第10*話

 こつ、こつ。足音を鳴らして彼女はボクの隣へやってきた。違和感にならない程度に身体の角度を変える。そしてボクと同じように手すりへと両腕を預け、天を仰いだ。それから彼女は何かを思いついたそぶりで、急にボクを視界に入れる。


「あの。間違っていたら申し訳ないのだけれど――あなたって、噂のホタルくん?」


「ううん、ボクはホタルじゃなくて、けいだよ。蛍と書いてケイと読むんだ」


 なるだけ明るく振る舞うことに努める。当たり障りのないやさしさを滲ませつつ、微量の猛毒を意味もなく含ませる。ボクの名前はワタシのときとは違うんだ。


 それが少しでもワタシへの弔いになるのだと信じて。ワタシを守れるのはボク以外に居ないのだから。ボクに歩み寄ってくるやつは、たとえ同性でも容赦しない。


「蛍くん、で良いのかしら。よろしく、あたしはゆきよ。雪と書いてセツとは読まないから安心してちょうだい」


「……ふ。なんだよ、それ。ボクの自己紹介をバカにしているのかい? きみもくだらない噂に踊らされる一般ピープルか。だとして、距離を詰めてまで冷やかすその胆力には驚かされたよ。正義面したテレビのコメンテーター気取りかな?」


 差し出された手を握る気にはなれない。握手をするはずだった彼女の手は元の場所へ戻っていく。やけに切ない視線がこちらを射抜いたが、どうでもいい、はずだ。


「ごめんなさい……そういうつもりではないの。ただ、あなたの腕に頼りたくて」


「ボクの腕?」


 おうむ返しで尋ねると、彼女は円状の塊を見せてきた。手のひらに乗せると冷たい。どうやら、金属製らしい。ボタンのような突起を押し込むと、蓋が開いた。


「これって、懐中時計……だよね? きみってずいぶんとアンティークな趣味を持っているんだね。時間が逆行しているみたいだけど、時計としては使えないね?」


「ええ、そうなの。普段は時計として使えるのだけれど、たまになぜかこうなるのよ。壊れちゃったし、あなたに直してほしくって。お願いしていいかしら?」


「ねえ。どうして、ボクがこういうのを修理できるって知っているの? 誰にも話したことがないと思うんだけど」


「あ……っ、ええと、それは。か、風のうわさで聞いたのよ。あなたの中学時代の友だちって言っていたかしら。そのヒトからあなたのことを聞いたの」


「ふーん。ずいぶんと都合の良い風だね? 中学時代の知り合いって言うと、四葉かなたか。彼女の口の軽さには驚きだよ—―まあ、いいや。それを貸してごらん」


 さすがにワタシのことは漏らしていないみたいだけど、いつかは風のうわさになるだろう。ワタシがボクになったことを知るのは、四葉かなたくらいだし。


 あとは面影のはっきりしない女の子がひとり。誰だったかな。ワタシじゃないことは確かだ。ボクがワタシの姿を認識することができるのは、鏡像のセカイだけ。

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