3

 昼休み、またベンチに集まっていると毎年行っている夏の旅行に岬くんは参加しないと言って、わたしだけじゃなくてみんなが驚いた。


「そんなにバイトが忙しいのか?」


「結構家計が苦しい」


 表情ひとつ変えずに言ったけれどさすがにそれは嘘だなとすぐに見破れた。


「最近サークルの出席率低いけど彼女できたか?」


 豊橋くんがからかうように訊いた。また、表情ひとつ変えずに「まさか」という。


「きょうの飲み会は行くから」


 岬くんの首すじに薄い赤い痕があった。時期的に虫刺されかもしれない。頭の中に浮かんできてほしくないひとが浮かぶ。こんなに正しいひとがあのひとと、付き合ってるわけない。


 ゼミの飲み会はだいたい火曜日に行っていて、フットサルサークルという看板は立派だけどフットサルなんて遊び程度にしかやっていなくて、飲みサークルなので飲み会が中心だった。岬くんは家が遠いからいつも十一時には先にあがる。オールしようと引き止められるひともいるけれど岬くんは帰ることが許されるひとだった。きょうは岬くんが十二時を過ぎた頃「そろそろ帰るわ」と言った。


「おう、お疲れー」


 みんながそう声を揃えたけど、わたしは彼を疑ってしまった。わたしみたいにみんな、岬くんのことを考えていないのかもしれない。彼が店を出て行ってからしばらくして「トイレに行く」と言って靴を履いて店を出た。


 走って追いかけるとまだ岬くんは目の前を歩いていた。


「岬くん」


「何、どうした? 俺、なんか忘れた?」


 息を切らしてるわたしを見ても笑わない。


 大通りの裏にある居酒屋だったからひとはいないし、街灯もなく暗い。近くにある別の店の明かりのおかげで彼の顔がわかる。


「いや」


 わたしは目をそらした。もう何を言えばいいのかわからない。


「終電は? もうないよね?」


「なくなった。だから、友だちの家に泊めてもらう」


 確かに彼は「帰る」と言ったけれど「終電だから」とは言っていないから嘘はついていない。


「安斎くんとこでしょ」


 岬くんは表情をひとつ変えず、誤魔化すようにも笑わない。瞬きを一回して「あのさ」と言った。


「みどりはなんでそんな、俺と時雨のこと気にしてるの。茂田に頼まれたの? 俺らのこと嗅ぎまわれって」


「まさか」


 将がわたしにそんなことしろというはずない。


 表情を変えないのに、空気でいま少し怒ってるというのがわかる。だからこそ怖かった。やってしまった。嫌われるようなことをしてしまった。でもいい。もういいんだ。


「俺は時雨のことが好きだよ」


 戸惑う様子ひとつなく、そう言った。頭を殴られた後、ああ、そうかと諦めと納得と徒労感が一気に押し寄せてきた。


「誰にも言いたくなかった。言ったらみんなからかうだろ。ほんとうに好きだからからかわれたくなかった。だから、知っても誰にも言わないでほしいし、俺たちのことは気にしないでほしい。近況とか、きかないでほしい」


 岬くんがこんなにたくさんのことを要求してくるのははじめてのことだった。酔っぱらっているからかもしれない。


 安斎くんもきっとそうだったんだろう。ほんとうに好きだからそれだけはからかわれたくなくて、気にされること自体が迷惑だったんだ。


「どうして……。安斎くんのことが好きなの?」


 岬くんの上唇と下唇がはっきりと塞がった。次に唇が開くのが、恐かった。


「別に俺は、ゲイじゃないんだけどさ」


 そうひとこと呟いてから次のことばを続けた。


「みんな誤解してるけど、あいつ、ほんとは優しくていいやつなんだよ」


 岬くんはあの日のような穏やかな顔になった。


「一緒にいると、安心する。大事だって、思う」


 羨ましくてまた、彼のことが憎い。


 好きだと言っても岬くんは絶対断ると訊いても逃げずに告白すればよかった。どうして逃げてしまったんだろう。


「あの画像のことは? あの、男のひとたちとの画像」


「過去は、消せないだろ」


 恐ろしい速度を持った何かが心臓に刺さった。


「俺はアイツみたいにひとに言えないようなことしてきてないけど。いまの時雨がどういうひとなのか、そっちのほうが俺には大事だから」


 岬くんは優しい。それに比べてわたしは最低だ。少しでも岬くんがあのひとのことをきらいになればいいと思う気持ちがあって言った。だけど岬くんは、わたしたちが知らない安斎くんのことを知って、それでも好きだと思っているんだろう。こんな彼のことをからかうやつが出てきたらわたしは絶対に許さない。


「岬くんも、安斎くんとああいうことしたの?」


 岬くんは焦る様子ひとつ見せなかった。もう少し、わたしの言うことで困ってよ。


「ああいうことはしてない」


 そう言いきったけど、どんなことならしたんだろう。


「もう俺らのこと気にするのやめてくれ。時雨にも俺の話題出さないでくれ。お疲れ。じゃあな」


 丁寧にそう言って彼は前を向いた。


「もし言ったら?」


 わたしのことばでもう一度振り返った。ああ、好きだ。岬くんが、大好きだ。


「言わないだろ」


そう制されると、絶対に言えるわけがない。


 岬くんが残した風が熱を持って体にへばりついてきた。こころの中に傷が出来て冷たくなって、そこに体温より低い血が流れている気がした。――少しだけ嬉しいと思ってしまったのは、わたしと彼の中にしかない秘密が生まれた。そんな気がしたから。


 わたしはみんなのところに戻り、最後まで飲み会にいた。その後、将の家に泊まって、セックスした。男の同士のセックスなんて興味ないし、見たくないけれど、きっと岬くんは大事に大事に安斎くんを扱うんだろう。わたしは安斎くんになった気持ちになって、将を岬くんだと思う。でも絶対違う。想像したところで、将は岬くんにはならない。息遣い、腰の振り方、性器の大きさ。どれも絶対に岬くんとは一致しない。それよりも、わたしの醜い貌は、あんなにきれいにつくられた安斎くんになんてなれない。折角女に生まれたのに、好きな男のひとから逃げたわたしはなんて最低だ。安斎くんは可哀相でもなんでもない。神様はどうして気に入ったひとにはこんなにたくさんのものをあげるんだろう。でも安斎くんが男だからって岬くんと関わる女をすべて妬むのであればそれは可哀相だ。どうにかしてわたしは彼を下にみたい。こんなこと考えても意味ないのに。

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