第14*話

「今日は早く家を出ちゃったな……まあ、いっか」


 向かい風がふわりと頬を撫でる。涼しくて心地よい。清々しい気分だ。今日は良い日になるのかも。遠くの空で灰色の雲が蠢いているのを見なかったことにして。


 ボクは珍しく夢を見た。悪夢なんかじゃない。冷たくて暗いだけのセカイなのに、ずっと居たいとさえ思ってしまった。ボクはきっと、ユキとならどこへでも行ける。


「ユキ……ボクはきみに会いたいよ。きみも同じ気持ちなら嬉しいんだけど」


 足早に通学路を抜ける。学校までの道のりは退屈だ。移り変わる景色も通り過ぎる人々も例外なく虚ろで、どこか物足りない。つまらないと言っても過言じゃない。


 けれどそんなのは些細な問題だ。ボクにはボクの生きるべきセカイがある。そこへ向かうためには多少の犠牲も厭わない。不幸なワタシを塗りつぶしてあげるんだ。


「……あ、あれはユキ?」


 ちょうど角を曲がった先に見覚えのあるロングヘアが見えた気がした。この格好では不慣れな早歩きに苦戦しながら、彼女が進んだ先へと急ぐ。――待って、ユキ。


 彼女に声を掛けようとして、ふいに立ち止まる。出会い頭で広がる光景には、ユキだけではなく、黒い服を着た金髪の男性も居た。それも仲良さげに腕を組んで。


 慌てて物陰に隠れ、ユキの様子を窺う。あの男性は誰だろう?


「ねえ、いま誰か居なかった?」


「気のせいだと思います。それより、そのアクセサリですが」


「ああ、これ? なんか古臭くて良い感じでしょ? 時計の針が逆に回る中古品だけれど、装飾が綺麗だし、開かなければネックレスとしてフツーに使えるしね」


 言って、ユキは胸の真ん中にあるネックレスを男性に見せびらかす。間違いない……あれはボクが修理した懐中時計だ。もう壊れてしまったのだろうか。


 ねじが外れた? いや、きちんと締め直したはずだ。簡単には壊れないと思ったのに。やっぱり年代物だから壊れやすいのかな。また直してあげないと。


「いわゆる懐中時計ですね。よければ修理しましょうか?」


「へーきへーき。それに、開いたら私が恥ずかしくなっちゃうから。こんなところで時計の部分を見せたくないわ。もちろん、にもねっ!」


 ――え?


「ちょ、ちょっと……いきなり抱き着くのはやめてください。まだ心の準備が」


「え~? なんだから別に良くな~い? それとも、ほかに好きな子でも居るの?」


「い、いえ……そういう訳ではないのですが。人通りが少ないとはいえ、往来の場なのですから、そういった勘違いされかねない言動は控えていただけると」


 男性の言葉は聞こえなかった。きっと、それくらいワタシは揺さぶられている。負の感情に。なんだか胸の奥が痛い。ナイフで刺されたみたいに熱くて苦しい。


 動揺が隠せないまま、ワタシはその場に座り込む。どうしてだろう、目の前が霞んでいる。両手が震えているように見える。うまく呼吸できない。口のなかが苦い。

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