第5話 同居

 ミラは入浴にあまり時間をかけないタイプのようで、二十分くらいして風呂から上がってきた。

 この家に予備の寝間着やスウェットがあるわけではないので、彼女の格好はワンピースのままだ。

 それでもきちんと髪や体の手入れはしているらしく、彼女からは石鹸の優しい香りがした。

 僕は机の上に並べていたフィギュアを置いたまま、くるりと椅子の向きを反転させて彼女の方を向いた。

「とりあえずそこに座れ」

 ベッドの上を指差す。

 彼女は僕が事に及んでくれることを期待しているのか、期待の篭もった眼差しで僕を見つめながら僕の言葉に従った。

 そんな目で見られても……やるつもりはないからな。僕は。

「あんた」

 溜め息混じりに、僕は話を切り出した。

「本気で此処に居座るつもりか? 僕があんたを抱くまで出て行かない気なのか?」

「はい」

 こくりと頷く彼女。

 その瞳には、迷いの色が一切なかった。

「私には、櫂斗様しか頼れる方がいません……エンケラドスに残してきた一族のために、私は何としても、貴方と子供を作らなければならないのです」

「だから、何で僕じゃなきゃ駄目なんだよ」

 僕は眉間に皺を寄せた。

「この世にいる男は僕だけじゃない。世間に出れば、それこそごまんと男はいる。その中には、あんたのことを喜んで抱いてくれる奴もいるだろうさ」

 金髪碧眼の美女、ともなれば、それこそ男はより取り見取りだと思うのだ。言葉は悪いと思うが。

 此処にずっと居座っているよりも、そっちの方が彼女の目的は早く果たされると思う。

 それを、わざわざ僕に執心する理由は一体何なのだろう。

 僕は彼女に迫られて嬉しいとはこれっぽっちも思ってはいないが、それは気になっていることではある。

「他の奴じゃ駄目なのか?」

「私は……」

 ミラの表情が僅かに陰を帯びた。

「櫂斗様でなければ嫌です。優しくて、私を受け入れて下さった貴方との子供が欲しいのです」

 相手が誰でもいいというわけではないらしい。

 彼女にも、それなりの考えがあるようだ。

 僕はほんの出来心で彼女を助けただけのつもりだったのだが……どうやらそれが、彼女の心にピンポイントで刺さってしまったようだ。

 ……全く嬉しくない。

 好かれることを嫌だとは思わないが、それで僕が喜ぶかと言われたらそれは別の問題だ。

 誰に何と言われようと、僕の理想の女は二次元の世界にしかいないのである。

 勘違いされては困るが、三次元の女が嫌だというわけではない。ただ、僕の性的嗜好が三次元の女にはそぐわないだけなのだ。

「何度も言ってるけど、僕にはあんたを抱く気はないし、あんたのその電波な話に付き合うつもりもない」

 深い溜め息をつき、しばしの間を置いて、続ける。

「……でも、毎日家の前で居座られるのも困る」

 毎日今日みたいなことをされると、捨てた猫に縋られるような目で見られているような気分になるのだ。

 それは、僕の精神衛生上宜しくない。気が休まらない。

 それならば、いっそのこと。


「……此処にいたければ、気が済むまでいればいい。あんたが飽きるまでは、相手をしてやるから」


 彼女の目が、射抜くように僕を見つめる。

 ……そう、その目だよ。他に縋れる者がいないと言うような、目。

 そんな目で見られるのが、嫌なのだ。

 僕が何とかしなきゃいけないって、そういう気にさせられるから。

「ただし、この家に住まわせるからには家のことはやってもらうからな。掃除、洗濯、料理……最初は分からないって言ってもいい、少しずつ覚えてもらう」

「……櫂斗様」

「あと、その『櫂斗様』って言うのもやめてくれ。僕はあんたの御主人様じゃないんだ。せめてさん付けで呼んでくれ」

 僕のことを御主人様と呼ぶのはメイドカフェのメイドだけでいいと思う。

 普通の──電波な時点で普通ではないのかもしれないが──女に御主人様と呼ばせて優越感に浸るほど僕は腐ってはいない。

「櫂斗、さん」

 ミラは僕の名を呼び、胸元に手を当てて、言った。

「私……頑張ります。お料理にお掃除、お洗濯も……一生懸命にやります! そして」

 ベッドから立ち上がり、大きな声で、宣言する。

「必ず、貴方に私と子供を作って良かったと思えるような女に、なってみせます……!」

 やっぱりそこからは離れないのか。

 どれだけ自分の作った設定を愛しているんだろう、彼女は。

 まあ、何でもいい。

 世間知らずの子供の同居人が増えたものだと思って、疲れない程度に相手をしてやろう。

 それが、僕や彼女にとって最良の選択なのだと、僕は思うことにした。


 こうして、僕とミラの共同生活の日々が幕を開けたのだった。

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