第11話 小泉麗香
「小泉」
僕は一枚の書類を片手に相手を見上げた。
「此処の部分、ゼロが一個少ない」
目の前に立っているのは、一人の女子社員。
腰まで伸ばしたストレートヘアを空色のシュシュでふんわりと結った大人しそうな雰囲気の人物だ。つぶらな瞳が小動物のようで可愛らしい印象を受ける女である。
彼女の名は、小泉麗香。つい数ヶ月前に入社したばかりの新人で、部下というわけではないのだが僕が面倒を見ている若い子なのだ。
「ふぁ」
小泉は気の抜けた声を漏らすと、僕から書類を受け取って紙面をじっと食い入るように見つめた。
「そんな……ちゃんと見直ししたのになぁ」
「見直ししても間違いを見落としてたら意味ないだろ」
僕は溜め息をついた。
小泉の視線がちらりと書類から僕の顔に移る。
怒られるかどうかを伺ってでもいるのか。そんなことを気にするなら最初からミスのない書類を作ってくれよ、全く。
まあ、こんなのは怒るほどのものでもないけどな。
「作り直して持って来い。ゼロを直すだけだからすぐにできるだろ」
「ふぁい」
「空気の抜けた風船みたいな返事をするな。しゃんとしろ、しゃんと」
「はぁい」
やっぱり何処か力の抜けた返事をして、小泉は書類を胸元に抱え込んだ。
そして、そのままその場に停止する。
……何見てるんだよ。
「……どうした、棒立ちになったりして」
「あの、三好先輩」
小泉はすうっと息を深く吸って、言った。
「三好先輩、アニメとか詳しかったですよね」
「……仕事中にする話か、それ」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい。で、どうなんですか?」
一瞬しらを切ってやろうかと思ったが、僕が二次元愛好家だということは割と同僚の間では知られていることなので、誤魔化すのはやめにしておいた。
「……まあ、それなりに知識はあるよ」
「ゲームの方はどうですか?」
「ゲーム?」
僕は、ゲームに関してもそこそこ通じているところはあるが、別にヘビーユーザーというわけではない。
ゲームは基本的に時間と金がかかる遊びだからな。金をかけるのはフィギュアだけでいい。
「興味はないわけじゃないけど、遊んではいないよ。ゲームは金がかかるからな」
「でも知識はあるってことですよね」
小泉はぽんと手を叩いて、嬉しそうに笑った。
「そんな三好先輩にお願いがあるんですけど、今日のお昼御一緒していいですか?」
唐突な申し出である。
昼飯を一緒に食いたい……ってことは、その時に何らかのお願いをしてくるつもりなのだろう。
一体何なんだ。
僕は隣のデスクで仕事をしている青木に視線を送った。
青木は僕の視線に気付くと、親指を立てるジェスチャーを返してきた。この申し出を受けろと言っているらしい。
まあ、断る理由は僕にはない。話を聞いてみて厄介事っぽかったら断ればいい、それだけのことだ。
「いいよ。何の話かは知らんけど、聞くだけなら聞いてやるよ」
「やった♪」
小泉は小躍りしそうな様子で体をくねらせると、随分と軽い足取りで自分のデスクへと戻っていった。
話を聞いてもらえると分かっただけであの喜びよう。本当に何を僕に頼むつもりなのだろう。
僕は小首を傾げて、椅子に座る小泉の背中を見つめた。
「頼られてるなぁ、三好」
椅子の向きを反転させた僕に、青木が笑いながら小声で話しかけてくる。
僕は肩を竦めた。
「一体何なんだろうな。最近の若い子の考えることは分からん」
「単純に話がしたいんじゃないか? アニメとかゲームって、知識がないと会話が成り立たないものなんだろ?」
曰く。アニメ好き、ゲーム好きの会話は普通の人間にとっては宇宙語に聞こえるらしい。
宇宙語って大袈裟だなと僕は思うのだが、確かに知識がないと話ができないというのは事実だ。
小泉はゲーマーなんだろうか。ゲーム談義がしたくて、知識がありそうな僕を話し相手に選んだのか?
まあ、昼になれば分かることだ。大人しくその時を待つことにしよう。
僕は壁に掛けられている時計に目を向けた。
時計は十時五十五分を指している。
昼休憩は十二時からだから、後一時間か。
さ、仕事しよう。
うん、と腕を伸ばして、僕はパソコンで作りかけていた書類の作成を再開した。
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