第6話 トラブルメーカー

 すずめの鳴き声が聞こえてくる。

 固い寝床で寝返りを打ち、毛布の中に包まれた温もりを心地良いとぼんやり思いながら、僕はゆっくりと目を開けた。

 朝か……

 ちょっぴり頭がぼーっとするのは、昨日ビールを飲んだからだろう。アルコールを摂取した次の日は決まってこういう状態になるのだ。

 まあ、動くのに差し支えはない。ちょっと倦怠感が体に残ってるけど。

 さて……洗濯するか。

 僕がのろのろと上体を起こそうとした、その時だった。


「きゃあああああッ!」


 脳味噌に直接突き刺さるような悲鳴が、僕の鼓膜を震わせた。

「!?」

 今ので一気に眠気が吹っ飛んだ僕は、目を見開いてその場に跳ね起きた。

 声のした方──キッチンに目を向けると、そこにはミラの姿が。

 何であの女がいるんだ……ああ、此処に置いてやるって昨日僕が言ったんだっけ。

 ミラは口元に手を当てて、おろおろと落ち着かない様子でコンロを見つめていた。

 コンロの上には、フライパンが載っている。僕が料理を作る時にいつも使っているフライパンだ。

 それが──紅蓮の炎に包まれて黒い煙を上げていた。

「ちょっ!?」

 僕は慌ててキッチンに駆け込んだ。

 火力全開になっているコンロの火を消して、フライパンに濡れた布巾を放り込む。

 幸い、火事にはならずにフライパンを包んでいた火は鎮火した。

「…………」

 ほう、と息をつく僕。

 背後に棒立ちになっているミラを、呆れた眼差しで見つめた。

「……朝っぱらから何をしでかしてくれてるんだ、あんたは」

「あ、あの……お食事を作ろうと思って……」

 しどろもどろに事情を説明し始めるミラ。

「お城の厨房とは違うし、竈も形が違うし……それでも櫂斗さんが昨日やっていたことを思い出して、何とか見よう見真似で火を使おうとしたら……」

「あのな、分からないなら無理してやろうとするなよ! あんた、同居を許した次の日に家を火事にするつもりか!」

 僕は髪を掻き毟りながら叫んだ。

 この女……色々普通じゃないとは思ってたけど、まさかコンロの使い方も分からないとは。

 地球の常識が分からない異星人だという彼女の話を一瞬だけ信じたくなった。

 この調子だと、今日いきなり家のことを任せるのは無理だ。空いている時間を使って一から仕込まなければ留守番として使い物になりそうにない。

 僕は脱力して、焦げた臭いのするフライパンを中の布巾ごと流し台に突っ込んだ。

「食事を作るのは僕がやるから……あんたは大人しくしててくれ」

「え……でも」

「家の中を目茶苦茶にされるのは御免なんだよ」

 しっしっ、と手を振ってミラをキッチンから追い出す。

 彼女はまだキッチンに未練があるようだったが、家主の僕の言うことは聞くべきだと思ってくれているのか、大人しくリビングに戻ってテーブルの前に座った。

 洗濯しようと思ってたけど……朝の食事を作る方が先だな。ミラを放っておいたらどんな事件を起こすか分かったものではない。

 彼女に食事を与えて大人しくさせている間に洗濯を済ませて、会社に行く準備をしよう。

 朝飯は……ゆっくり食べてる時間はないかもしれないな。

 僕は溜め息をついて、冷蔵庫の扉を開けた。


「それじゃあ、僕は会社に行くから。あんたは家で大人しくしてるんだぞ」

 出勤時間が来て。僕は玄関の前で律儀に見送りに来てくれているミラに言った。

「家の中の物には触るんじゃないぞ。変な使い方をされて壊されたらたまったもんじゃないからな」

「あの……御飯の仕度は」

「さっきコンビニで買ってきた弁当を渡しただろ? 昼はそれで済ませてくれ。変に料理とかしないでいいからな」

 僕は昼飯は基本的に会社の食堂で済ませているから弁当を準備する必要はないが、家に残すミラはそうもいかない。

 彼女が料理をしなくても済むように、近所のコンビニで買ってきた弁当とペットボトルのお茶を渡しておいた。これで今日一日は大丈夫なはずだ。

 夕飯は僕が会社から帰ったら作れば事足りる話だしな。

「帰ってきたら、コンロの使い方とか家の仕事を少しずつ教えてやるから。料理とか掃除とかをしてくれるのは、ちゃんと家の中のものを使いこなせるようになってからでいい」

 何だか大きな子供を養っている気分だ。

 実際、そうなんだろうけど。

「……それじゃあ、行ってくる」

 鞄の中にスマホが入っていることを確認して、僕は玄関のドアを開けた。

 その僕を、ミラは丁寧なお辞儀をしながら送り出してくれた。

「行ってらっしゃい、櫂斗さん」


 今まで一人暮らしだったから、無音の生活をするのが当たり前だと思っていたけど……

 こうして誰かに見送られながら会社に行くのも案外悪くないものだなと僕は独りごちたのだった。

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