恋慕の黒い染み
赤城 玲
其の壱
墨をひっくり返したような暗い夜。分厚い雲に覆われ月の灯りのない通りはとても静かなもので薄気味悪い。ひゅうひゅうと音を立てる風は自分の周りにまとわりついているようだ。そんな夜道を歩いている一人の青年、真澄はふと足を止め、懐から一尺あまりの笛を取り出し唄口に口をつけ音を奏でる。
柔らかく澄んだ笛の音色が通りに響く。同時に風の音が大きくなりごうごうと吹き荒れる。それはまるで何かの呻き声のように聞こえる。
強くなる風とは対照的に
演奏は終盤になると風は徐々に弱くなって行き、最終的にはぱったりと止んでしまった。風が止めば、通りに響くのは笛の音だけ。それは波紋のように広がり、染み入るように響く笛の色は美しかった。風によって雲が流れ、半月が顔を出す。
笛の音が止むと真澄は唄口から口を放した。すると、後ろからぱちぱちと拍手をしながら近づいてくる人物がいた。
「素晴らしい演奏だったぞ。真澄」
「気配を消して近づくなと言っているだろう、
暗闇でも目立つ白の狩衣を着ている雪雅という男は真澄の友人で陰陽師である。なぜ彼がここにいるのかというと、真澄を呼び出しこの場で笛を吹くように頼んだ人物だからだ。理由は最近、朱雀大路の五条辺りに妙な気配があることに気付いた。なので、雪雅は真澄に笛を吹いてもらおうと頼んだのだ。
「まったく、私は陰陽師ではないのだぞ。これくらい自分でやれ」
「そう言うな。お前の笛は天賦のものだ。吹くだけで人の心を落ち着かせ、その音色は邪気を祓い清める。妖や只人に聞かせるのはおしいくらいに……」
妖しく笑う雪雅に真澄は呆れてため息しか出てこなかった。笛を懐にしまい、雪雅と向かい合う。
「何度も言うが私の本業は
にすることだ。妖を相手にすることではない」
自分より少々背の低い雪雅を睨むが、彼は涼しい顔をして笑みを浮かべていた。
検非違使とは都にはびこる無法者たちを取り締まる機関であり、真澄のように陰陽師に依頼されて笛を吹き、邪気を祓うことなどはしない。笛はあくまで真澄自身の趣味であり、邪気を祓っている自覚は全くない。
「今日はあんたが笛を聞かせろというから私は……」
「だが、場所が屋敷でないことでお前もなんとなく気づいてはいただろう?」
悪戯に成功した子供のように笑う雪雅。しかし、ふっと笑みが消た。
「真澄、陰陽寮で妙な噂が立っている。聞くか?」
「……聞かせてもらおう」
お互い真剣な顔になり、先程までの和気藹々とした雰囲気はなくなった。
最近、この周辺で鬼が出るのだという噂が陰陽寮でちらほらと噂話が上がっている。鬼と言っても正体を誰も知らず、仮として呼んでいるのだろうというのが雪雅の見解だ。
どこからともなく風が唸るような音がすると人が鬼となり、その鬼に喰われて人が死ぬのだという。
「この世に未練のある霊が化けて出て祟りをなしてる噂もあるが、俺の勘ではその線は薄い」
「どちらにしろ私の専門分野ではないな。鬼だの霊だのの妖ものはあんたの専門だ」
「そうだな。だが、頭の片隅にでも覚えていてくれ。今はまだはっきりしないが何かが起ころうとしている。いや、もしくは既に起こっているのかもしれない」
それからと言って雪雅は何かを投げた。反射で受け取るとそれは匂い袋だった。
「貰い物だ。俺は使わないからお前にやる。大したものじゃないが、魔除けくらいにはなるだろう。この先、気をつけることだな」
この先に起こる出来事に警戒する雪雅の言葉を真澄はわかったと頷いて自分の邸に戻る。その背中を見送って雪雅は空を見上げ、星を詠む。訝しそうな目をして雪雅も自宅に戻るため身を翻す。手の中にある匂い袋から微かに菊の花に似た匂いがした。
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