第30話 福引

 すれ違う客に注目されながらの買い物は、波乱の幕開けとなった。

 ミラがいきなり、売り物のトマトを齧ろうとしたのだ。

 僕は慌ててそれを制止し、売り物を食べようとするんじゃないと二人に言い聞かせた。

 ネネは今のところ売り物に手を出そうとはしていないのだが、ついでというやつである。

「あのな……売り物をいきなり食べようとする奴があるか!」

「え……でも、食べなかったら味が分からないではありませんか」

「此処では試食以外のものは食べちゃ駄目なんだよ!」

 食べるなよ、と散々言い聞かせて、ようやく納得してくれたのか、ミラは商品を齧ろうとはしなくなった。

 全く……常識を知らない奴にものを教えるって疲れる。

 でも、我慢だ。ここで僕が教えることを放棄したら、二人は世間知らずなままだからな。

 子供にものを教えるようなものだと自分に言い聞かせて、僕は二人に買い物の時のマナーをひとつずつ教えていった。

 野菜の葉っぱは毟らない。容器の蓋は開けない。トレーに入った魚を指でつついたりしない。など。

 ことごとくやろうとするんだもんな。片時も目を離せなかったよ。

 そんな感じで買いたい商品を籠に入れながら、食品売り場をぐるりと一周して。

 菓子売り場に、僕たちはやって来た。

 ポテトチップスの袋をひとつ手に取って、ネネが僕に尋ねた。

「これは何」

「何って……ポテトチップスだよ。ジャガイモを薄く切って油で揚げたお菓子だ」

「ふうん」

 ネネは袋を勢い良く上下に振った。

 がさがさと大きな音が鳴る。

 こら、と僕は眉間に皺を寄せて彼女の手から袋を取り上げた。

「乱暴に扱うな。粉々になるだろ」

「美味しいの、それ」

 ネネはポテトチップスを食べたことがないのか。

 僕は袋を見て、答えた。

「まあ……美味いといえば美味い。たまに食いたくなる味だな」

「食べてみたい」

 じっ、と僕の顔を見上げるネネ。

 それは、普段物静かで大人びた彼女が見せた、おねだりの顔だった。

 普通の男なら陥落してしまうだろう攻撃だが、三次元の女に興味のない僕にとってはただの子供の顔にすぎない。

 僕は小さくかぶりを振って袋を棚に戻した。

「駄目だ。余計なものは買わないって言っただろ」

「……食べたい」

 ネネの顔が明らかに落胆した顔に変わる。

 エメラルド色の瞳がうるりと潤んで光を帯びた。

 ……こいつ、泣き落としする気か。

 そういうことを何処で覚えてくるんだ、全く。

「資金には限りがあるんだ。何でもかんでも買ってたらあっという間になくなっちゃうだろ。我慢しろ」

「……櫂斗さん」

 つんつん、とシャツの袖を引っ張られる感覚。

 振り向くと、ミラが期待を込めた眼差しで僕のことを見ていた。

「私も食べてみたいです。その、ポテトチップスというお菓子」

「……だからな、余計なものは……」

「お願い」

 ………………

 縋るような目で見つめられ。

 僕は俯き、髪をくしゃりと掻いた。

「……ひとつだけだからな」

 僕、陥落。

 その目をするのは卑怯だよ、畜生。

 ミラとネネは小躍りしそうな勢いで喜んで、二人で仲良くポテトチップスの種類を選び始めた。

 結局ネネが最初に手に取っていたコンソメ味が気になったようで、それを買うことになった。

 まあ……二百円しないものだし、おねだりとしては可愛いもんだとは思うけどさ。

 これ以上は買わないからなと二人に念押しして、僕はさっさと菓子売り場を通り過ぎた。


 今回の買い物は、四千円ほどの金額になった。

 三人分の食費として考えるなら、まあ妥当な金額なんじゃないかと思う。

 会計を済ませると、レジのお姉さんからお釣りと一緒にチケットのようなものを渡された。

 何でも福引をやっているそうで、一等はワンダーリゾートの入場チケットが当たるとのことだった。

 ワンダーリゾートとは千葉県にある国内最大のテーマパークで、運営を始めてから三十五年経った今でも絶大な人気を誇る指折りの観光スポットなのだ。

 子供の頃に親に連れられて一度だけ行ったことがあるが、やたらと広くて人が多くてえらく歩かされたという記憶がある。

 そこの入場チケットが景品だなんて……結構豪華な福引なんだな。

 他にも酒とか洗剤とかが当たるらしいし、外れてもティッシュが貰えるらしいから、やってみるか。

 僕は二人を連れて福引がある一階の特設会場へと向かった。

 会場には僕たちの他にも何組かの客がいた。

 並んで待つことしばし。

 僕たちの番が回ってきた。

 福引は、チケット一枚につき一回引けるらしい。

 一等は……金色の玉か。

 まあ、一等の景品が欲しいわけじゃないけど。

 僕はスタッフにチケットを渡して、目の前にあるガラガラのハンドルを握った。

 個人的には酒が当たったら嬉しいな。荷物になるけど。

 こういうのは物欲を出すとかえって良い結果は出ないらしい。何も考えずに回そう。

 僕は息を吸って、一息にハンドルを回した。

 ガラガラガラ……

 派手な音を立ててガラガラが回転する。

 かつん。

 親指の先ほどの大きさの玉が受け皿に落ちて、転がる。

 それは、一見すると土色にも見える、くすんだ金色の玉だった。

「……へ?」

 僕は思わず、間の抜けた声を漏らしていた。

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