Code1:「邂逅」
『──スカーライトさん、少しくらい休息を取ってもいいんじゃないですか?』
「心配いらないわ。フィオこそ、二人同時にオペレートをこなすのは大変でしょ? 無理しなくていいのよ」
いえいえ、これも仕事です。と通信機越しに返す男性の声は、非常に優しげのある雰囲気だった。
フィオ、と呼ばれた男性、"エルフィオ・テスタメンサ"はマスターの息子。幼い頃からWSEPに所属し、オペレーターとして多くの任務でオベイリーフや他の皆をサポートしている。
組織自体の人材不足という訳では無い。オペレーター自体は他にも居るのだが、フィオ程手際良く行える人材が他に居ないのだ。
『──ま、それで俺達は助かってんだけど』
「……アズライト、居たの?」
次いで反応を示したのは、藍銅鉱を異名と成す男性──"ブラッド・ネバエーフ"。
工作員としての類まれなる才を持ち、WSEPに所属して間もなかった頃のオベイリーフに、組織での振る舞い等を教え込んだ、言うなれば師とも呼べる存在。
──しかし、それも過去の話だ。
今では彼女も実力を高く伸ばし、ブラッドの弟子ではなく一人の好敵手と互いに認識している。
『──あのエクステンシア家に潜入ねぇ。ま、無理すんなよ?』
「言われなくても」
労りか、はたまた煽りか。
軽い口調で通信機越しに囁くブラッドに、彼女はさしたる興味を示さない。普段からこなす一連の流れを済ませたことを認識すると、彼女はブラッドとの通信を切断する。
彼も周知の上だ。これはあくまで、どちらかが任務に赴く前に手短に済ませる、一種の願掛けのようなもの。
それ以上の含みは、一切存在しない。
『──さて、そろそろ目的地です』
「えぇ。表からの侵入は……まぁ、困難よね」
気づけば、オベイリーフは既にエクステンシア家付近で近づいていた。
フィオからの合図も聞き、遠方から潜入可能なポイントを探す。
外観は率直に言えば豪邸であるが、少々古めかしさが否めなくもないところがとりわけある。
しかし、やはりと言うべきか。伊達に名門ではないようで、表には警備員が陣取り、忙しなく辺りの様子を確認している。
当然監視カメラも完備であり、警備員の目が回されにくい側面も只では通らせてくれないだろう。
「……仕方ないわね。フィオ、短時間だけ監視カメラにハッキングは?」
『──可能ですよ。時間は?』
「十秒でいいわ」
了解です、と告げる声とともに彼からの反応は一度途絶える。
その間に懐から取り出したワイヤーを装着し、オベイリーフは態勢を即座に整えた。
徐々に動きを不可解に変えていく監視カメラを目印とし、フィオによるハッキングが無事成功したことを悟った彼女は壁にワイヤーを打ち付ける。
派手な物音を立てる危険性もあるが、多くの任務をこなしてきたのだ。道具を手早く扱うのも、些細な音も軽減して壁に脚を付けることも。
ましてやそのまま着地することも、彼女にとっては容易である。
「……? 窓が開いている…… フィオ、中に監視カメラは?」
『──幸いその付近にはないようです。そのまま潜入しても大丈夫ですよ』
「了解」
手早くワイヤーを回収し、続けて足早に家内へと潜入。
辺りを見回しても警備員らしき影はあまり見えず、どうにもセキュリティが甘いように一瞬感じるが──
よく見れば、天井の多くにシャッターと思わしき隙間が除いている。外を人に守らせる傍ら、中は隔壁を活かした護りになっているようだ。
「……それにしては、妙ね」
隙間の多さから考慮すれば、不意打ち気味に隔壁を下ろすことで、侵入者を一定の区画に閉じ込めることが最も効果的な使い方だろう。
しかし今は──まるで道標を造り出すかのように、不自然にシャッターが閉じている。
そのうえ、遠目には監視カメラが幾つか確認出来たが、どれもあらぬ方向を監視していた。
あまりの不自然さに、オベイリーフはフィオから送られていたマップと現在位置を照らし合わせる。
マップにも同じものが映し出され──やはり、一つの部屋への道標のようにシャッターが閉じているとしか思えない状態だった。
