其の弐

 翌朝、真澄は出仕しゅっしすると同僚の蘇芳すおうが深刻な表情を浮かべて近づいてきた。

「どうした? 随分と深刻そうな顔をしているが」

「真澄か。実は今朝、妹の藤花ふじかが……」

 蘇芳の話では出仕前支度を整え、さて家を出ようとしたところに女中じょちゅうに呼び止められた。要件は妹、藤花の気の病が少し悪化したということだ。

藤花は気性の浮き沈みが激しく、精神的に不安定な人物だった。しかし、近頃は落ち着いており気鬱になることは珍しかった。

「それは放っておけなかっただろう。出仕して大丈夫なのか?」

「あぁ時間もあったから様子は見てきた」

 女中から具合が悪いと聞いた蘇芳は妹の様子を確認しに部屋を訪れた。藤花は蘇芳を見るとあからさまに怯えたような態度をとった。

 二人の兄妹仲は周囲から見ても悪くない。しかし、尋ねても藤花は頑なに口を割らなかった。どうにかして聞き出そうと思っても説得するには時間が足りなさすぎる。どうしたものかと考えているとふと蘇芳は真澄の笛を聞けば、落ち着いて話を聞けるようになるんじゃないだろうかと思いついた。

「そういうわけで、都合のつく日にお前の笛を聞かせてやってくれないか? 藤花はお前の笛を好んでいるようだからな」

「なるほど。なら、話は私が聞いてみよう。もしかしたら身内には話しづらいことなのかもしれない。明日でかまわないか?」

「あぁそれでいい。俺もお前の笛を楽しみにしている」

「褒めすぎだ。さぁ仕事を始めるぞ」

 お互い気持ちを切り替え、近頃の事件について話し合う。

 今日は昨日見つかった変死体がとある邸の家中の男だとわかった。付近を通ったものから情報を集めたところ、おそらく一昨夜のからとらの刻ごろにやられたようだ。そして、その死体は言葉にするのを憚れるような惨状だったという。

「そんな夜更けに……。なにか遣いに出ていたのか?」

「いえ、そういう用を言いつけたことはないようなのです」

「それから男は最近夢見が悪いと同僚に言っていたらいしいのです。詳しい内容はその同僚も知らないようでしたが、どんどんやつれていくのを案じていたようです」

 近頃では眠るのが恐ろしいと言ってろくに眠っておらず、体調も崩しがち役目も休みがちで自分の部屋にこもりっきりになっていた。

「気の毒なことだな……」

「あぁ。だが、眠らなければ悪循環になるものだ」

 ぽつりと零した言葉に蘇芳が同意し、真澄も蘇芳の言葉に頷き眉間のしわを深くした。

 気鬱が酷くなった男は特に身近な者を避けるようになり、友人が見舞いに行っても頑なに入れようとしなかったという報告を聞いた。

 つまり、被害に遭った男の姿はここしばらく誰も見ていないということだ。

「手掛かりがまるでないな……」

「これでは下手人げしゅにんの目星がつかんな」

「頭の痛いところだ。この手の被害者は両手の指を超えたのではないか?」

 おかみの耳にはいるのも時間の問題だなど、別当がいないこんな時になどと上官達が焦っているところ真澄はじっと今回の事件について考えていた。

 しかし、情報が少ない今、何も解決案が出ることなくその日の会議は終わり、ひとまずは見回りの強化を行なうことになった。

 一向に進展しない捜査に蘇芳は苛立ちを隠せないようで不満そうな顔をしている。真澄はそんな彼を宥めていると検非違使佐の隆臣たかおみに呼ばれた。

「どうされた?」

「あぁ、なんだ、今回の件でな」

 隆臣は被害者が増え、他言無用と言って揉み消してきたこと、これは本格的に不味いと腕を組んで唸っていた。

 この件、最初は九条付近の人間だったが徐々に内裏だいりの方に広がってきた。幸いにも内裏には被害が出ておらず、帝の耳にはまだ届いていない。しかし、被害が内裏に及べばそうもいかない。

「なぜそれを私に?」

「昨日、別当べっとうの見舞いに行ってきた。そこでお前を別当代理にすると言伝をもらっている」

 真澄は驚いた。検非違使のまとめ役、別当は高齢で現在体調を崩して療養していることは知っていたが、まさか自分がその代理を任されるとは思っていなかった。

「もちろん、今すぐにというわけではない。今回の件を解決して、だ。真澄、お前は優秀だ。剣術が優れているだけでなく、頭もきれる。期待しているぞ」

 そう言って隆臣は真澄の肩を軽く叩いて自身の仕事に戻った。その背中を見送り、少し考え込んだのち真澄は蘇芳のもとに戻る。

「隆臣殿は、何と言っていたんだ?」

「別当からの言伝を。今回の事件を解決すれば私を別当代理にするそうだ」

「おぉ、それは良い事ではないか! なら、より一層務めを果たさねばな」

 蘇芳はまるで我がことのように喜び、真澄の肩に腕を回した。そんな彼につられるように真澄も笑みを浮かべ、今回の件を迅速に解決すべく気を引き締めた。

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