第29話 八の付く日はセールの日

「櫂斗さん。これは何ですか?」

 土曜日。いつものように僕が棚に飾ったフィギュアに付いた埃を掃除していると、床に広げた広告を見ていたミラが僕を呼んだ。

 彼女の目の前には、カラー印刷された一枚の広告がある。

 紙面には、大きな文字で『八の付く日はハッピーデー!』と書かれていた。

 僕はちらりと広告を見て、すぐに目の前のフィギュアに視線を戻した。

「何って……セールのチラシだよ。今日は安く商品が買えますよってお知らせだ」

「日によって値段が安かったり高かったりするなんて、この星の店は変わってる」

 ふうん、と鼻を鳴らして姉の真似をして広告を覗き込むネネ。

 生きてれば買い物くらい行った経験があるだろうに……それすらもしたことがないと主張するつもりなのだろうか。この姉妹は。

「セールなんて此処じゃ普通だよ。あんたたちが住んでたところでは、そういうのってなかったのか?」

「はい」

 曰く、城には何かある度に行商人が来て、それで買い物を済ませていたので自ら買い物をしに行くことはなかったとのこと。

 行商人は基本的に言い値で商品を取引するので、日によって値段を安くしたりするといったことはないらしい。

 ミラは先日僕と服やら何やらを買いに行ったことが人生で初めての買い物だったのだそうだ。

 そう来るとはね。自称王族ともなると言うことのスケールが違う。

「今日は食べ物が安く買えるのですか?」

「んー」

 僕は掃除の手を止めて、ミラたちの傍に行った。

 広告の内容は……店内の商品が全品八パーセントOFFになるという、広告としてはありきたりな内容だった。

 場所は、駅前にあるデパート。普段僕が食材を買う時に世話になっている店だ。

 野菜とかはデパートよりも八百屋とかの専門店で買った方が安いのだろうが、近くには八百屋なんてないし、買い物にかける時間が惜しいからどうしても近場で済ませたくなっちゃうんだよな。

 男の生活様式なんて基本そんなもんである。

「食品だけじゃなくて、服とか、雑貨とか、店で売ってるものは何でも安くなるよ。ま、安くなるっていっても消費税分だから微々たるもんだけどな」

「安くなるなら、買い物に行きましょう! 私、櫂斗さんに美味しいものをたくさん食べてもらいたいです!」

 広告に向けていた顔を上げて、力強く主張するミラ。

 その表情は、期待に満ち溢れてきらきらと輝いている。

 ……買い物、ねぇ……

 僕は頭を掻いた。

 この家では、食品なんかの買い出しは週に一度、休日に行くことにしている。

 平日は仕事があるし、仕事帰りに大きな荷物を持って暗い夜道を歩きたくはないからだ。

 どうせ今日か明日には買い物に行こうと思ってたところだし、今から出かけても大差はないか。

 ミラは行く気満々だし、多分ネネも付いて来ると言うだろう。

 注目の的になるのはあれだが、いつかはミラに買い物の仕方を教えなきゃいけないと思ってたところだし、その機会が今来たと思えばいいのだ。

 僕は頷いて、持っていたモップを机の脇に吊り下げた。

「分かった。みんなで買い物に行くとするか」

「美味しいものをたくさん買いましょうね!」

 いや……余計なものを買うつもりはないぞ? 必要な分だけを買うんだぞ?

 余計なものまで欲しいと言い出すんじゃないだろうな。

 何か嫌な予感がする。そんなことを考えながら、僕はいそいそと外出の仕度を始めるミラを見つめて小さく溜め息をついたのだった。


 このデパートはセールがない時でもそれなりの客で賑わっているが、セールをやっているということもあって今日は普段以上の客がいた。

 その殆どが家族連れだ。小さな子供の姿もちらほらと見受けられる。

 何処かで子供の泣き声が聞こえる。さては迷子になったな。

 入口をくぐったミラとネネは、目を大きく見開いて眩い光で満たされた売り場を見回していた。

 二人を食材の買出しに連れて来たのは初めてだからな。想像以上に広い空間に圧倒されているのだろう。

「……お城より広いかもしれない」

 ぽつりと、ネネがそのようなことを呟く。

「これが、全部お店なの」

「デパートは広いからな。迷子になられると困るから僕の傍から離れるんじゃないぞ」

 僕は入口の傍に置かれている籠をひとつ取って、カートにセットした。

「食品売り場は一階だ。まずは野菜から見るか」

 人の波を掻き分けながら、カートを押して野菜売り場へと向かう。

 ミラとネネはしきりにきょろきょろしながら、僕の後ろを付いてきた。

 このまま何も起こらずに無事に買い物が済めばいいが……

 懸念を抱きつつ、僕たちの買い物がスタートした。

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