「罠かしら。……それとも」
『──あれ? おかしいなぁ』
「フィオ? 何かあったの?」
彼らしからぬ弱気そうな発言に、オベイリーフは耳を傾けた。
聞くところによれば、外の監視カメラは比較的自由にハッキング出来たのだが、内部だけは全く手が付けられないとのこと。
彼に匹敵するハッカーがいるのか、或いは内部のセキュリティはレベルが高いのか。
『──僕にサポートできるのはここまでみたいです。スカーライト、無理はしないで』
「分かっているわ。とにかくこのまま進んでみるから……何か分かったら通信する」
お気をつけて、と答えるフィオの声を聞き届け、オベイリーフは通信機を静かに切る。
こちらは潜入した身であるというのに、あまりにも手堅すぎる歓迎。
果たして、このまま歩みを進めるのは吉と出るか、凶出るのか。
幸いなことに、潜入口として使用した窓からは、目的地の部屋はさほど遠くない。──逆に言うならば、それだけだ。
シャッターが閉じるまでの時間が、一体どの程度のものかは定かではない。加えて前回の任務から次いで赴いているために、任務用のスーツではなくチャイナドレスを纏っているため手榴弾の類も持ち合わせは宜しくない。
そもそもシャッターを爆破して破壊できるかも分からないと──正直、状況はあまり良くはない。むしろ分が悪すぎる。
これは一種の賭けにもなる。
「……ここ、ね」
気づけば、既にオベイリーフは扉の前へと辿り着いていた。
──何も無いと祈るしかない、か
万一に備え、右太腿のガンホルダーに手を掛けると、彼女は静かに扉を開く。
先に見えたのは、家内と庭を映し出し、暗がりを照らす大量のスクリーン。
乱雑に投げ捨てられたスナック菓子の袋、目に付くところに張り出されるメモ書きの数々。
そして、スクリーンの前に陣取るように見えるキャスター付き椅子の裏側。
凡そ──名門であるエクステンシア家には不釣り合いではないかと思ってしまうほど、部屋の中は散らかっていた。
「待ってましたよ、スカーライト。いいえ……ティナ。ティナ・オベイリーフ」
「ッ!」
怪しげな様子を醸し出す声の主に、オベイリーフは素早く銃を引き抜く。
今まで何の干渉もしなかった筈のエクステンシア家の者が、何故自分のコードネームを知っているのか。
否、そちらは愚か、何故自分のフルネームを看破しているのか。
尽きない疑問を他所に、椅子を回転させこちらを振り向いたのは──
「わ、わわわ! 違います、私怪しい人じゃありません! 私、貴方に任務をって頼んだ本人ですから!!」
長い金髪を靡かせる、可愛らしい顔立ちの女性だった。
彼女は銃を向けられたことに気づくと焦り出し、銃を下ろすよう必死にオベイリーフを説得しようとしていた。
──しかし、当の本人はそれどころでは無かった。
「今……何て、……まさか」
オベイリーフ自身は、自らの聞き間違えを一瞬疑ったが──辺りの光景を見てしまえば、その疑念も消え去るには十分すぎた。
恐らくフィオのハッキングを一部だけ妨害したのも、この女性なのだ。
これだけ多くの機械を同時に扱えるのは、そう多くはいない。
「あ、自己紹介がまだでしたね」
オベイリーフの様子を見て心境を悟ったのか、先程までの焦った様子から一転。
畏まった態度で、女性は自らの素性を告げた。
「私はウィル・エクステンシア・ハーリィ。このエクステンシア家の令嬢で──」
冷静に考えれば、令嬢にも関わらずこのような生活は有り得ない。
名門の娘が一見すればだらしない生活を送り、裏世界にも足を突っ込んでいるなど。
しかし、それを可能にしているのだとすれば。どんな事情なのかは全く掴めずとも、その事実だけは本当なら。
この女性が、任務の達成目標にして。
「──かつて貴方を助けさせてもらったハッカー、"MILL"です」
ずっと探し求めていた、あの相手──。
オベイリーフは、状況を依然として飲み込めず、その場で銃を下ろすことしか不可能だった。
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