第4話 受難は続く
「……ミラ?」
僕はゆっくりとミラに近付いた。
彼女は体育座りの格好をして、空を見上げていた。
僕が近付くと、それでようやく僕の存在に気付いたようで、僕に焦点を合わせたのだった。
「お帰りなさい、櫂斗様」
「な、何であんたが此処にいるんだよ」
彼女は、僕がそう言うのが意外だとでも言うように、首をことりと傾けた。
瞬きをして、三呼吸分くらいの間を置いて、答える。
「貴方が帰ってくるのをお待ちしてました」
「待ってたって……僕が此処を出たのは朝の八時だぞ。ひょっとして、ずっと此処でそうしてたのか?」
「はい」
さも当然のように頷く彼女に、僕は軽い眩暈を覚えた。
今は二十時だ。彼女の言葉の通りなら、彼女は僕が会社に出かけてから十二時間もの間、ずっと此処で身動きせずにいたということになる。
彼女は自分の荷物を持っていないし、ポケットもないワンピースの中に財布が隠されているとも思えない。ひょっとして、まともに食事もしてないんじゃないか?
「私は櫂斗様が私と子供を作って下さるまで此処にいると決めた身ですから。此処でお帰りを待つことなど苦でも何でもありません」
「……何て奴だ」
僕は頭を抱えたくなった。
外に追い出せば自分の家に帰るだろうと思っていたのだが、その予想はあっさりと裏切られる羽目になってしまった。
彼女には、並大抵ではない覚悟と根性があるらしい。僕にとっては至極迷惑な話ではあるが……
僕はやや乱暴に髪を掻いて、座ったままの彼女に言った。
「……とりあえず、立て。そこに居座られてると邪魔でしょうがない」
「では櫂斗様、私と子供を……」
「やらないからな」
僕はぴしゃりと言って、立ち上がったミラを横にどかして玄関の鍵を開けた。
かちゃりとドアが開き、真っ暗な部屋が僕を出迎える。
僕はミラに目配せをして、言った。
「ほら。中に入れ」
「宜しいのですか?」
「部屋の外にずっといられても困るんだよ」
半ば強引に彼女を室内に押し込んで、玄関のドアを閉じる。
明かりを点けて鞄を机の前にある椅子の上に置き、上着を脱いでベッドの上に放り投げ、キッチンへと向かう。
冷蔵庫を開けて、中を漁りながら僕は溜め息をついた。
「あー、こんなことならシリアルでも買っとくんだった。何もないよ、くそ」
ぼやきながら冷凍庫から出来合いの餃子を取り出して、袋を開けて何個かをフライパンの上に乗せる。
女ににんにくの入った餃子なんて出すべきじゃないのかもしれないが、本当に何もないのだから仕方がない。
全く……手間を掛けさせてくれる。
出来上がった餃子を盛り付けた皿と醤油をテーブルの上に置いて、僕は部屋の中央で突っ立っているミラに座るように言った。
「とりあえず、それ食え。朝から何も食べてないんだろ」
その言葉に反応したかのように、彼女の腹がくうと小さな音を立てた。
多分餃子だけじゃ足りないな。飯も出してやるか。
僕は冷凍庫から保存しておいた冷凍の白米を取り出して、レンジに放り込んだ。
ミラは餃子を物珍しそうに見つめている。
「……何見てるんだ?」
「これは食べ物なのですか? 面白い形をしてますね」
「別に餃子なんて今日び珍しくも何ともないだろ」
解凍が済んだ熱々の白米を予備の茶碗に盛り付けて、彼女の前に出しながら僕は肩を竦めた。
あれか。自分は異星人だから餃子なんて見たことないとでも言い張るつもりか。
もう、何でもいいけどな。彼女の言うことにいちいち付き合ってたらこっちの神経が持たない。
「ほら、あんたのために用意したんだから冷める前に食えよ。そして、食ったら風呂に入れ」
壁にある給湯器の電源を入れて、風呂の給湯スイッチを押す。
彼女が飯を食べ終わる頃には沸くだろう。
ミラはしばらく餃子をつついたりひっくり返したりして観察していたが、最後は食欲に負けたのか醤油もつけずに食べ始めた。
彼女曰く、香草の風味が独特で美味しい、だそうだ。
まあ、口に合ったなら良かった。
彼女が食事をしている間に、僕はスーツから部屋着に着替えて部屋に干してあった洗濯物の片付けに取りかかった。
本当は洗濯物は外に干したいんだけどな……夜まで洗濯物を外に放置しとくわけにはいかないし、こればかりは仕方がない。
休日って本当に貴重だと思う。
僕が洗濯物を片付け終えた頃に風呂が沸き、ミラの食事も終わった。
「美味しかったです。昨日のお料理もそうですが、地球人はこんなに美味しいお料理を毎日食べてるんですね。羨ましいです」
「あんたの国では、どんな食事をしてるんだ?」
投げやりにちょっと意地悪かと思える質問をぶつけてみると、彼女は空になった茶碗を見つめながら答えた。
曰く。エンケラドスでは小麦が主食で米といったものは存在しないらしい。小麦を粉にして練って固めたものが食事の主流で、あまり美味しいものではないとのこと。
あれか……麦芽クッキーみたいなもののことを言ってるのか。随分練られた設定だな。
彼女は油で少し色艶が増した唇を笑みの形に作って、言った。
「こんなに美味しいお料理を食べていたら……きっと良い子供が産めます」
「やらないからな」
僕はふんと鼻を鳴らして、空になった茶碗と皿を片付けた。
「ほら、さっさと風呂に入れ。後がつかえてるんだから」
腹一杯に食事を堪能して上機嫌のミラを風呂場に追いやって、僕は洗い物をするべく流し台の前に立った。
帰ったらやろうと思っていた楽しみのフィギュア鑑賞は……どうやら、まだしばらくの間はおあずけのようである。
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