第11*話

 ユキという少女から懐中時計を預かって、夜をゆっくり跨ぐ。明るくて満たされる世界に行きたかったのに、どうしようもなく悪夢がワタシを離さなかった。


 目を瞑る代わりにユキの懐中時計を眺めた。昨日は気付かなかったけれど、狼のレリーフが象られているようだ。崖の上で遠吠えをしている姿が窺える。寂しそうには見えない。ワタシにはこれが、誰かのために叫んでいるふうに思えた。


「時間が逆行する時計か……逆回転するだけで実際は進んでいるんだけどね」


 空を仰ぐ。ボクだけのセカイが広がっている。ずっと見ていたい。それなのに、陽は暮れるし、闇に溺れる。夜なんて来なければいいのに。切にそう願う。


 少ない可能性を懸けて願っているうちに、いつの間にか登校時間になっていた。慣れない制服をらしくもなく着飾り、家を飛び出す。ひとり暮らしは気楽でいい。




   *




「おはよう、蛍くん。時計は直った?」


「第一声がそれかよ。直ったよ、たぶん。ねじを締め直しただけだけれど」


 お互いに屋上のフェンスに寄り掛かって、それから会話が始まった。そよ風が彼女の長い髪を撫でると、シャンプーの柔らかい匂いが、ふわりと漂う。


 預かっていた懐中時計をユキの手のひらに乗せる。そのとき指先で彼女の手に触れた。ほんのりと温かい。ボクの冷たい指が申し訳なくなって、すぐに離す。


「ところで、きみ……ボクと、どこかで会ったことある?」


「えっ……? あ、ある、と言ったらどうするのかしら?」


「別にどうもしないよ。ボクにはその覚えがないし、きっと気のせいだと思うのだけれど」


「そ、そう……」


「なんで残念そうなの……?」


 そうやって目を伏せるユキの顔を見つめる。名前に因んだような――白くて透明感のある肌に、長めのまつ毛が大人っぽくて思わず見入ってしまった。


「どうしたの、蛍くん。あたしの顔に何か付いているのかしら? やけに凝視しているけれど?」


「き、気のせいじゃないの? 仮に見つめていたとしても、罪には問われないはずだと思う、よ?」


「法が許しても、あたしは許さないわ……なんてね。蛍くんがあたしのこと、気になっているみたいだったから探りを入れただけ。正直なところ、あたしのことを好きになったのかな、って思った」


「ずいぶんと自意識過剰なんだね、きみ。見つめていたのは認めるけれど、大した理由じゃないよ。少なくとも、色恋沙汰に発展するようなものじゃない」


 彼女の言葉を借りるのなら――そんなの、ボクが許しても法が許さないし、絶対的なルールとして、ボクじゃないワタシもそれを許すことはないだろう。


 恋という、一方的で身勝手な感情は嫌いだ。向けるほうはともかく、向けられるほうは迷惑でしかないのだから。

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