第19話

「きみの言うそのに甘えた結果がこれなんじゃないの? ここでひとつクイズを出そう。きみは高速道路で渋滞が起こる理由を知っているかい?」


「そんなの、通勤ラッシュとか帰省ラッシュで、人がいっぱいだからでしょ?」


「それもあるけどね。大半は、ひとつだけ遅い車があるせいだよ。法定速度なんかを守っているから、周りが迷惑するんだ。ひとりのせいでみんなが犠牲になる」


 カルネアデスの板だよ、と彼は言った。倫理の授業で習った気がする。海の真ん中で板に掴まった男の話だ。自分が確実に助かるために他人を引き離すんだっけ。


「きみはみんなを傷つけて、自分だけ報われようとしているんだよ。お分かりかな? 壱河賢一や弐宮雄二、四葉かなたに五反田ゆき。みんな、きみの被害者だ」


 被害者。その事実だけが、わたしの、穴だらけの心に深く影を落とす。謝っても許されないことをたくさんした。わたしに彼の言葉を手放すことはできない。


「ねえ、三沢さん。きみはずっと弐宮雄二のヒロインだと思って生きてきたはずだ。でもね、それは違うんだ。きみはヒロインじゃない。いい加減に現実を見なよ」


「……違う。現実を見ていないのはあなたのほうだよ、二取くん」


「きみが涙を流す資格はないよ。それは彼に認められたヒロインだけのものだ」


 磨りガラスから覗く景色はなんだか歪んで見える。それと同じで、目の前がなんだかやけに眩しく感じた。鼻の先を手で乱暴に拭う。口のなかが渇いている。


「その涙を拭かないのはボクへの抵抗のつもり? 悪いけど、ボクはきみの敵になるつもりはないよ。ボクはただ、きみにとって都合の良い存在で居たいだけさ」


「泣いてなんか、ないもん。わたしは、ただ……」


 溢れそうになる涙を必死で堪える。まだ何も終わっていないし、始まってもいない。この扉を開ければ、何もかも変わるはずなんだ。話し声はまだ聞こえる。


 雄二を想ってきた時間なら、かなたには負けない。きっと、誰にも。雄二もわたしを想ってくれているはずだ。仲直りしたら、わたしは最適な結末に辿り着ける。


「……だからさ、ボクはきみのためになら、喜んで悪魔にもなれるんだ」


 ふいに、教室のドアが二取くんによって開かれる。音もなく作られた隙間にふたりが居た。雄二とかなた。放課後のふたりきりの教室は幻想的な空間を思わせる。


『でも四葉さんは、賢一のことが好きなんでしょ? その気持ちに嘘を吐いてまで、僕を練習台にするのは違うと思うよ。やっぱり最初は賢一のために――』


『――ああ、もう! 抵抗ばかりでしつこいわね!! だったら、これでどう?』




 小さな空間で、雄二とかなたの実像がぴたりと重なる。まるで世界にはそのふたりしか居ないみたいに、夕焼けの眩しさがわたしの存在を侮辱する。


 不器用な角度のまま彼らの横顔を彩り、どうしようもなく残酷な温かさを演出していた。

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