第9話

「んん……?」


 翌日、らしい。というのも、実はわたしもまだよく分かっていない。昨日――バス遠足があったすぐあと――すぐ眠ってしまったから、記憶がちょっと曖昧だ。


 カーテンを開け、空が蒼く尊いものだと確認して、ようやく自覚する。寂しい夜は明けたのだ。友だちと寝落ち通話する夜ではなく、ひとりきりの夜が終わった。


 おかげでスマホのバッテリーが満タンで、充電する必要がない。制服に着替える合間に念のため、賢一くんにメールで伝える。日直で先に行く。もちろん、嘘だ。


 それから、家を出る。お母さんには悪いけど、朝ご飯を食べる気にはなれなかった。きっとあとでお腹は減る――コンビニでサンドウィッチでも食べよう。


「ほんと、サイアク」


 誰かが悪いのだろうか。少なくとも、わたし以外の誰かだ。怯えている訳じゃない。ただ、胸の穴を埋めるための何かが思い出せないだけ。いや、知っている。やっぱり怯えているだけなのかもしれないな、とまだ青いわたしの影にうそぶく。


「あのとき、わたしは声を掛ければよかったのかな……?」


 たとえば、お化け屋敷に入る前。二取くんに会う前。然るべきタイミングはたくさんあったはずだ。それでもわたしは陰に徹することを選んだ。どうして? 


 そんなの、決まっている。怖いから。わたしを拒んだ雄二の、隣に居る資格がないと思ったから。不意に、彼との関係が分からなくなる。——幼なじみってなに?


 辞書に載っている意味ではなく、もっと本質的な。でもあえてひどい言い方をするとして、わたしと雄二を繋いでいる鎖はたったそれだけなのだ。おそらく、とても脆い。風に吹かれるシャボン玉みたいに、儚くて美しいものだったはずなのに。


 そんなくだらないことを考えているうちに、学校の前まで来ていた。さいきん、雄二との関係に新しい名前を付けたがっている自分が居る。幼なじみという鎖はもう飽きた。4月の子どもじみた悪戯もその感情の表れなのだろう、きっと、ね。


「おはよ~」


 クラスの女子グループに朝の挨拶がてら、ちょっとした世間話で盛り上がる。話題はだいたい、昨日のバス遠足だ。怯えた心は仮面に隠したまま、楽しいふりをする。なんだかすっごく面白くない。誰と誰が付き合っていようがどうだっていい。


「賢一君、おっはよ~!」


「ああ、四葉か。朝から元気だな、おはよう」


 しばらくして、賢一くんがやってきた。かなたの年相応で健気な声がなかったら、自分の中途半端な弱さに呆れつつも、そろそろ振り向いていた頃だった。


「に、弐宮も、おはよう……」


「えっ……あ、おはよう?」


 普段は無視するはずの雄二にまで、朝の挨拶をしたかなたの様子を見て、昨日見た光景が偽物でないことを知る。——ああ、やっぱりわたしは陰の人間なんだね。

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