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四号館と三号館の渡り廊下を歩いていると三号館の入り口で安斎くんと岬くんが話していた。思わず、足を止めてしまった。安斎くんは後ろから見ても女の子みたいだ。わたしから見える岬くんは首を曲げ、顔をあげている安斎くんを気遣いながら話しているように思った。
非常に穏やかな顔をしていた。いつも、穏やかだけど、その数倍。眩しいものを見るように目を細めている。安斎くんのひとことで岬くんが笑った。わたしはゆっくり後ろ歩きで下がっていった。岬くんが笑うのを見るのは随分久しぶりだった。
安斎くんが「じゃあね」と言って、こちらを向いて歩き出したとき、世界中の幸せをひとつに集めたような顔をしていた。そんな安斎くんの顔もはじめて見た。わたしに気づかず、すれ違う。岬くんは三号館の中へ歩き出した。
付き合っていなくても、岬くんが安斎くんのことをほかのひとみたいに下品に扱っていないのは確かだった。誰にも見せない顔をして笑う。それはともかく安斎くんは確実に岬くんのことが好きだ。きれいなひとがさらにきれいに笑うなんてずるい。
数日間、その映像が頭に浮かんで何度も再生された。別に隠さなくていいと思うけれど実際、同性同士で付き合っているということは周りに知られるとややこしいことなんだろうか。周りにそういうひとがいなかったからわからない。もしかするといたのかもしれないが、彼らは気づかれないように静かに生活していたのかもしれない。
わたしは最初の日から一週間後、女の子の日が終わったからと言って将とセックスしてみた。やっぱりいいものではなかった。その三日後、ほんとうの女の子の日が来てしまって、それから数日はそれとなしに将を避けるようにした。
陽射しがだんだん強くなっている。日焼け止めを一生懸命に塗っているけれどいつかそれを破って肌が黒くなる気がする。中のほうが涼しいのになんで外で集まっているんだろう。
わたしがベンチの前に行く頃にはもう既に何人か集まっていたけれどスペースが空いていたのでベンチに腰を掛けた。
しばらく授業の話やサークルのみんなで夏休みに行く旅行のことを話していたけれど、
「また安斎、岬のこと見てる」
と誰かがそう言って岬くん以外の全員が窓の方に視線をやった。それに気づいた安斎くんは移動してしまった。
「いつもお前のこと見てるよ。この前もグラウンド来てたし」
豊崎くんが笑いながら岬くんにそう言った。
「嘘だろ」
岬くんはひとごとのようにそう言った。
「ホモに好かれるなんてマジウケるんだけどー」
市沢くんがそう言うとみんなが大笑いした。岬くんはやっぱり笑わない。
「あ、てか、俺あの子のエロ画像持ってるよ」
高松くんが携帯電話を取り出し、隣に入る豊崎君に見せた。
「ああ、一時期超出回ってたじゃん。見たことあるよ。キモイな、消せよ」
将も近寄って画面を見た。
「うわ、やばくねこれ。ハメ撮りじゃん」
「ふたり相手とかやば」
みんなが豊崎くんに見せた。わたしも近寄って見る。頭の中が真っ白になった。似てるひとでしょ? とは言えない。紛れもなく安斎くんだ。だってこんなにきれいなひと、ほかにいないんだから。全裸の安斎くんが男性に後ろから突っ込まれて、口では別の男のひとのものをくわえている画像だった。それだけならまだしも、安斎くんは嬉しそうな顔をしていた。
「岬も見ろよ」
将が誘うけれど岬くんは断る。
「いや、いいよ俺は」
わたしは体を退いてベンチに座りなおした。気持ち悪い。付き合ってるなんて絶対嘘だ。汚い。汚い。汚い。わたしはもう安斎くんのことをきれいだと思えなくなりそうだった。こんなことをするひとが岬くんの前で笑わないでほしい。
その日、ちょうどゼミで安斎くんの向かいの席だった。安斎くんは基本的に誰とも目を合わせないようにしている。感じの悪いひとだ。嫌だと思いはじめれば、彼のすべてが悪く思えるから不思議だ。
「ここについて安斎くんどう思いますか」
「はい」
教授にされた質問に戸惑うことなく、答える。安斎くんは男の子にしては少し高めの声で、語尾を伸ばさず喋る。わたしがわからなかった質問をすらすら答えてみせた。神は好いた相手になら何物でも与える。
ゼミ室を出ると岬くんが壁に寄り掛かって立っていた。携帯電話を見ていてわたしには気づかない。
「岬くん」
声を掛けると顔をあげ「よぉ」と言った。後から出てきた安斎くんがまっすぐ岬くんに近づいた。岬くんが彼の視線に気がついて一緒に歩きはじめた。ずるい。憎い。すべてのマイナス感情を以てしても安斎くんのことを制せない。あんなことしてるくせに岬くんと関わろうとするなんて厚かましいひとだ。
「みどり、じゃあな」
安斎くんが甘え成分の中に怒りを混ぜた声で「来なくていいって言ったでしょ」と小声で言った。小声だったのにしっかり耳に入ってきてしまった。
「大学では一緒にいたくないんだから」
なんでこういうとき、聞きたくないことばが耳に入ってくるんだろう。この前だって渡り廊下で一緒にいたじゃない。あなたたちはじぶんたちのことしか気にならないから気づかなかったかもしれないけれど、わたしは、見てたんだから。
最後の授業をサボって将の部屋に行ってベッドに寝転がる。将のやっているゲームの音が耳の中でうるさい。
大学では一緒にいたくないということは、大学以外では一緒にいるということかもしれない。
「安斎くんのことどう思う?」
「え?」
将の上半身が激しく動いている。カーレースのゲームをやっていた。あなたが動いたからって、車が思い通りに動くわけじゃないんだから。
「この前から時雨ちゃんのこと気にしてるけどお前、時雨ちゃんのこと好きなの?」
「んなわけないでしょ、あんなひと!」
思わず、大きな声を出してしまった。
「あー、もう、お前の所為でスリップしたー! もう。驚かすなよー」
「気持ち悪いよね、安斎くん」
「可愛い顔してんじゃん」
「だってお昼に画像、見たでしょ」
「ああ。あれは確かに気持ち悪いよな。つか、珍しいよな岬。フツーに仲いいんだって」
ほかのひとから“仲がいい”という表し方で二人の関係をきいたのはじめてだった。
「そうなの?」
「偶に家行くって言ってた」
「それって」
「別に安斎がゲイだからって男友だちくらいはつくるだろ。俺もお前ら付き合ってんの? って何回か訊いたけど否定するから違うんだろ」
将はゲームの本体のスイッチをオフにした。
「岬は優しいから、偏見なく仲良くできるんだろ」
岬くんは優しいひとだ。授業で教科書を忘れたら見せてくれるし、サークルの飲み会のときは割り切れないとき多めに出してくれる。ひとの悪口を言っているのをきいたことがない。
「ほんとにいいやつだよ、岬は」
将がそう言うとわたしはますます諦められなくなる。わたしが好きなひとが岬くんだと知ったら将は彼を悪く言うだろうか。それもしない気がした。
「将も、いいやつだよ」
そう言うとほんとか? と笑う。岬くんと違ってよく笑う。勢いでキスをされて、防衛本能ですぐ目を閉じた。想像の中でも、岬くんとキスをしていると思いたい。こんないいやつに愛されているのになんてひどいやつなんだろう。わたしは。
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