第8話 さがしもの
へなり、と力なく座り込むミコを見て、少女は視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「……大丈夫?」
月が、近付いたように感じられた。ミコはじっとその瞳を見つめる。
元々人見知りな性質である。そのミコが初対面にも関わらず落ち着いて、こんなにも正面から見つめるということは本来ならありえない。
それでも不思議と視線を逸らせないのはやはり、その瞳の色に月を見たからか。
「ちょっと」
ジッと自らを見つめるミコに少女はたじろいだように視線を逸らす。
「そんなに見つめられるとさすがに困る」
そう言った少女の言葉にミコは我に返ると慌てたよう顔の前で両手を振った。
「ご、ごめんなさい…!」
そのままぎゅっと目を瞑ると両手で顔を覆った。指の隙間から見える頬はわかりやすいほど紅く染っている。
「その……あなたの、瞳が……月、みたいだったから」
「え?」
「とても綺麗で、見とれてしまいました……」
だからと言って、不躾に見つめてしまったことは不快だっただろう、とミコは改めて謝罪を告げる。
黒の少女はそんなミコからふいっと顔を背けた。
「別に、謝らなくてもいいけど」
そう言って少し俯いた。しかしその頬は微かに染まっていて、少女が照れているだけだということは見て取れる。
「あの、先程はありがとうございました」
「……別にお礼を言う必要なんてない。私の方が……あんなに驚くなんて思っていなかったから」
「い、いえ……!その、手も……引いてくれたし、」
ぐっと力強く引き寄せてくれた。そのおかげでミコは湖に落ちずに済んだのだ。
身体の浮遊感。そして衝撃。昨夜の出来事が思い出され、ぶるりと身震いをする。
「……ここで何をしているの」
「あ……」
少女の問いかけにミコは気まずそうに俯く。
ゴドゥム湖はディエフの人にとって神聖で、足を踏み入れることは滅多にないと聞いている。少女の質問は、咎めによるものなのだろうか。
「探し、ものを……」
「探し物?」
少女は怪訝そうに眉をしかめる。元々上がっていた目尻が更に上がった気がした。
「……ご、ごめんなさい。ゴドゥム湖は、ディエフの人にとって神聖な地であるはずなのに」
「別に怒ってない」
少女は困惑したように眉尻を下げると頬を斯いた。ミコはというと、逃げ出したいという強い欲求からかフードを被り直し顔を隠す。
「……ここにあるのは広大な湖だけ。探すようなものが思いつかなかった、それだけ」
少女はそう言ってミコの前へ座るとスっと湖を指さした。ミコは釣られるようにして視線をあげると、背後にある湖を振り返る。
「見渡しても水と草と木々だけ」
「……」
ミコはぎゅっと唇を噛み締めた。
「だからもし、探し物、人手が必要なら手伝おうか」
少女の思いもよらない申し出にミコは彼女を振り返る。
「え?」
ミコが素っ頓狂な声を上げ首を傾げると少女は「必要ないならいい」と素っ気なく言い放つ。そんな少女にミコは慌てて首を振る。
「た、助かります……!」
広大な湖を前に途方に暮れていたのだ。少女の申し出はありがたいことこの上ない。少女は「分かった」と頷くとこてんと首を傾げる。
「何を探しているの」
「あ、ポシェット……なんです」
「ポシェット……」
「はい。これくらいの大きさで、斜めに掛けられて、色は水色の……」
ミコは手で大体このくらいの大きさで、と懸命に説明をする。少女はただ静かにその様子を見つめた。
「……分かった」
ミコの話が終わるのを確認してそうひとこと呟いてから少し離れると草を掻き分け湖畔を探し始める。
沈黙が降りる。その沈黙に少しの気まずさを感じながらも黙々と探していく。
暫くすると少女が小さく口を開いた。
「どうして……ゴドゥムに来たの」
「え?」
「ディエフの人は滅多にゴドゥムに来ないから。あんたがなんでここに来たのか分からない」
ここでなくしものをしたということは、今日よりも前にここにきていたということでしょう、と問われた。
ミコはピタリと手を止めると少しだけ気まずそうに俯いた。そして、視界を狭めたままのフードを外す。うつむき加減だった上体を起こすと黒の少女と目が合った。
「この、ゴドゥムの湖水が欲しかったのです」
「湖水?」
なぜそんなものを、と少女の目が怪訝に細められた。そんな少女の様子を見てミコは順を追って話す。
自身が占術師であるということ。ミコの占術は月の力の宿った聖水を使うのだということ。だから、月の伝説があるこの湖の水を使いたかったということ。
聞き終えた少女は口を開く。
「ゴドゥムの、月の伝説……?」
「え?あ、はい。図書館で調べて……」
「そう」
少女は少し考え込むように黙り込む。それ以降言葉を紡がない彼女を不思議に思いながらミコは捜索を再開する。
昨夜ミコが湖に落ちた場所から街と湖を繋ぐ森の手前まで範囲を広げて。
「……ねぇ」
熱中していたから気付かなかった。急に近くから声が聞こえてびくりとミコは肩を震わせる。そんなミコを見て少女は眉間に皺を寄せた。
「あんた、何をそんなに怯えてるわけ?」
「……」
少し話しかけただけ、それだけでこんなにも怯えられると少女にとってもあまり気持ちの良いものではないのだろう。
たじろぎミコは自らの汚れた指先をぎゅっと握りしめ、「えっと」と声にならない声を漏らす。
「私が怖い?」
少女の問いにミコは戸惑った。
