壱河ゆりvs三沢なつ②

「……んん? ねえ、雄二。二次方程式の解の公式ってなんだっけ?」


「教科書に書いてなかった? ax^2+bx+c=0のとき、x=-b±√b^2-√-4ac/2aだよ」


「じゃあさ、じゃあさ。この問題を解いてみてよ。どこのアルファベッドに何を入れるか分からなくなっちゃってさ。問1の6x^2-4x-5ってやつなんだけど—―」


「――嘘でしょ、なつ。二次方程式は中学3年の頃に習ったやつだよ? 問いの式に対応している数字を、そのまま解の公式に当てはめればいいだけなんだよ?」


 なつのノートに数式を書き込み、口下手ながらも教えていく。それぞれをa=6,b=-4,c=-5として解の公式の右辺に代入して解くと、x=4±√104/12になった。


「いやあ、学年トップの雄二が居れば宿題なんてすぐ終わっちまうな! なあ、雄二。だったら、この次の問2はどうやって解くんだ? 俺にも教えてくれよ」


「ねえ、ふたりとも……ほんとに高校生なの? どうやって受験を突破したのか不思議なんだけど。まさか裏口入学とかカンニングとか悪いことしていないよね?」


 ちなみに僕の宿題は、始めてから1時間経過して、漢字の書き取りだけになった。ふたりは数学の中学復習編の冒頭で手こずっているようだった。公式を覚えていないと解けない学問なだけに、苦手な数学をやるとなると、けっこう掛かりそうだ。


「なるほどな。2乗の左辺をあれするときは右辺を平方根のやつにして、x=の形にしてやればよかったんだな。さすがは学年トップの優等生だ。親友でよかったぜ!」


「あはは。これくらいで良ければ、いくらでも教えてあげるよ……」


 あの一件以来、賢一を親友という目では見られなくなったことを白状するにはさすがにできなかった。だからこんな風に、都合の良い言葉で関係を言い表せられると、胸がもやもやして心地のよくない感情が僕の思考を支配してしまうのだった。


 いや、まあ。賢一はなつの協力者だっただけで、黒幕はなつのほうだけど。


 でもそこには、まだ割り切れないものがある。少なくとも、加害者サイドの賢一が軽々しく、僕を親友と表現してはいけないのだと思う。それはもう、切実に。


「……兄さん。お勉強のほうはいかがですか? 少し煮詰まってきたのなら、休憩なさっては? とりあえず、お茶とおやつを持ってきました」


「おう、ゆりか。ありがとうな、ちょうど休もうと思っていたんだ」


 ドアを二、三ノックした音がし、シャーペンを落としているうちに、純白のワンピースを着た、小さな女の子が部屋に入ってきた。この子がどうやら賢一の妹のゆりちゃんらしい。賢一とはまた違ったあどけなさを具えた可愛らしい少女で――


「――きゃっ!」


「え、うわっ!?」


 差し入れが並べられたお盆を抱えている少女が、何かに躓き、こちらへ飛び込んできた。床に正座していた状態の僕は反射神経で避けることもできず――ばしゃん。


「あわわわ……ご、ごめんなさい! いま拭くものを取ってきますっ」


「つ、冷たい。これ、麦茶……かな、あはは」


「ゆりはここに居ろ。ごめんな、雄二。いま着替えるものも持ってくるから!」


 少女がこちらへ向かってくるときに、お盆の上で氷がからんころんと軽快なリズムを取っていたのを思い出す。道理で頭が痛い訳だ。たぶん、直撃したんだ。


 賢一が部屋を飛び出したあとで、我に返る。ドアの勢いよく閉まった音で、僕は自分の心配を真っ先にしてしまった。僕というやつは、なんてサイテーなんだ。


「す、すみません、兄さん……。ゆ、雄二さんもごめんなさい」


「いや、僕は大丈夫だけど……ゆりちゃん、だっけ。きみこそ大丈夫? 僕が受け止めたとはいえ、顔から床に倒れたみたいなもんだし、身体とか痛くないかい?」


「は、はい……っ。だ、大丈夫、ですっ」


 ゆりちゃんの、陶器みたいに白くて透き通った肌には、赤くなった痕がある。でもなぜだか、僕がやさしく受け止めたはずの顔にも赤くなっている部分があった。

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