季節は進みゆく




 並木道は、すっかり新緑に覆われていた。

 豊かに茂る葉の間から、きらきらと眩しい光がこぼれ落ちている。



 クロエが生まれたこの日は、今年もいいお天気だった。




「クロエ、誕生日おめでとうだよー!」

「クロエちゃん、誕生日おめでとう」

「ありがと!」

 気分良く校舎に入ると、待ち構えていたらしい友人のフェリシィとアウレリアが、華やかな笑顔とともにおめでとうの言葉をくれる。いや、言葉だけではなかった。


「これは、私達からのプレゼント。ふふーん、今年も気合いれたよー!」

「二人で張り切って選んだの……」

 そんなことを言われてしまっては、楽しみすぎて今すぐ開けないわけにはいかない。クロエは二人に許可を求めてから、小さな箱の包装を剥がしてみる。


「これ、もしかしてあのお店の」

 現れたのは、女子学生の間で最近話題になっている化粧品メーカーのロゴマークが入った小箱が二つ。

 それをそっと開けてみると、片方はほんの僅かにピンク色に染まるという、唇用の蜜蝋クリーム。もう片方は、色はつかないがほんのりと花の香りがする蜜蝋クリーム。

「色付きの方は私でー、香りがするほうを選んだのはフェリシィなんだよ」

 フェリシィの言葉に、こくこくとアウレリアが頷く。


「二人とも、ありがとう。嬉しい!」

 誕生日だというだけでもわくわくするのに、朝からこんな素敵なものをプレゼントされては、全開の笑顔になるしかないだろう。少なくとも、クロエなら笑顔全開になってしまう。



「放課後はカフェテリアで誕生日パーティだよー、忘れないようにね!」

「それはさすがに忘れないってば、自分の誕生祝いだもん」

「ふふっ、それじゃクロエちゃん、またあとでね」

「うん!」




 放課後に楽しいことが待っていると思えば、難しくて退屈で憂鬱な勉強もちょっとはやる気が出る。

 我ながら単純だと思いながらクロエはテキストをめくる。

 今日の最初の授業は世界史。

 この学園ではつまらないと思われがちな科目で、あくびを噛み殺している様子の学生も何人もいる。


「えー……古くから戦争が続いてきたヨーロッパですが、えー……、十九世紀末頃からはあちこちの国々では、同盟や協商が結ばれてきまして……」


 担当の教師の間延びした話し方がまた眠たくなるが、クロエはペンを走らせることでどうにかこらえる。

 ドイツとオーストリア=ハンガリーとイタリアの三国同盟、ロシアとフランスの同盟、フランスとイタリアの協商に、イギリスとフランスの協商と、イギリスとロシアの協商。


 ……。


 そろそろ限界を超えそうだな、とクロエが眠気で霞のかかった頭で考え始めたときに、タイミングよく授業が終わってくれたので安堵してしまった。



 次は、仕立て科との合同授業。つまり、ソウジロウと一緒だ!

 クロエはわくわくしながら歴史のテキストとノートをロッカーに放り込む。


 ソウジロウが卒業制作用のドレスとして考えているのは、クリノリンドレスらしかった。ドレスの性質からクロエとは相性がいいとはいえなかったので、まだ一度も着たことのないデザインだ。

 クリノリンドレスは、全盛期にはその巨大なスカートが直径十メートル近い大きさになったとされている。当然そこには不便さと危険さがつきまとう。スカートを膨らませるために、釣鐘型の鳥かごのような形状の下着――クリノリンを着込むのだが、金属や鯨骨でできた骨組みは、当然重くて動きづらい。


 持ち前の身体能力を活かしたいクロエにはとにかく不向きなドレス。

 だったのだが、ソウジロウはある工夫を思いついたそうだ。その時、彼は珍しくいたずらっこのような愉快そうな表情を浮かべていたが……一体何を思いついたのだろうか。もったいぶってまだクロエにはちゃんと教えてくれていないが、そろそろ聞かねばならない。


 そんなことを考えながら、クロエは次の教室に急いだ。





 放課後。

 今日の授業が全て終わって、解き放たれた学生たちは部活に向かったり、街に繰り出したり、あるいはまだ校内で友人たちと過ごしたりしている時間。

「「「クロエ、誕生日おめでとう!」」」


 クロエ・ノイライはカフェテリアで大好きな友人たちに誕生日を祝われていた。

 テーブル中央には特別に注文したという、つやつやのチョコレートケーキがホールのまま鎮座しているのがまた嬉しい。

 もちろん、今日は帰れば家にも食べきれないほどのケーキとごちそうが用意されているのだろうが、友人たちとこうして分けあって賑やかに食べるケーキというのは、別格の美味しさだ。


「クロエ、私達からのプレゼントはお茶です。フレーバーティーですね」

「店で試飲もしたが、なかなかだったぞ」

 最近は喧嘩も少なく、すっかり仲睦まじい様子のレベッカとリオルドの二人からは、フレーバーティーの茶葉をプレゼントしてもらった。


「言っておきますが、その……プレゼントが合同だからって、一緒に選んだわけじゃないですからね、たまたま店で行き合っただけですので!!」

「お前なぁ……」

 どうやらこの二人、今年は一緒にプレゼントを選んでくれたらしい。


「そ、それより、私達よりソウジロウのプレゼントですよ!」

 頬を真っ赤にしたレベッカが苦し紛れに、話題をそらそうとしているので、友人として乗っかっておいてあげることにした。

「それじゃあ……今開けてみていいかな、ソウジロウ」

「あぁ」



 なるべく丁寧に、クロエはゆっくりと包装を解いていく。

 手触りが柔らかな包装紙には、いつか見たスメラミクニの布地に描かれていた花に似た模様がある。きっとこの紙も彼の故郷からやってきた品なのだろう。


 そうして中から現れた平べったい箱を開けてみると、中には白い手袋。春夏に着用できるもののようで、触り心地のいい薄い生地で作られている。手首のあたりには、ピンクと水色の小さな花が一輪ずつ刺繍されていた。

「可愛い……」

 吐息とともに、そんな言葉が溢れ出る。

 たまらなく可愛くて、あまりにもいとおしい一品だ。


「その……プレゼントが思いつかなくてな。クロエは俺の誕生日に手袋をくれたから、俺も手袋にしてみたんだ。……サイズ、合わなかったら調節するから」

 つんと目をそらしながら、それでも少しだけ頬を染めてそんなことを言うソウジロウが、いとおしい。


「ありがとう、ソウジロウ!!」







 花の季節から、新緑の季節へ。

 そして。



 一九一四年は、初夏へ向かう――――




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