Code2:「仮面の女」

「さてと、まずは事情を説明しなきゃいけませんね」

 眼前の女性が銃を下ろしたことを確認し、安堵の吐息を一つ吐くウィル。彼女は再びパソコンの方を向くと、オベイリーフにとっては待ち望んだとも言える情報を画面に映し出した。

 映っていたのは、赤毛の尊厳な顔立ちの男性と、後ろ姿のみで少々見えづらいが長い白髪の女性が何かの取引を行っている様子。

 そして、この女を​オベイリーフは知っている。

 仮面を被り、多くの駒を作り上げ、自らのことを"アペイロン"等と呼ばせていた、組織の​​──Eclipseのトップ。

「私の父、"ドラゴ・スカル=エクステンシア"は、貴女の追う組織との繋がりがあります」

「……エクステンシア家にも、根は届いているということね」

 まぁ、父とは血は繋がってないんですけどね。と告げるウィルを他所に、オベイリーフは画面を注視する。

 どうやら女性は仮面を付けていないようだが、映像を録画したカメラに気づいているのか、一向に顔が映る気配がしない。

 仕方なくドラゴの方を見てみれば、確かにウィルの言う通り血が繋がっている様子はあまり無さそうだ。真相は定かではないが。

「この通り、父と組織に繋がりがあるのを私は黙って見ているわけにはいかない」」

「だから連れ出してくれ、と」

「そういうことです! お願い、できますか」

 頼み込むウィルの表情からは、一々理由を問いただすまでもなく、彼女の決意の硬さを表している。

 親と対峙する可能性すら、既に覚悟しているかのような​──そんな、凛々しくもどこか哀しさを感じさせる表情で。

 オベイリーフには、それを否定する理由が浮かんでこなかった。

 彼女の覚悟を見極めたから、だけでない。彼女の実力も含めれば、むしろ大歓迎なのだ。

 かつて自分を助け、WSEPでも有数のハッカーであるフィオすらも退ける程のハッカーである彼女を拒む理由など、何処にも無い。

「……私としては拒否する理由もないし、任務でもある。別に構わない。けれど、ここを棄てることになるわよ」

 しかし、オベイリーフにも気がかりなことが無いわけでは無かった。

 WSEPに勝るとも劣らない、むしろ個々のスペックならこちらよりも上の可能性が高い、ウィルが整えた設備。

 彼女が自分に着いてくるというのなら、それはつまり彼女にこの部屋を棄てさせることを意味している。

 これ程の設備を整えるには資金も馬鹿にならない。それをこのまま破棄してしまうのには、あまりに勿体無い気もするのだが。

「問題無いです。そちらの設備を見て、整えたいと思ったら私から頼み込みますので」

 しかし、その懸念とは裏腹にウィル本人からの回答はあっさりとしたものだった。

 やはり、相応の決意と覚悟は決めているらしい。こうなれば、彼女はやはり世間知らずの令嬢などではなく、むしろ自分と同じ裏世界の住人なのだということに気付かされる。

「……分かったわ。もう引き止めたりしない。それで、脱出のルートだけれど​」

「それなら、ここにあります」

 ​──この子、ちょっと準備が良さすぎるんじゃ

 オベイリーフがそう疑問に思ってしまうほど、ウィルの手筈はキッチリと整っていた。

 部屋の隅の床が独りでに開いたと思えば、地下へと続く階段が伸びている。微かに聞こえる風の音からして、外に繋がっているのは明白だろう。

 さらに、このタイミングで彼女の持つ通信機へと連絡が入る。フィオからだ。

『​──ようやく繋がった! どうやら目的は達したみたいですね』

「えぇ、問題無くね。そろそろヘリが到着する頃、かしら?」

『​──えぇ、その通りです。ポイントを送っておきますから、向かってください』

 フィオから送られたポイントは、流石にエクステンシア家からは幾分離れた位置に存在する。

 しかし、先程ウィルが開いた地下通路を介して進めば無事に辿り着くことも容易だろう。

 ここまでを想定していたというのなら、流石に化け物じみているとはオベイリーフも思っていたが​──

「ま、いいか。行くわよ」

「えぇ、元々そのつもりですから!」

 事が楽々と進むのに越したことはない。その上、当の本人もやる気に満ち溢れているのだ。

 折角だし、そのやる気に見合うだけの働きをしてもらおう。

 密かな思惑を胸に秘めると、オベイリーフはウィルを引き連れ、地下通路を潜り始めた。

