居候は雪と狼Ⅱ

「雪ちゃんはちゃんと家で静かにしてるかな」


 亮人は雪女の事をまるで友達のように呼び始めていた。

 会って二週間、たったの二週間で亮人は雪女のことを家族のように接している。


「雪ちゃんって見た目は普通の女の子だからなぁ……本当、妖魔だって言われたって信じられないけど、近くにいると寒気がするのは確かだから……本当に雪女なんだろうな」


 学校への道のりで一人呟く亮人。

 そんな亮人の後ろからは同じ高校に通う生徒達が急ぎ足で学校へと同じように向かっている。


「亮人は朝からなに一人で呟いてるの?」


 そんな生徒達が急いでいる通学路。そして、亮人の後ろから突然、話しかけてきたのは人懐っこそうな瞳に短い茶髪、そして小柄な体で見た目は小学生のような彼女。成長して欲しい所がなかなか成長することがなく、身長も中学生の時から伸びなくなった、そんな彼女は歩く歩幅が亮人よりも小さいため、亮人の歩くペースに合わせるように歩調を速くしている。


「いや、なんでもないよ。それよりも礼火れいかが遅刻しそうになるなんて、珍しいこともあるんだね。礼火こそ何かあったの?」


 小さな体の持ち主である彼女。奈星礼火なぜれいかは亮人の小学校からの友人で、彼女が自分の身体にコンプレックスを抱いていることも知っている。と言うよりか、周りにいる人が全員、彼女がコンプレックスを抱いていることを知っていた。

 見ただけでコンプレックスっていうのが分かるよな……礼火って。

 申し訳ないことを考えている亮人だが、そんな亮人の心中を知る由よしもない礼火は亮人を見上げながら、


「昨日、ちょっと夜更かししちゃったから寝不足でね。流石の私も十一時まで起きてるのなんて無茶なことしちゃったかなって、今頃になって反省してるの」


 十一時まで起きて夜更かし……やっぱり子供なんだ、礼火は……。

 見た目通りと言った感じに彼女の事を見つめる亮人。そんな亮人の視線は子供を見つめるような優しいもので、そんな視線を向けられている礼火は頬を赤く染めながら、


「そんな目で見ないでよ……もう」


 と何かを勘違いしながらそっぽを向いていた。

 そんな子供の容姿を持った礼火の頭に手を置いて撫で始めた亮人は心の中で溜息をつきながら学校の正門前までやってきて、そのままクラスメイトでもある礼火と一緒に教室の中へと入っていく。

 教室の中には自分の席に座ろうと移動し始めた生徒達。そして、亮人たちの後ろからは担任が走って教室に入ろうとして来ていた。

 そんなことを確認した亮人の横では礼火は担任が来ているという事も知らずに扉を閉めて自分の席へと歩いて行く。そんな亮人も礼火についていくような形で自分の席へと腰を掛けた。

 何の変哲もない普通の生活。幼馴染と一緒に学校に来て、普通に授業を受ける。それがこれまでの普通の生活だったのだけれど、亮人の日常は二週間前に大きく変わってしまった。

 そのことを考えると亮人は嫌でも溜息が出てきてしまう。

 実際、雪女の事は普通に居候といった感じに受け止めているから亮人には関係が無いのだが、その雪女から言われた言葉。


『私たちの子孫を残す為にあんたが必要なの』


 の一言が亮人の人生を変な方向へと向けてしまった。

 両親が大企業の社長をしていることもあって、両親は家に帰ってくることが一切ない。

 そんな亮人に幽霊の如く、目の前に現れた雪女は衝撃的でもあって魅力的でもあった。そんな亮人は平凡な日常を過ごしたいという願いもあった。

 両親が企業の社長。そして、亮人はいずれそれを継がされる。これは決定事項でそのために高校を卒業した直後には、両親の会社で仕事をさせられる。否が応でも絶対に。

 そんな両親は昔に亮人が事故にあったというのに見舞いに来ることもなく、ただ自分の仕事を全うするために仕事に身を打ち込んでいた。

 亮人はその時の事故で頭を打ったことで記憶が曖昧になっている部分も少なからずある。

そんな自分の息子のお見舞いにも来ないような両親に決められた人生ではなく、仕事が忙しいわけでもなく、ただ平和に大切な誰かと一緒に静かな生活が送れるような人生が亮人の夢。

だが、そんな夢を崩す様に現れたのが妖魔の存在。


「普通の人生ってどこにあるんだろう?」


 普通の人なら普通にしていれば送れる人生。だが、亮人にはそんな人生は金輪際、一生来ることはない。

 そんな気持ちでいるのも束の間、学校中には甲高いチャイムの音が鳴り響き、そんな音と同時に教室にいたクラスメイト達は席を立ち、一時限目の準備を始めた。


「亮人も早く実験室に行くよ」

「わかってるよ、すぐに行くから待ってて」


 続々と教室を出て行くクラスメイト達に遅れて、亮人は教室の後ろにある自分のロッカーへと教科書を取り出し、礼火が待っている扉へと振り返る。

 だが、振り返った瞬間に変な匂いが亮人の鼻腔を擽くすぐる。

 なんだろう……この匂い。学校にこんな匂いがするものなんかあったかな?

