第10話 心の写し鏡

「……ん……」

 寝言のようにぼんやりと発せられるミラの甘い声。

 僕はそれを、目の前で彼女の瞳を見つめながら聞いていた。

「……ふ……」

 彼女の唇から漏れる熱い吐息。

 それは部屋の静寂に溶けて消えていく。

 チッチッと規則正しいリズムで刻まれる刻の音が、まるで自らの心臓の鼓動のように聞こえる。

 ミラはぶるりと身震いして、何かを訴えかけるような目で僕を見た。

「櫂斗さん……」

 しっとりと汗ばんだ掌で、彼女の顔の横に立てられた僕の左腕に触れる。

 その掌は、ふるふると小刻みに震えていた。

 それは、必死に飲み込もうとしている彼女の声を表しているように僕には思えた。

「……私……嫌です。こんな……」

「今更何を言ってるんだ」

 僕は僅かに息を吐いて、それまで弄んでいた右手の動きを止めた。

「これは、あんたが望んだことだろう?」

 ぺろりと唇を舐めて、悪童のように意地悪な笑みを零し。

 僕は、立てた二本の指を深みへと突き立てた。

 彼女の全身がぴくんと跳ねる。彼女は目尻から涙を零して、啼くような声を上げた。

「……あ……ああっ……!」

「もっと聞かせてくれよ。あんたの声を」

 ぬるりとした感触を纏う指先を撫でるように滑らせながら、僕は彼女の耳元で囁く。

「その方が、僕も楽しい」

「……い……」

 かたかたと歯を震わせて、彼女は喉の奥から絞り出したような小さな声で、言った。

「……意地悪、です……私は早く……貴方が欲しい、のに」

 また一粒、涙が彼女の頬を伝って流れ落ちていく。

「指では、嫌です……! これ以上、意地悪しないで……!」

「…………」

 ふ、と息を吐いて。

 僕は、彼女の中に埋めていた指をずるりと引き抜いた。

 代わりに、ずっとそうされることを待っていた自身を入口にあてがう。

 長い愛撫ですっかり解れた彼女の肉は、吸い付くように僕の分身に絡み付いた。

「……そこまで言うなら……いいんだな? 本当に」

 こくん、と頷く彼女。

 僕は深く息を吸って、すっかり固さを帯びたそれをゆっくりと彼女の中に突き立てた。


「…………!」

 がば、と布団を跳ね飛ばして飛び起きる僕。

 どくどくと心臓が激しい鼓動を打っている。

 窓から差し込む朝の光ですっかり明るくなった室内を見つめて──僕は、今の出来事が夢であることを自覚したのだった。

 ……な、何でこんな夢を……

 妙に生々しくてリアルな夢。それは単なる夢と片付けるには余りにも鮮烈だった。

 夢は、心の写し鏡だと誰かが言っていた。夢に見たということは、心の何処かにそういう気持ちが眠っていることの表れであって。

 床に敷かれている空になった布団に目を向けて、僕は思った。

 ひょっとして、僕は無意識のうちに彼女をそういう目で見ていて……?

 まさか。僕は彼女を世話の焼ける厄介な奴だと思っているのだ。そんな考えなど持っているはずがない。

 ふと、股間にべたりとした嫌な感触を感じ、僕は下着の中に手を突っ込んだ。

 指先にべちゃりと触れる生温かい感触。

「…………」

 何だか凄く情けない気分になってしまい、僕は溜め息をついてベッドから降りた。

 ……洗ってこなきゃ……

 替えの下着を持って洗面所に行こうとすると、キッチンに立っていたミラが僕に声を掛けてきた。

「おはようございます、櫂斗さん」

「……あ、ああ。おはよう」

 さっき見た夢の内容が頭の中に残っているせいで、まともに彼女の顔が見られない。

 極力目を合わせないようにして、僕はさっさと洗面所に移動した。

 下着を取り替えてリビングに戻ると、ふわりと香るコンソメの匂いが僕の食欲を刺激した。

 ミラは、コンロの前に立ち火にかけた鍋を掻き混ぜていた。

 鍋を覗くと、丁寧に皮を剥かれて一口サイズに切られたジャガイモや人参がことことと煮られている様子が見えた。

「……これは……」

「昨日櫂斗さんが教えて下さったコンソメスープです。頑張って作ってみました」

 ……そういえば、昨日彼女に簡単な料理を幾つか教えたんだっけ。

 簡単な料理だとはいえたった一回指南を聞いただけで作れるなんて、彼女、意外と物覚えがいいんだな。

 ちゃんとジャガイモは芽を取ってあるみたいだし、コンソメの量も間違えていないみたいだし、これはなかなか美味しそうだ。

「……あんた、意外に器用なんだな」

 僕が素直にそう感想を述べると。

 彼女は嬉しそうに笑って、胸を張った。

「私、これでも国でお料理の特訓してましたから」

 フライパンを燃やした初日とは雲泥の差だな。

 きっと彼女は、下地はあるんだろうな。やることが電波で日本の常識とは噛み合ってないだけで、きちんと教えればちゃんと物事をこなせる程度の腕前はあるのだろう。

 食事が終わったら洗濯機の使い方を教えてみるとするか。

「今、よそいますね。櫂斗さんはテーブルで待ってて下さい」

「おう。ありがとな」

 僕は彼女に礼を言って、リビングに戻りながら着替えをするべく寝間着の上着を脱いだ。

 今日は、ゆっくりとした朝飯が楽しめそうだ。

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