 道なりに進めば進むほど風の音も次第に強くなり、確実に外へと繋がっていることが分かってくる。

 辺りを見回しても監視カメラや警備員はおらず、随分あっさりと抜け出せてしまう様子だ。

 そう、あまりにも、"あっさり"と。

「……まさか」

「ん? どうかしたんですか?」

 一つの疑念を覚えたのか、ふと呟いたオベイリーフを見て、ウィルは不思議そうに首を傾げる。

 彼女には何でもないと伝えるが、浮かんできた疑念について考えているうちに、オベイリーフは一つの結論を見出した。

「​あえて逃がされた、ってことね」

 地上へと出た彼女は、隣を歩くウィルにも聞こえないほど小さな声で呟く。

 遠目に見えるヘリを見据えたまま、何故ドラゴは娘をわざわざ逃がしたのかを想像してみたが​──

 今のオベイリーフは、その理由を決め兼ねていた。


「​そう、ウィルは抜け出したようね」

 場面は移り変わり​──

 未だ誰も場所を確認出来ていない謎の施設で、オベイリーフとウィルが屋敷を抜け出すまでの様子をモニターで確認する人物が居た。

 傍らにドラゴを従わせ、仮面で顔を覆うそれは、アペイロンその人であった。

 異常と言えるほどに輝く白髪は所々に金色のメッシュを覗かせ、妖しくも目に付くものを虜にするかの様な雰囲気を漂わせる。

 その風貌に心までも奪われ、彼女に心酔している部下も少なくはない。

「何故、逃がしたんだ?」

 しかし、ドラゴは別であった。

 彼女の右腕でありながら、彼女の行動の全てに理解を示している訳では無い。

「あの子をもっと優秀な素材にするためよ」

 ご最もなドラゴの疑問に対して、アペイロンは優しげな声色で答える。

 破壊工作員を生み出す組織のトップとはとても思えないほどだが、その真意は仮面に隠れ全く掴めるのではない。

 確かなことは、ウィルという存在に大きな価値を見出していること。

 そして彼女に、何かしらの経験を積ませようとしていることだ。

「私が望む"器"に最も相応しい能力が、あの子にはあるわ。けれど足りないのよ……あの程度ではね」

「その為に、わざわざ逃がしたのか」

「あの子は優しいもの。それは貴方も知っているでしょう?」

 アペイロンの一言に、ドラゴは黙る他なかった。

 血は繋がっていなくとも、ウィルと彼は娘と父だ。娘がどんな性格なのか、彼は誰よりも知っているつもりだ。

 本当なら逃がすことは無く、自分の元に置いておきたかったが、彼にはその権限は存在しない。

「……ウィル」

 自らの知り得ぬ場所へ去ってしまった娘に思いを馳せ、ドラゴはその場で沈黙していた。


「検査は一通り終わったわ、お疲れ様」

「ん~……こういうの、ちょっと苦手です」

 当の娘本人は、WSEPの本拠地へと到着した後​、無事に組織への所属を許された。

 しかし、身体検査等はこなさなければいけなく。

 仕方なくウィルは、WSEPの専属女医の元で様々な検査を受けている途中だった。

「また賑やかになりそうね」

 ウィルの案内役を任されていたオベイリーフだったが、一通りの案内は既に終了。

 身体検査後の行動は基本的にウィルに一任されているため、任務が終わったこともあって現在は特にやることも無く、時間が過ぎるのを待つだけであった。

「オベイリーフ、少しいいか」

「! マスター……っ!?」

 その静寂を断ち切るように、彼女の元にマスターが現れる。

 彼の手には一枚の紙が握られていたが、ちらりと見えたそれには、彼女にとっては驚くべき事実が記されていた。

 かつて、オベイリーフがWSEPに所属する時に検査したDNA。

 その下にもう一つ、今回の検査でウィルから検出されたものが載っている。

「なんで……これって、どういう」

「私にも分からん。だが、一つだけ確実に分かっていることはある」

 Eclipseの新たな手掛かり。

 MILLであったウィルとの出会い。

 ただでさえ、驚愕する出来事が幾つもあったというのに。

「彼女……ウィルとお前は、遺伝子的に​──同じ血を持っている」

 ウィルと自分に、同じ血が流れている。

 新たに発覚したその事実を、どう受け止めるべきなのか。

 一つのことに一先ずの決着が着いたと思えば、また新たな出来事が立て続けに伸し掛る。

 その流れの中に、オベイリーフは呑み込まれつつあった。

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