 まるで獣が近くにいるかのような匂い。野性的な匂いが亮人の鼻腔を通り、それは一瞬にして消える。


「今の匂い……どこかで嗅いだことがある気がする……どこだったっけ?」

「亮人っ、早くしないと授業が始まっちゃうよっ!」


 立ち止まって考え事をしていた亮人に話しかけた礼火。そんな彼女に言われた通り、教室にある時計を見れば授業まであと二分もない。

 亮人と礼火は教室から出るなり駆け足で化学実験室まで走って行く。

 だが、そんな亮人の後ろ。廊下には異質な存在がいた。

 他の生徒がまだ廊下にいるというのに堂々とした一匹の金色の狼は亮人の後ろ姿を見つめながら、息を荒くしていたのである。


『……お兄ちゃんの事は私が守るから』


 懐かしむような瞳。

そんな瞳を亮人へと向けた金色の狼は地面を強く蹴りながら階段を駆け上がり、太陽の陽がよく当たる屋上で遠吠えをする。

高校の屋上から聞こえる遠吠えは学校中を蹂躙する。だが、その遠吠えは誰にも聞こえない。ただ一人を除いては……。

力強い遠吠えをした金色の狼は少しばかりの休息を入れることにした。

金色の狼は休みながら亮人が家へと帰るのを心待ちにする。


『やっと会えたよ……お兄ちゃん……』


まるで子供が迷子になって、母親に会った時のような感動が金色の狼の心を支配した。だからだろう、金色の狼は安心しながら寝息を立て始めたのだった。



『ウォォォオオオオオオオ』


 化学実験室に来ていた亮人は外から聞こえてきた遠吠えに気を取られ、授業に集中できずにいた。

 日本の狼は絶滅したよな……なら、今の遠吠えは犬ってこと? でも、聞こえてきたのが異常に近いし……他の人たちは聞こえてないのか?

 頭の中で日本狼が絶滅をしたことを確認した亮人だが、誰も今の遠吠えを聞いたような素振りを見せていない。

 だから、亮人は隣に座っている礼火に、


「礼火……外から遠吠えみたいの聞こえてこなかった?」

「遠吠え? ううん、外からなんて何も聞こえてこなかったけど……どうかしたの?」

「いや、なんでもないよ。ただ気になっただけ」


 亮人の質問に不思議といった感じで小首を傾げた礼火だが、亮人へと向いていた視線はすぐさま授業の説明をしている教師の方へと向き、集中して授業を聞き入っている。

 じゃぁ、今の遠吠えは俺にしか聞こえてないのかな? でも、となると妖魔が近くにいるってことなのか?

 今の亮人は普通の人には見ることも出来ず、聞くことも出来ないものが分かる。

 これ以上、雪女みたいに妖魔と出会うのは亮人にとって嫌なこと。今だけでも普通の人生が送れていないと言うのに、これ以上変な事に捲き込まれるのは亮人にとってはごめんな状況。

 だが、そんな遠吠えも一度だけしか聞こえず、これ以上考えていても仕方がないといった感じに亮人も礼火同様に授業に集中しようと努力する。

 白衣を着た教師が何やら実験の説明をしているが、亮人はそんな説明なんかは聞かずにただ、やはりと言えばいいのだろう……。

 集中できるわけない……。

 さっきの遠吠えが気になる亮人にとって、化学などに気が向くわけがなかった。さっきの遠吠えは異様な程に近かった。それが分かっていた亮人はチラチラと外を見始めた。

 ただ、もしも本当に妖魔が近くにいるなら、どうすればいいのか……。

 亮人はそれだけを考え始める。そして、そんな時にふと浮かんだのが、雪女の言葉だった。


『もしも他の妖魔に遭ったら、家に電話してくれればすぐに助けに行くから』


 そんな雪女の頼りになる言葉が、亮人の頭の中で響いた。

 亮人の視線はいつの間にか完全に窓の外へと向けられていて、空を流れる雲を見つめていた。

 視線の先にあるもの。大きくて、それで誰もが一度は憧れたりする大きなもの。

 俺もあんな風に自由になりたいな……。

 空は自由だという事を知っている。

 何物の障害が一切なく、それでいて清々しい程に綺麗だ。高く飛べば飛ぶほどに景色は青く、そして白い雲の海を見渡せる。

 何度か乗った旅客機の窓から見た空は綺麗だった。

 一面に広がる雲にその景色を邪魔するものが一切ない。あるのは雲と青い空だけ。そんな空が亮人は好きでいた。


「亮人も実験の手伝いしてよ。そのままだと先生にサボってるの、バレちゃうよ?」

「いいよ、バレても。今は外が見たいから」

「あっそ……」


 礼火はそのまま班の仲間と実験を始め、亮人は言った通りに外をずっと見つめている。

 そういえば、雪ちゃんと会ったのもこんな雲一つない日だったかな? 

 亮人は空に手を伸ばしながら雪女と出会った日を思い出していた。

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