第9話 迷いの月
もしもの話。それを考えてミコは首を左右に振る。
見つかると信じている。見つけなければならない。師からの最後の贈り物。それを無くすわけにはいかないのだ。
でも、もしも、見つからなかったら。
オーサに頼み込んで、オーサの宿で働かせてもらって、そしてずっとオーサと共に暮らす。
そもそも、だ。
ミコの占いでは湖にポシェットがあると出ていた。そして、その占いを信じ今日半日を費やした。しかし、見つからなかった。
ミコは今、王子付き占術師となるべく王都へ向かう最中である。その王子付きを目指す占術師が、こんなところでなくしものひとつ探すことが出来ないのであれば、試験になど合格できるはずもない。
ミコの歩みがだんだんと遅くなる。まるで帰宅することを拒んでいるかのように。
もしも、明日、見つからなかったら。
それもいいのかもしれない。
そう思ってしまった自分に嫌気がさす。ぎゅっと唇を噛みしめて、頭を振る。
こんなとき、師ならどんな言葉をくれるのだろうか。
しかし、どんなに考えても微笑む師しかミコは思い浮かべることが出来なかった。
気が付くとミコはオーサの宿の前に立っていた。ほんの数日。本来であれば今日旅立つはずだったこの宿。それでもこうして無意識のうちにたどり着けるくらいには、ミコにはすでに心の置ける場所だった。
昨日よりも早い帰宅である。入口から入ろうとすると中からざわざわと声がした。
それは注文の声と、それに応えるオーサの声。
日の沈みかけたこの場所はすでに夕時の賑わいがあった。
「ただいま戻りました」
人の多い場所へと飛び込むとき、ミコは必ず躊躇する。少しばかり震えたか細い声で、震える手で、そっと戸を開ける。
耳に付いた優しいベルの音。それがミコを安心させた。
「おや、ミコ。帰ったのかい?」
「おかえり」と笑うオーサに釣られ、ミコは目を細めた。
案の定、オーサの店は繁盛していた。決して広くはないその食堂を、オーサは所狭しと駆け回っている。
客人の誰もと親しい間柄なのか、時に軽口をたたきあう。その様子を見てミコはおずおずとオーサへと歩み寄る。
「あ、あの。オーサさん……っ、お、お手伝い、します」
小さなミコの声。しかしオーサの耳にはきちんと届いたようだ。オーサは驚いたように目を瞬かせると「いいの、いいの」と笑う。
「ミコはあくまで宿泊客さ。気にしないで空いている席に座りな。今夜はなにが食べたい?」
配膳を終え今度は空いた皿を運ぶオーサはそう問うも、そのまま呼ばれた席へと去っていく。
オーサの言うことは確かである。ミコは宿泊客であり、この宿へ居候しているわけではない。
ミコの師も、ミコがこうなることを見越してか、王都に向かうには十分すぎるくらいの金額をミコに持たせていた。故に働く必要なないのである。
しかし。
ミコは空いた席に座ることなく、再度オーサへと歩み寄った。
「わ、私は、オーサさんのお手伝いがしたい、です……!」
そう、はっきりと告げる。
なにかがしたかったのだ。ミコは。優しさをくれるオーサに、なにかを返したかったのだ。
「ミコ……」
必死なミコの表情に、そして言葉に、オーサはふっと笑みを零し、ミコの想いを汲み取った。
「それじゃあミコには配膳と、片付けを頼もうかね」
「はい……っ」
受け入れられた自分の想いにミコは安堵の笑みを見せた。
「それじゃあミコちゃんは王都を目指しているのか!」
オーサの店、そして客人は皆常連ということもあってか手慣れないミコをなじる客もなく、逆に懸命に奉仕する姿に誰もが微笑ましそうに眼を細め眺めていた。
「は、はい」
ミコもその優しさに触れ、おどおどとしながらであるがどうにか言葉を返していく。
「いやぁ、オーサの娘にしては大きすぎるし妹にしては繊細すぎるなって思っていたんだよ」
なにかに納得したかのようにこくこくと頷きながら言うその客人にミコは苦笑を返す。
「オ、オーサさんはとても優しくて、素敵な人ですよ」
「優しくて素敵、か……あれでもう少し淑やかさがあればなぁ」
「誰ががさつだって?」
