第2話

平凡という言葉は都合の良い言葉だ。


日本人特有の謙遜の美学に己を落とし込み、この言葉に安寧と安定性を求める者が使う。


これだけ人の価値観が交錯しまた産み出されては消えていく今の世の中で「平凡」なんて


自分は誰かの劣化版で廉価なのだと相手に告げてしまっているだけではないか、流行り廃りに浸かりすぎると自分で浸けた味付けもなくなって癖もなければ光るもの失い萎びた模造品に成り下がってしまう…なんてなんにも見出さない俺が言えた質ではないな。




こんなことをろくに考えるべきじゃないしなんたって今は期末の報告書に不備が見つかって見積もりをやり直すとかいう地獄のデスマーチの真っ最中なのであんまり深く物事を考えたくなくなってきたから放って置いてくれたまえ。


 耳に染み付いてしまったキーボードの入力する単調な音と溜め息に思考回路は破綻を期して朝日が昇りかけているのをすっかり忘れていた。


男たちが数人事務方の女子諸君を終電前に帰らせるという紳士的見栄っ張りなんてしなければ俺らは今頃当直室とかいう簡易ベットしかない部屋でワイワイできたかもしれんのに…無いか、




「にしたってアレですよね、他の課がいくら感染症や流行病でダウンしているからと言って今更報告書の不備が見つかって全員無事な俺たちの課が選ばれし者として残ったわけですが幹部連中すっごく安らかな顔をして俺らを見ながら上がっていきましたからもうこれパワハラで訴えていいですよね?こちらがパワハラだと思ったらなんでもパワハラでモラハラでセクハラなんですよきっと」




三人しかいない我が営業七課では現在二人体制で一人が休むというローテーションを二時間で回して後五時間しかない報告書提出期限を守ろうと奔走しているのである、それもこれも適当に判を押す上司と優秀かつ病弱な経理課が悪い、間違いを正す側がなまじ優秀だと面倒事で波及しかねないのだ。




「先輩、遂に空白んできちゃいましたけど僕ら本当に後五時間で帰れるんですかね?」


いいから、話す余力があるんならもっと他のことに注力しろよ、そんなにお喋りしたかったら噺家にでもなったらどうだ? 男の俺から見てもルックス良いしイケメン噺家って少しくらいはうれるんじゃね?




「少しは反応してくれないと詰まらないですよ、別に庶務のOLさんみたくかまっちゃんしているわけじゃないんですから。


こうでもしないと自分のついて無さに悲しくなってきますから少しは楽しい話とかしましょうよ」




こんな状況で楽しい話なんて出来るかよ修羅場だよ、「修羅場」一徹になりつつある中で楽しげな話なんて出来たとしたら相当きてるだろそれ、


「お断りだ、隙があるんなら作業しろ作業、経理課の修正案をまとめて、上司が判を押した書類と照らし合わせて…これって文章改ざんって言わね? これグレーなだけで問題ないよな、後で責任問題でウチラが矢面に立たされて全員の首がパッチンされるとかありえる?」


疲れているとネガティブな事をついつい考えてしまうことはありませんか? って違うわ俺にかかれば何でもかんでもマイナスにしてしまうからこれいつものことだわ。




「すっごく安らかな顔をしてますよ先輩」「うっせ作業しろ作業、なんでもかんでもパワハラでくくれば正解なんだとしたら今の人は我慢を忘れすぎだろ」「お、答えたくれましたね先輩」「はいはい、分かったからなんで風邪引いて会社に来ないといけないんだろうなぁ、その御蔭でパンデミック発生してあの支部長ですら倒れたってのに仕事の続行をしろって無茶振りだよなぁ…」「あの人なんでも筋肉で解決できるとか言っておきながらぶっ倒れてましたからね」




パソコンのキーボードを叩く坦々とした音ともう幾つついたかも分からない溜め息が朝日が昇りかけている薄い色の青に溶かしていきたいだなんて交通時間の暇をつぶすために買って読んでいた文庫本に影響されすぎだな。




「先輩最近なにか良い事でもあったんですか?」


藪から棒にこの部下は何を言い出すかと思えば…んなもん全く無いね、俺の不幸そうな面が何時緩んだって言うんだい、絡み方が面倒な奴は女に嫌われるから気をつけろよ?


「いや~俺こと新座泰時という課の部下にも課の業務的なことばかりではなく雑談もしてくれるようになったじゃないですか、これは大きな進歩ですよもしかして今から出世とか目指しているんですか?」




出世なんて考えてないし貰えるもんもらえて生活できればそれでいいと思っている現代っ子なのでそんなにも急に出世欲が芽生えたなんて言われても先ず持って出来ないだろ?