知らない人は怖い。初めて話す人は怖い。そう言った意味では目の前の少女だって怖い。しかし、それを怖いとだけ告げることは戸惑われた。
「……私、人が、怖くて」
「人?」
こくりと頷く。初対面の少女だ。それなのに師にも、ノアにも言えなかった言葉がぽつり、ぽつりと出てくる。ミコの小さな世界に関係の無い人だからこそのことなのか、わからない。
しかしミコが懸命に紡ぐ言葉を少女も真剣に聞く。
「人は……話している言葉と、心の中で思っていることが、違うことがあるから」
ぎゅっと拳を握りしめる。
「本当は……できる限り誰とも関わらずに、話さずに、暮らしたかったのですが……」
「お師匠様?」
少女の言葉にミコは頷く。そしてじわりと浮かんだ涙を指で拭った。
「……本末転倒」
「え?」
「お師匠様といるために占術をしてきたのに。その占術故にお師匠といられなくなるなんて、そういうことでしょう?」
少女の言葉にミコは息を飲んだ。その通りだと頷きながら、唇を噛み締める。師の傍にいたいからこその選択が師を遠ざけた。少女の言う通り本末転倒である。
「……」
黙り俯いてしまったミコに少女はため息をひとつ吐くと「話しかけた理由はそんなことじゃない」と話を切りかえた。
「ゴドゥムの伝説って、どんな伝説?」
「え?」
「教えて」
ミコは首を傾げた。ゴドゥム湖はディエフの人にとって特別な湖。そのゴドゥムの伝説について少女は知らない、ということだろうか。
もしかして少女はディエフの出身ではないのだろうか。
そう考えればここにいることにも納得がいく。知らないからこそここに足を踏み入れているのかもしれない。
そう当たりをつけて、ミコは自身が図書館で調べたゴドゥムの伝説について語った。
それをまじまじと、真剣な顔で聞いていた少女の表情がミコの話が進むに連れ険しくなる。
なにかおかしなことを言っているのだろうか。段々と不安になっていく。
「あの、」
「……違う」
「え?」
「狼じゃない」
そう、少女はきっぱりと言い切った。
「その伝説のせいでディエフは狼の街だと言う人がいるけれど、違うんだ」
「あの、」
「ディエフは狐の街だ。狼じゃなくて、狐なんだ。伝説だってそうだ。……狐と、月の女神の悲恋。そして二人の橋渡しをしていたのが月の女神の使者、黒猫」
「黒、猫……」
その言葉に不意にミコは昨夜オーサから聞いた話を思い出した。ディエフの街で虐げられた、黒猫族の話を。
「私の知っている伝説と、違う」
そう言ったきり少女は黙りこくる。これ以上そのことについて話すつもりがないとでも言うように、少女は地面を睨みつける。
そんな少女に首をかしげながらミコは自分の周りを探った。
捜索は日暮れまで続いた。ミコも少女も捜索範囲を広げ、辺りが見えなくなるぎりぎりまで探す。
ふぅ、とひとつ息を吐いた少女が立ち上がる。
「……今日はもう打ち切ろう」
「えっ。でも、」
ミコの中に生まれたのは焦燥だった。ゴドゥムの湖は広いとはいえ、自らのいた範囲はたかが知れている。なんだかんだすぐにでも見つかると思っていたのだ。なのに、見つからない。
日が暮れかけても見つからない。
「ここは、月が明るいですし……まだ、探せます」
ミコはきょろりと辺りを見渡した。満月から一日経ったとはいえまだまだ大きな丸い月だ。辺りは十分に見渡せるほど明るい。
「だめ。効率が悪い」
しかし、少女はそれを受け入れない。
少女には少女の都合があるのだろう。そう当たりをつけてミコは口を開く。
「今日は、ありがとうございました。あの、私はもう少し探すからあなたは……」
「だめ。終わるの。私も、あなたも」
昼の空気がいつの間にか消えていた。周りはミコを歓迎する夜の空気となる。
真剣な少女を見上げ、ミコは立ち上がる。
ジッとミコを見つめる黄色い瞳はなにかに怯えているようにも見える。
「あの、」
「明日、またここで。一緒に探す」
「!」
少女の申し出にミコの表情が明るくなる。一人よりも二人、人手があった方がミコも嬉しい。しかし。
「で、でも、いいのでしょうか……?こんなにお手伝いをしてもらっても、私……」
なにも返せるものがない。そう言ってしゅんと俯くと少女は「別に」と素っ気なく言い放つ。
「どうせ、暇だから」
そう言ってふいっとミコから視線を逸らす。
「あ、あの、ありがとう、ございます……」
ミコの声に背を向ける。
薄らと霧が出てきた。少女が霧に飲み込まれていく。
「あ」
姿が見えなくなりかけたとき、少女が振り返りもせずミコに問う。
「……もし。もし、明日見つからなかったらどうするの」
「え」
「ポシェット」
「……」
どくん、とミコの心臓が大きく鳴った。それは考えたくもない最悪の事態。見つからないということはまた列車には乗れず、今度こそ王都に着けない可能性も出てくるということだ。
「み、見つけます……」
「だからもし、の話」
もし、見つからなかったら……。
その先を思い、かたかたとミコの手が震え出す。
師の最後の贈り物。それさえ守ることが出来ず、アルペールに帰ることも出来ず、どうするのだろうか。どうしたら良いのだろうか。
黙り込んだまま俯いてしまったミコに少女は強く問う。
「ここに、残ってくれるの?」
息を呑んだ。声にならない声を出し、口を開け、ミコは顔を上げる。
「……っ」
答えが出ないミコを置き、少女は足早に立ち去った。
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