第17話 答えのカタチ
ふっ、ふっと上がる息を整えながら、僕は右手を懸命に前後に動かした。
ぼうっとした頭の中に浮かんでいるのは、愛する二次元世界の少女の顔。
頭の中で彼女の名を呼び、自分の名を呼んでくれる彼女の声を聞きながら、懸命に高みを目指して昇っていく。
「……ッ、あ……」
喉の奥から艶を帯びた声が漏れ出る。
とても小さなその声は、狭い風呂場の壁に反響し、僕の耳に届いた。
理性の糸が、切れる。僕の中で何かが弾ける。
これで最後だ、と思い、右手に力を込めて力一杯前に引っ張ると──
掌に熱い感触。指の間を伝って、白いものが床に流れ落ちていく。
はあはあと肩を上下させて、僕は達した瞬間の快感を噛み締めていた。
二次元世界の少女しか愛することができない僕にとっては、これが唯一の欲望の処理方法で、セックスだった。
そこには肉の悦びなんてない。心が満たされるための儀式のようなものだった。
それでも、構わないと思っていた。
二次元の世界で生きるとはそういうことなのだからと納得していたから。肉の悦びなんてなくても十分に生きていけると思っていたから。
三次元世界の扉を閉ざして──僕はそうして、今までを生きてきた。
それが、今になって、初めて。
僕という存在を欲してくれる三次元世界の人間が現れた。
そいつは電波な奴で、言うこと為すこと全てがぶっとんでいたけれど。
確かに、愛を知っていて愛を与えてくれる人間だった。
僕は、分からなかった。
一度三次元の世界に対して扉を閉ざしてしまった心で、どうやって彼女から向けられる愛に応えればいいのか。
僕は、分からなかった。
泣いている彼女の憂いを取り除いてやるにはどうすれば良いのか。
知ったような口ぶりで何を言っても、彼女の心を癒すことはできないのではないかと、思っていた。
本当に、分からなかった。
僕にとって、彼女にとって、何をするのが最良なのか──
僕は現実を捨てた人間だから。現実世界のことは、理解できないのだ。
「……僕は、分からないんだよ」
靴も脱がずに、その場に立ったまま。僕はミラに向けて言葉を紡ぐ。
「僕を求めてくれるあんたに、どんな応え方をすればいいのか……僕はずっと空想世界の中で生きてきたから、現実での受け答えの仕方が分からないんだ」
ミラは涙で潤んだ瞳で、僕のことを見ていた。
緑色の瞳に、僕の姿が映っている。
他の何も、彼女は見ていないようだった。
「僕は、あんたの想いには応えられない。今の僕には、そんな資格なんてないと思ってる」
「……櫂斗さん」
「……けど」
僕は深く息を吸って、真面目な顔を彼女に向けて、言った。
「いつか必ず、あんたが納得してくれるような答えを返すよ。あんたのために……僕の、ためにも」
抱いてくれと連呼する電波な言葉には答えるつもりはないけれど。
僕に向けてくれた純粋な想いに対しては、きちんと言葉を返そうと思っている。
それが……僕なんかを愛してくれた、彼女に対する礼儀だと思うから。
「待っててくれるか? その時が来るまで。僕の、傍で」
「…………」
ミラは、僅かに目を伏せて。
何かを考え込んだ後、再度僕の目を見つめて、頷いた。
「……はい」
にこりと、笑う。
それを見た僕も、ふっと笑みを口元に浮かべた。
それが──僕たちが着地した、今の僕たちが出せる結論だった。
「……さ、いい加減服を着ろ。あんたのその兵器みたいなおっぱいを見せられるのは気が落ち着かないんだよ」
ミラの背を押して、僕は靴を脱いで部屋に上がる。
肩越しに振り向きながら、ミラは普段の調子で僕に尋ねてきた。
「櫂斗さん……私、まだ晩御飯を何も作ってません。何が食べたいですか?」
「そうだなぁ……」
僕はしばし考えて、答えた。
「出前で蕎麦でも取るか。あんた、最近頑張って飯作ってくれてるもんな。たまには贅沢しよう」
「蕎麦って何ですか?」
「蕎麦は美味いぞ。あんたもきっと気に入ると思う」
僕とミラとの夕刻の時間は普段のようにゆったりと過ぎていく。
いつの間にか、二人が肩を並べて過ごすことが当たり前になっていたんだなと思いながら──
何もない時間が迎えられることに有難さを感じながら、過ごしたのだった。
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