「考えるまでもなくいいえだろ最近の俺らみたいのは、ノーリスクノーリターンを望むよどう考えたって」


「無責任に責任を押し付けられるなんてたまったもんじゃないですよね~」


だなんて今時の若者トークに花を咲かせていても仕事はまるで前に進まないので新座のマシンガントークが始まる前にとっととおしゃべりを止めて数字とにらめっこをしよう。


全く、事務方に仕事押し付けやがって日頃の仕事の割り振りがおかしいからこういうことになるんだよいい加減にしろ…


「はぁ…責任は取るものでも持つものでもなく回って来るものなんだよ、それを回避するか飲み込まれるかは運とか次第だ。」


「でもその責任って濁流を飲み干せばいいんじゃないっすか?」「次はもっと重い責任がやってくる」




「人の上に…上に行く為にその清濁合わせて飲み干すだけの度量が必要とされるんですよね?…」


「あぁ、失敗して濁流に飲まれて消えてゆく人も少なくないがその末に待つ大切じゃないものをめざして突き進む」


「大切なものの代わりに消えてくれる大量殺人鬼の為に…ですか?」


「大量殺人鬼って言い方わりぃなぁ疲れるだろお前」「そりゃあそうですよあれって多分戦争以上に人殺してますよ多分」




 こんなことを話していてもきりがないのでこのあとどんな話をしていたかは割愛させてもらうとして応急措置的なことはすべてやった。


報告書がこれだけまとまっていれば多少の粗が見つかったとしても問題あるまい、後は復帰してくる事務方とお偉いさんに任せて俺らは有給休暇を消化しに家へ帰るとしよう。




「先輩、僕はこのグロッキー君を介抱しながら帰りますんですみませんがこっから別行動です、すみません」


別に謝るようなことじゃない、俺は徹夜して仕事してくれた奴にそれくらいでへばって情けない、俺の若い頃はななんて説教垂れるような余裕はねぇしそんなことしたくもないから安心しな。




「それじゃぁまた明日会いましょう先輩」


「ん、またな明日顔ちゃんと出せよお前ら…死ぬなよ?」


「そんな物騒なこと言わなくても今日一日寝てれば明日にゃ快眠明けでバリバリやってみせま…気持ちわる!」「あ~あ言わんこっちゃない…」




別れ際の挨拶にしてはもう疲れて適当な事を言ってしまったが構うまい、好感度なんていらないですしそれより大事なのはこの疲れた体と頭を引き下げて寝過ごしなどせずに借りたアパートまで約一時間半程意識を保っていなければならないという試練が待っている事だった。


「まじか~きっついなこれ」


栄養ドリンクシリーズをちゃんぽんしたからこれ以上肝臓やら腎臓に負担を掛けるわけにもいかないし…どうしたものか、




24時間ぶりに仕事とかいう苦行から解放されて外へ出るとやけに高く広がる大空とそこへ手を伸ばさんとする雨後の筍が身分不相当ににょきにょきと生えていて土台からすべてを引っこ抜いてひっくり返してやりたくなったが俺はそんなことよりはよ寝たいんだよ。


ここから早く去ることにしよう、せめてもの救いは昨日の時点で今日が有給休暇の奨励日で奇跡的に部下を含めて申請していた事だった。




 お天道様がゆっくりとお寝坊さんな顔を出して静けさと張りつめた冷たさは多少の目覚ましにはなるものの、この味気なく詰まらない灰色で飾られた街はどうにかならないな…余計なことなんて言わずにさっさと帰るか…






混濁しかけた意識を手放すまいと一先ず一番乗り換えの少ない手段で帰ろうと地下のホームで10分待ちぼうけを食らった以外は順調に事が運んで朝の連続テレビ小説位には帰ることが出来る…


と思っていた時期が俺にもありましたよ…えぇ、皆さんもしかしてと思っていたよな?残念ながらその通りである。




「おいおい、どこだよここ俺知らねぇぞ…」


残念ながらマイホームの最寄り駅から30分程の終着駅へ着いちゃったよどうするよこれまぁ折り返し待つか…


次の列車まで暇なので見分広める為に少しだけ外へ出て歩いてみることにした。


電車の中では寝られたが列車は車庫に入る様でホームからさっさと退場し寒空のなかで残された俺はどこか喫茶店でも無いもんかと動きたくないと嘆く体を酷使しながら歩く、回りは住宅街ばかりかと思ったら通りの向こうに日の光りを乱反射して輝く海の姿があった。




別に海なんてアパートから飽きるほど見られるというのに俺は


文句の一つでも言ってやろうとローファーにスーツままで水平線へと駆け出していた。


全く山育ちのくせに何をやってんだと同郷から笑われそうだがそんなことは知らん、俺はとにかく海が見たいんだ。




「おらこの野郎勘弁しろよーーー!今日はすげぇ疲れてるけどなぁ、突然死にたくなったりとかしねぇぞぉー!」


全く自分でも何をしてるんだと空しくなるかもしれないが俺はその前に正気に戻って駅に戻ろうと振り返ったよ…


「あ~えっともしかしなくてもお邪魔したよね~これ」


砂浜まで行かずに防波堤から海に向かって叫んで誰もいないよなと保険をかけて振り返ってみたらうむ、人が居たよ…ほんまかいなと思うと同時に皆さんでご唱和下さい…せーの、どうしてこうなった…


どんな奴が居たのかはさて、次回にするとしよう。


それではまたお会いしましょうかね…ではさらば!


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