第31話

「あのね、弐宮。これは至って真面目な話なんだけどさ……ワタシとキスしてくれない?」


「……は?」


 流れている時間が止まった気がする。キス。キスってなんだっけ。魚が喜ぶと書いて鱚ならば、紛れもなくシロギスのことだけど。話の文脈から推測するに、関係がない気がする。もしや四葉さん、昨日の遠足でまだ疲れているのかな。


「だ・か・ら! キスだってば、キス‼︎ ちゅーだよ、ちゅー」


「いや、ちゃんと聞こえているけど……な、なんで僕が⁉」


「だって、1ゼプトメートルもワタシのこと、考えていないんでしょ? 好きでもない人とキスしたって、なんの感情もわかないんだったら、練習台としても好都合じゃない。賢一君との今後のためにも、彼と親しいあんたの協力が必要なの!」


「それとこれとは話が違うというか……キスって気軽に練習するものじゃないだろうし、練習台じゃなくて違う形でサポートしたほうが上手くいくと思うけど?」


 きっと、賢一への気持ちが溢れすぎて、おかしな方向に傾いてしまっているのだと思う。いま四葉さんとは友だちなのだから、僕が彼女を正さないと。


「大丈夫だって。キスなんてしょせん、唇同士のコミュニケーションでしかないだから! 舌を入れる訳じゃあるまいし、練習するのはプラトニックなやつだよ!」


「舌……? そんなキスがあるの?」


「純朴か! まあでも、その認識程度ならエスカレートすることもないか」


 残念ながら、僕の想像力ではまったく補えない。相手の口腔内に舌を入れるキスなんて、衛生的な面で心配になる。確か虫歯は細菌感染するから、大丈夫かな。


「でもさ、四葉さん。ふつう、キスって好きな人とすることじゃないの?」


「だからただの練習だってば! あんたのことなんて、特に何とも思っていないから安心して。早く帰らないと噂されるから、さっさと済ませたいんだけど!!」


「それなら、鏡と向き合った自分の鏡像とでもしなよ。僕を巻き込まないで」


「やだよ、そんなの。オ〇ニーと同じで、ただ虚しいだけじゃん! 練習するならついでに相手の温もりを感じたいの! そうでもしないと実感が湧かないもん」


 四葉さんは僕のサポートではなく、ただキスの練習がしたいらしい。それも厄介なことに、対人状態でのキスが良いという。いちおう、鏡のなかの自分とさせる以外に、マネキン案もあったけど、温もりに飢えている彼女に効き目はないだろう。

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