第5話 シャンパンとキスの味
マッシュルームとエビのアヒージョにバケット。
生ハムとサラミに、チーズの盛り合わせ。
冷製トマトパスタ。
そして、ローストビーフ。
「わぁ! 美味しそう!」
約束通り6時過ぎに私の家に来た舞さんはリビングに入るなり、ダイニングテーブルに並んだ料理を見て、嬉しそうに瞳を輝かせた。
「これ全部、先生が作ったの?」
「まさか。アヒージョと冷製パスタ以外はスーパーで調達してきました」
はっきり言って、私は料理があまり好きじゃない。
だから普段はほとんど自炊もしない。
こうやって何かを作るのは、家で誰かと飲む時だけだ。
「誰かの手料理食べるなんて久しぶりで、すごく嬉しい……」
お世辞でもこうして喜んでもらえるのは、私も嬉しい。
さあ、今夜は楽しもう。
「主婦の方は毎日献立考えて、大変ですよね。私なんか一人暮らしなので、その点楽ですけど……。あっ! 今日はご主人の晩ご飯とかは大丈夫だったんですか?」
「ええ、うちの旦那は出張が多くてあまり帰って来ないから……」
そう答えた舞さんはどこか悲しそうな、一瞬暗い表情を見せた。
いらん事聞いたな……。
そういえば、普段もあまり舞さんの口からは旦那さんの話も出ないし。
これ以上家庭の話を振るのは、止めた方が良さそうだ。
「とりあえず、乾杯しましょうか?」
舞さんが持って来てくれたシャンパンを手に取って、私はできるだけ明るく微笑んだ。
「ってか、これドンペリじゃないですか!?」
ラベルを見て咄嗟に驚きの声を上げた私を、舞さんはクスクスと笑っている。
「うん、だからいつもマッサージでわたしのケアをしてくれる薙先生と一緒に飲もうと思ったの」
しっかり冷やされたボトルに触れている指が、少しジンジンする。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「私、シャンパンってあまり飲まないんですけど、舞さんお好きなんですか?」
「ううん、わたしあまりお酒強くないの。でも、結構演奏会で貰うことが多くて」
「ああ、なるほど……」
「薙先生は、お酒好きって言ってたよね?」
「はい、普段は専らビールと発泡酒ですけどね」
「ホント、男前だよね」
舞さんの言葉に苦笑しながら、私はシンクの上でシャンパンの栓を抜いた。
ポンッという軽快な音に2人のテンションが上がる。
ダイニングテーブルに並べたワイングラスにゆっくりと注いで、私たちはイスに対面で腰掛けた。
「カンパーイ!」
グラスとグラスがぶつかり合う甲高い音が耳に心地良い。
一口流し込むと、シャンパンの泡が喉を刺激した。
うーん、仕事後はお酒に限る。
「ドンペリなんて人生初ですけど、すごく飲みやすいですね」
「本当、なんかすぐ酔っ払ってしまいそう」
食事とお酒にご満悦な舞さんの様子に、私は安心した。
1人で飲むのも良いけど、やっぱり誰かと笑いながら飲むお酒は格別だ。
「一昨日のコンサート、とっても素敵でした。ピアノの音色も舞さんの表情も豊かで感動しましたよ」
「ありがとう。また次の演奏会も良かったら来て欲しいな」
「予定が合えば、ぜひ」
「ねぇねぇ、薙先生はピアノ弾ける?」
「いや……子供の頃少し習ってた程度で今はもう全然弾けないと思いますよ」
「そっか、残念。連弾とかできたら良かったのに」
「あはは、プロの方と連弾なんてとんでもない。舞さんは、何歳からピアノを?」
「3歳から」
「へえ。そんな小さい時からって、すごいですね」
「うーん、でもわたしピアノしかやって来なかったから。うちの両親も音大出身だし、逆に喫茶店でアルバイトとか、会社で働いたりしてみたかったな」
舞さんは遠い目をしながら、寂しそうな顔をした。
なんで、そんな顔するんだろう……?
やっぱり、何か家庭で問題を抱えてるのか?