ギン、とにらみつけるようにしてミコの背後に立ったオーサを見て、客人はそこまで言っていないと豪快に笑う。そんなやり取りを見て、店内が温かな笑いに包まれる。
その空気を感じ取り、ミコもついつい笑ってしまった。
「お、ミコちゃん。漸く緊張が解れたみたいだな」
「え?」
「ずっと顔が強張っていたからな」
ミコの様子を見ていた客人はそう言うとにんまりと笑い、席を立つ。
「ここにいつまでいるかは知らんが、あまり気負いすぎないようにな」
「え?」
「大丈夫。焦らずともなるようになるさ」
そう言って去り際にミコの頭を撫で、去っていく。ミコは片手で撫でられた部分に触れ、その背が見えなくなるまでその人を見送った。
自身の夕食も終え、誰もいなくなった食堂で座っているとミコの目の前に温かな茶が置かれた。
「あ、ありがとうございます」
ほんのりと甘い香りのするお茶にミコは心身ともに温かくなるのを感じた。
「いんや、こちらこそ今日はありがとね」
「助かったよ」と言って笑うオーサを見て、照れくさいような気持になる。
「い、いえ。なにか、お返ししたくて、それで……」
湧き上がる羞恥に俯き頬を手で抑える。必死だったからこそ気づかなかったが、あんなにも大勢に囲まれて、あんなにも大勢と話したのはミコ自身、初めてだった。
「でも、ここに来る人たちはみなさん、とても温かくて素敵な人ですね」
「そうかい?」
そうは言うがオーサも満更でもなさそうだった。きっとオーサのその人としての温かさが、温かな人を自然と引き付けているのだろう。
「……温かい、言葉をいただきました」
ミコは撫でてくれた手を思い出す。大きく、骨ばった手は師のものとはまた違う手だった。
「焦らなくても、なるようになる、と」
「……うん」
「ポシェットが見つからず、内心焦っていたので見透かされたような気持ちでした」
そう言ってミコは自らの胸の前で両手を組む。
「そうです。まだ、明日一日あるのですから焦ってはいけませんよね」
「そうだね……手伝いできなくて悪いね」
「そんな!オーサさんはとても優しくしてくださいます!……私の方こそ、全然恩も返せなくて……」
「いいんだよ。私が好きでしていることさ」
そういうとオーサは目の前のカップを両手で包み込んだ。
「……焦らなくてもなるようになる、か。そうさね。その通りさね」
「オーサさん?」
少しばかり翳りを帯びた瞳を見て、ミコは思わず声を掛ける。
「忘れていた私の昔の口癖さ。私自身も焦っていたのが見透かされていたみたいだね」
そう言ってオーサは一気にお茶を飲みほした。
食堂でオーサと別れたミコは、自らにあてがわれた部屋へと向かった。
「……お師匠様、」
部屋に入り、出窓から外を覗く。満月から一歩欠けた月明りが優しくミコへと降り注ぐ。
返事がないことを知りながら、ミコは師を呼ぶことがやめられなかった。
優しい場所、温かい場所。それはミコにとって師の、そしてノアの隣であった。
まさか外の世界でそんな場所に触れられるとは思っていなかったのである。
「私はどうしたらよいですか……?」
もちろん師から答えがあるはずもなく、ミコはそっと月から目を逸らした。
自らに力を与えるはずの月が、そんな月だけがミコの迷いを知り、そして静かに批難しているように感じられたのである。
ミコにとって月はもうひとりの自分だった。夜空に浮かぶ独りぼっち。誰かの力がなければ輝くことも出来ない存在。その鏡のような存在が批難していると感じるのであれば、それは即ちミコ自身が自分を批難しているということだ。
『もし、明日見つからなかったらどうするの』
そう問いかけた少女の言葉がミコの脳内をぐるぐると駆け巡る。
「どうするんだろう……」
明日、見つからなくとも、明後日の電車でなくその次の電車でもぎりぎり間に合うはずだ。
それは分かっている。ならば、焦らなくともいいはずだ。
諦めたくない、見つかると信じている。それもミコの本心ではある。
しかし。
もう見つかることはないだろう。
ここには居場所がある。
そう思ったのもまた事実であった。
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