其の伍

 それと同時に雪雅が部屋に入ってきて藤花の額に札を貼りつける。藤花の体から力が抜け、その場に倒れ込む。

「藤花! 雪雅、貴様! 妹に何をした!」

 あとから入ってきた蘇芳が雪雅の胸倉を掴んで怒鳴る。そんな彼に心底面倒臭そうに雪雅は口を開く。

「眠っただけだ。それにしても、この姫はどうした? 突然嫌な気配を発しだして驚いたぞ」

「わからない。だが、このままにもしておけない。蘇芳、彼女を運ぶぞ」

 真澄に言われて蘇芳は渋々と頷いた。藤花を寝床と運び、あとを女房に任せて3人は蘇芳の部屋に移動した。

 そして、話の内容を共有した。

「なんと、藤花がそんな夢を……。信じられぬ……」

「お前はそうだろうな。だが、人なんて胸の内に何を秘めてるかなんてわからないものさ。あの姫様それが今回夢に出て来たってだけだろう」

 初めて聞く妹の一面に蘇芳は雪雅に怒鳴る気力を失うほど気を落としている。

「藤花殿はだいぶ参っているようだな。ここはしばらくそっとしておいた方がいいかもしれん」

「いや、待て。お前の笛を聞いて心が軽くなったはずなのに、話の途中で嫌な気配を纏い始めた……。これは不味いかもしれない」

「雪雅、私の笛は大したものでは……」

 そう言いかけて真澄は止まった。

 夢。被害に遭った家中の男は夢見が悪いと言っていた。ということは何かしらの悪夢を見ることが予兆という可能性ではないかと思い至った。

 話を聞いた二人も一理あると頷いた。

「だとしたら、俺と真澄にもその予兆が出てるな」

「待て。だが、香りはどうなる? 被害者は何らかの理由で匂い袋を所持していたのだろう?」

「香りなら姫様の部屋に炊かれていたやつだろうよ。お前も今夜は覚悟していたらどうだ?」

 小馬鹿にする雪雅に掴みかかろうとする蘇芳を抑えながら真澄は話を進める。

 被害者である男はどんどん鬱になり引き籠り始める。引き籠っていたのに外に出たのは何かに引き寄せられているのではないかと思いつく。

 しかし、これは憶測。確実なものがないので何も手を打てなかった。

 今夜は蘇芳の邸で夕餉ゆうげを相伴させてもらった。食事中も蘇芳と雪雅の言い合い、蘇芳が一方的に物を言っているだけだが、それがなくなることはなかった。

 蘇芳から灯を借り、邸を出る。雪雅と共に帰路を歩く真澄はふと違和感をおぼえ、足を止めた。

「待て、雪雅。何かが聞こえる」

 雪雅も足を止め、耳を澄ませ眉間に皺を寄せた。

 それは赤子の泣き声のようなもので、徐々に二人の耳にうるさく響いてくる。強く吹いた風により灯火の火が消え、辺りは暗くなる。

 ぐううと獣が唸るような声がする。

「気をつけろ。すぐそこにいるぞ」

「あぁ」

 検非違使庁から直接蘇芳の邸に訪れたので直刀は所持している。柄に手をかけ、いつでも抜けるように構える。

 唸り声が大きくなり、暗さに慣れてきた目に大きな影が見える。ぎらぎらと輝く二対の目は鬼灯のように赤く光っている。

 その時、月にかかっていた雲が晴れ、その姿が見える。毛むくじゃらの身体、刃のような鉤爪を持った四肢。その顔は醜く歪み、目は飛び出して口は耳まで裂け、鋭い牙がカチカチと音を鳴らしている。

 鬼は二人に向かってその鋭い爪を振りかざした。真澄は避けることが出来たが、雪雅は腕を切り裂かれ、そこから血が流れる。

「まさか、陰陽寮で噂になっている鬼に出くわすとはな」

「言っている場合か! 動けるか」

 片腕を抑えながら平気だと笑っているが額には油汗が浮き出ている。その様に真澄は歯を食いしばり、直刀を抜き、鬼に向かって斬りつける。

 鬼がのけぞったのと同時に雪雅が剣印を構えて術を放つ。

 雪雅の力に当てられた鬼は動きが鈍くなった。その隙を逃さず、直刀で鬼の頭目掛けて突き刺す。しかし、寸前のところで鬼が動き、頭ではなく片目に突き刺さった。

「ちっ」

 思うように決まらなかった苛立ちが舌打ちに現れる。

 鬼は唸り声をあげながらもがき苦しむ。鋭い爪の餌食になる前に真澄は鬼の片目から直刀を抜き、距離を取る。

 片目を抑えた鬼は忌々し気に二人を睨んで夜闇に姿を消した。

 直刀についた血を掃い、鞘に納める。そして、怪我をした雪雅に駆け寄る。

「雪雅、腕を見せろ」

 有無を言わさない声に雪雅は素直に従った。血は流れているがそれほど深くなく、手当てをすれば大丈夫な傷だった。

 二人は蘇芳の邸に戻り、事情を説明し再び上がらせてもらう。蘇芳は驚いたが、事が事なので急いで手当の道具を用意させた。手当ての後、鬼が出たことを蘇芳に説明する。

「鬼、か。上に言ったところでどうにも出来んな。それは陰陽師の専門だ」

「返す言葉もないな。まぁ今夜占ってみるさ。ついでに、お前たちが関わっている件についてもな」

「……まぁ、襲われたと聞いてこのまま返すわけにもいかん。二人とも今日は泊まれ」

「いいのか? 蘇芳」

 申し訳なさそうに聞く真澄に、構わんと断言する蘇芳。それぞれ案内された部屋にて夜を過ごす。

 今は亡き蘇芳の叔父が使っていた六壬式盤りくじんちょくばんを借り、雪雅は考えていた。

「…………これは、少々面倒なことになりそうだ」

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