コード:スカーライト
のわさん
CodeProlog:「紅の女傑」
何時の時代も、私欲に塗れた違法な取引というものは無くならないものだ。
個人の持つ技術が高まりを見せるほど、国に根付く病巣というものは、それを取り込まんと侵攻する。
一度根付いた病巣は留まることを知らず、大きさを増す。その根を張り巡らせていく。
誰かが絶たぬ限りは──否、絶たんとしない限りは、この現状は何も変わりはしない。
だが、もしも。
もしも、その現状を壊す者がいるとすれば。
彼女のような存在が相応しいだろう。
「それらしい手掛かりは今回も無し、ね」
閑散とした路地裏で、真紅のチャイナドレスに身を包んだ女性──"ティナ・オベイリーフ"は静かに呟く。
手に持つ銃と自身に飛び散った返り血をものともしない様子のまま、彼女は先刻自らの手で殺めた男の亡骸に哀れみの目線を向ける。
眉間を正確に撃ち抜かれ、この世の総てを呪うかのように歪んだ顔つきのまま静止したそれは、殺められるに足る理由を持ち得ている。
「(如何なる罪も無罪にする凄腕の弁護士……)」
──それだけなら、聞こえはいいけれど。
オベイリーフ自身も、この男の本性は以前から知っていた。
凄腕の弁護士という偽りの姿を被り、実際は金で相手を買収する悪徳弁護士であること。
そのうえ、莫大な財力を闇金として扱う救いようのない男であること。
言わばこの男は、病巣の一部分。世界から切除しなけれなならない存在。
そしてその"切除"を行うのが、オベイリーフの所属する組織──
"World Secrecy Explore Protect<世界の機密を探り護る>"、通称"WSEP"。
表側ではなく、切除の対象と同じ裏側から世界を守護する。
情報収集からスパイ活動、必要とあらば破壊工作から暗殺まで、汚れ仕事は総て引き受ける、少々変わった組織だと言えるだろう。
「……もしもし、マスター。任務は終えたわ。事後処理は任せる」
『──ご苦労だった。後のことは任せておけ』
懐から取り出した端末を用い、彼女はマスターと呼ぶ男性に任務終了の知らせを流す。
自身の仕事は既にこなした故、これ以上何かをする意味も理由もない。
オベイリーフの仕事は、常に正確で冷静だ。
任務に支障が起きるようなことは行わず、熱くなりすぎることもない。WSEPにとってはまさに理想の部下だ。
──しかし、彼女も最初からWSEPに所属していた訳では無い。
「(……雨)」
ぽつん。と音が響くと共に、辺りを雨が濡らす。
血腥さを消そうとするかのように、時間が経つにつれ雨は激しさを増していく。幸いなことに彼女のいる路地裏は影に隠れていた為、雨の被害はさほど深刻ではない。
オベイリーフは地面には目もくれずに天を仰ぎ、雨雲を真っ直ぐと見つめる。
「(あの日もこんな雨、だったかしら)」
雲の彼方を見据えたように見つめ続け、次第に想起されていくのは、かつての記憶。
両親を喪い、ただ一人残った弟のハルと共に当てもなくさ迷い続けた幼い日。
そんな自分達を拾い、養い、そして、破壊工作員として育てた組織──"Eclipse"。
命じられるままに任務をこなし、その過程で多くのものを壊し、また多くのものを殺めてきた。
罪悪感は無かった。自分達は組織に与えられた任務をただこなしているだけ、という認識だけが、彼女の中にあった。弟も同じだった。
両親の死を意図的に招いたのが、その組織だと知る日までは。
──耐えられるはずが無かった。
喪ってから何年経とうとも、彼女も弟も決して両親のことを忘れた時は無かった。
両親を殺したのは組織。その事実を知った時、彼女は弟を連れ出し、組織からの脱走を図った。
もう自分は護られるだけの存在じゃないと、姉さんを護ってみせると。
そう言い放つ弟の意見を遮って、口論をしてまで、彼を守ると躍起になっていた。
「(私があの時、ハルの実力を信じていれば)」
今でも、後悔は募っている。
後一歩、後一歩前に踏み込んでいれば。無駄な口論をしていなければ。
──目の前で弟を喪わずに、済んだというのに。
大雨の中で、二度も味わうこととなってしまった悲しみに暮れることも無かったというのに。
総ては──自分の罪。
彼女はその後悔を、一生背負っていくことしかできずにいた。
『──オベイリーフ、……いや、"スカーライト"。聞こえるか』
「! ……マスター」
後悔の念に苛まれる最中、彼女の耳にマスターからの声が鳴り響く。
少々自分の世界に入り込みすぎてしまっていたようだが、それよりも彼女には優先すべきことがある。
──スカーライトは、彼女に与えられたWSEP内でのコードネームに当たる。
マスターからその名で呼ばれることは、新たな任務が与えられたということになる。
『──エクステンシア家のご令嬢を家から連れ出してほしい、とのことだ』
「……WSEPは何でも屋じゃないでしょう、マスター」
まぁ、そう言うな。と、マスターは明らかに呆れた様子の彼女を窘める。
エクステンシア家は世界にも名が知れ渡る名門一家であり、代々跡取りは女性と決められている。
一呼吸置いた後、彼の口から任務の──否、頼みごとの差出人の名が明かされた。
『──"MILL"という人物からだそうだ』
「!」
──"MILL"。
オベイリーフが弟を引き連れ脱走を図った際、突如として彼女を導いてくれたハッカー。
裏世界でもその名は売れているが、その裏世界ですら正体だけが掴めずにいる謎多き人物。
そんな人物が、エクステンシア家の令嬢に何か関わりがあるのだろうか?
「……了解。明日、エクステンシア家に向かうわ。それでいいわね?」
『──問題無い。無理はするなよ』
マスターとの通信を切り、気持ちばかり返り血を拭き取る。
気づけば雨は止み、WSEPの事後処理班がこちらに向かっているのも確認できた。
「(……MILLとの繋がりが、これで持てるかもしれない)」
「(そうすれば、いずれはEclipseのことも……)」
胸の内に秘めた過去への想いを再確認し、オベイリーフは暫しの休息も兼ねその場を後にした。
──今の彼女は、まだ知らない。
この任務が、自身と、そして他ならぬMILLとの運命の歯車を刻み出すことを。
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