食事を進めながら、何か声を掛けようと頭を働かせていると、舞さんは思い出したようにカバンの中からスマホを取り出した。
「あっ、そうだ。薙先生、一緒に写真撮ろう?」
そう言って舞さんは、私の隣のイスに腰掛ける。
肩と肩が触れ合うくらい近付くと、彼女は慣れた様子でスマホの内側カメラを構えた。
「はい、チーズ!」
シャッター音が鳴り、早速撮れた画像を見ようとスマホの画面を2人で覗き込む。
お酒が入ってほんのり赤みがかった舞さんと、全く顔色の変わっていない私。
「薙先生って、やっぱりイケメンだよね!」
「あはは、よく言われます」
「もしかして、女性からもモテるんじゃない?」
「うーん、まあ過去に何度か告白されたことはありますけど……」
「やっぱり? じゃあ、女性とお付き合いしたこともある?」
「いえ、私は男としか付き合ったことはないですよ」
「そっか……。わたしも結婚する前だったら、アプローチしてたかも。薙先生カッコイイし」
「あはは、何言ってるんですか。からかわないでくださいよ!」
「ううん、ホントに……」
舞さんはもう酔っているのかもしれない。
久々のシャンパンに私も少しだけ、酔いが回り始めている。
写真を見ている楽しそうな彼女の横顔を眺めていると、ふと目が合った。
そして、気付いた時にはもう、私は無言のまま舞さんの肩を抱き寄せ、彼女の唇に自分の唇を押し当てていた。
「えっ?」
唇を離した途端、舞さんは驚きの声を上げた。
しまった……。
私はなんで、キスなんか?
「えっ、ちょっと待って……どうしよう」
舞さんは動揺を隠せず、顔面は見る見る赤くなっていく。
そんなリアクションされたら、たまらない……。
「好きです」
生まれて初めて自分の口から自然と零れたその言葉に、私自身驚いた。
ああ……そうか。
ピアノを演奏している姿を見たあの瞬間に、私はきっと舞さんに心を奪われていたんだ。
気付いてしまったら、もう止められない。
嫌われるかもしれない。
気持ち悪いと思われるかもしれない。
それでも、この気持ちは伝えたい。
舞さんが次の言葉を発するまでの数秒間が、とてつもなく長く感じてしまう。
私に告白してくれた人達も、こんな気持ちだったのかな。
「どっ、どうしよう……」
未だ狼狽えながらそう呟く彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「ごめんなさい……」
そうか。
泣かせてしまうくらい、嫌だったのか……。
女同士だし、当然だよね。
「わたし、今嬉しいって思っちゃってる」
「えっ?」
まるで少女漫画のヒロインみたいに顔を真っ赤にしてこちらを向いた彼女は、私に抱きついて来た。
お互いの心臓がバクバク鳴っているのがわかる。
「わたし……」
その先の言葉を遮るように、私は再び彼女の唇を奪った。
「っ……んっ……」
苦しそうな息遣いも、上昇していく互いの体温も私をどんどん狂わせる。
理性なんてもう残っていない。
彼女が既婚者であることも、子供がいることも頭から抜けてしまうくらいに
目の前にいるこの女性がどうしようもないくらい、愛おしい。
理由なんてない。
気付いたら心を奪われていた。
こんな感覚は……初めてだ。
私は僅かに開いた隙間から舌を滑り込ませて、絡めるように何度も何度もキスをした。
力の抜けた舞さんは、抱きついたまま私の胸に顔を埋めている。
「薙先生」
「……はい」
「キス上手いね……」
「そうですか?」
「うん。女性と付き合ったことないって言ってたけど……男性とはこういう経験、豊富なの?」
顔を上げてちょっと寂しそうな表情を浮かべる舞さんに私は意地悪く笑った。
「豊富かどうか、試して見ますか?」
耳まで真っ赤にして頷いた彼女の手を取ると、私はゆっくりソファーに導いて押し倒した。
舞さんは、全く抵抗しない。
酔った勢い。
一夜の過ちと思われるかもしれない。
それでも構わない。
今、この場で私は彼女に触れたいんだ。
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