ込む。
床に倒れ込もうとして、しかし、そうはならなかった。予想だにしていない物理的な衝撃を受け、身体のバランスを崩したボクを、ユキが抱き留めてくれたのだった。
「蛍くんにはちょっと強かったかしら? 目が覚めると評判なのだけれど」
「首が飛ぶかと思った……もしかして、おまじないと称して、殺す気だった?」
「そんなまさか。私怨で裁く復讐者じゃあるまいし、『きみが居ない世界は楽園』とか言われたくらいで怒るような短気じゃないから、あたし。フツーに温厚だから」
「う、うん……ありがとう。とにかく、目が覚めたよ。痛かったでしょう、ユキ?」
「謝罪の次は感謝? ほんと忙しいヒトね、蛍くんって」
ユキほどじゃないよ、と言いかけて、口を閉ざす。ユキの手のひらが赤くなっていたことに気付いたからだ。痛いのはボクなんかじゃなくてユキのはずなのに、それでも彼女はボクに笑いかけてくれている。――ほんとに最低だな、ボクは。
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