花の下でもう一度




 春とはいえ、夕暮れ時にもなると風が冷たく感じられる。



 蒼司郎は下宿への帰り道を歩きながら、アトランティス本島の山をふと見上げた。

 山の中腹あたり、そこにはぼんやりとしたピンク色が昨日よりもさらに広がってきている。


 この季節になると、あの山にはたくさんのさくらんぼの花が咲く。近いうちに、アルストロメリア学園の学生たちがそこで花見をするのだろう。

 ……できればその日よりは先にしておきたいことがある。叔父上は、ちゃんと間に合うだろうか。皇御国すめらみくにとこちらは、行き来するだけで時間も手間もかなりかかる。



 ふぅっ、とため息を一つ。気を取り直して蒼司郎は下宿へと歩みを進める。

 いつもの道。二年半の間歩き続けた、いつもの。

 けれど――今日はいつもと少しだけ違った。


 蒼司郎の下宿である建物の前に、誰か居る。

 特徴的な真っ直ぐな黒髪の皇御国人が……二人。

 あれは。


「蒼司郎!」

「……叔父上!」


 一人は、蒼司郎の叔父。相も変わらずの伊達男っぷりだ。

 そして……もう一人は。



 ……良かった。どうやら、彼女は花の季節に間に合ったらしい。





 その夜、蒼司郎は机に向かってペンを動かしていた。

 便箋はたっぷり持っているが、普段はあまり英語で手紙を書かないので、何度か書き直して、なるべくきれいな文字でミスのないものを出すことにした。


 島内に出す手紙なので、切手を貼りつける。

 驚きべきことに、というかさすがというか、アトランティス国際魔女連盟領では、切手にもさまざまなデザインが描かれている。

 皇御国ではデザインは同じで額面が違うだけの切手が使われているのだが、ここの切手のデザインは花の模様であったり、どこかの自然の風景であったり、昔の偉人だったり、歴史的な出来事を描いたものだったりする。

 アトランティスの人間はドレスを選ぶように、切手も見た目で選んで使うというのだ。

 一体あとどのぐらいの年月があれば、皇御国もその感覚に追いつけるのだろうか。


 蒼司郎は、出来上がった手紙を確認する。

 中身はちゃんと入っている、封は忘れてない、切手も春の花が描かれているものを貼った。


 手紙の宛先は――ユミス・ラトラスタ・アトランティスの別宅。


「……頼むぞ」


 あの女性が、もう二度と悲しい微笑みを浮かべないで済むように。

 蒼司郎は、そのために手紙を書いた。


 さくらんぼの花が満開の頃に、あの山でお会いしたいという手紙の内容だ。


 ――これでいいのだ、きっと。



 ふと、蒼司郎は思い立ってもう一通、手紙を書き始めた。

 今度は恋人であるクロエへ向けての手紙。

 ……勇気をくれると言ってくれたからには、彼女にもその場に来てほしい。


 蒼司郎は心なしか先程よりも丁寧に、手紙を仕上げたのだった。





 そしてやってきた、約束の日。


 サクランボの咲く山を登っていく。

 ゆっくりと、けれど確実に。

 その時は近づいてきていた。


 そして視界がひらけて――日傘を持った人物が、サクランボの花を見上げている様が、目に入ってくる。


 ふわり、とその人物の髪とドレスの裾が風に舞い、ラベンダー香水の優しい匂いがした。

 ゆっくりと、彼女が振り返る。

「ごきげんよう、ソウジロウさんにクロエさん」

 花のかんばせが、微笑みを浮かべた。けれどそれはどこか儚い。

 それに、今日はいつもと違って髪をおろしているので、少し幼く見える。


「ごきげんよう、ユミス」

「……こんにちは、ユミス学園長」

「今日は、お二人はデートかしら?」

「それもありますが、それだけではないのです」

 蒼司郎は、まっすぐにユミスの瞳を見てそう宣言した。


「あなたに、会わせたい人を連れてきてもらったんですよ」

「……?」


 蒼司郎は、くるりと振り返る。

 山を登ってくるのは、洋装を纏った二人の皇御国人。

 一人は、蒼司郎の叔父。


 ……そして、もう一人は、大きな帽子をかぶった女性。

 年の頃はユミスと同じぐらい。

 いかにも皇御国人らしい、まっすぐな黒髪は長く艷やか。

 肌は陶磁器のようになめらかではあるが、顔立ちはどちらかというと地味で薄い印象がある。

 手は白く、それだけみれば労働を知らないようにも見えるが、指が長くごつごつとしていて、あちこちに針仕事やアイロンでつけたのだろう傷がある。


 彼女は、仕立て師なのだ。

 それも、十年以上前にアルストロメリア学園で学び、三年間席次一位であり続けたおそろしく優秀な仕立て師。


 ……この女性こそが、ユミスのパートナーである、雪白宮ゆきしろみや月子つきこなのだ。



「……うそ……でしょう……」

 ぽろりと、ユミスの手からレースの日傘が落ちた。

 それは風に遊ばれて、転がっていく。


 けれど、ユミスは月子だけをじっと見つめていた。


「ユミス、久しぶり」

 久しぶりに使うのだろう拙い英語で、雪白宮月子は話しかけた。

「月子……」

「回りくどいことは嫌いだから、単刀直入に聞くわ。あなたは、まだ私のことを愛してくれていて?」


 ユミスは、その問いかけにしばらく答える事ができなかった。

 泣いていたから。

 顔をくしゃくしゃにして、まるで童女のように、わんわんと泣いていたからだ。


「当たり前ですわ……愛してます……誰より愛してます……月子」


「そう、それなら」

 ゆっくりと、月子はユミスに近づいて、そして言った。


「愛しています、ユミス。もう二度とあなたを離さないし、離してあげません」

「それはこっちのセリフですわ、月子! 私の部屋に閉じ込めて、もう絶対に外に出してあげない……」

「それは困りますね、せめてお屋敷ぐらいの広さでお願いしますよ」





 十年ぶりに恋人たちが愛を語り合う様子を見てから、蒼司郎たちはそっとその場を離れる。

「あれで良かったのか、蒼司郎」

「そうですね、きっと」

 叔父は珍しく渋い顔をしていた。多分、雪白宮家の当主にどういう言い訳をしようかと考えているのだろう。


「ま、そこをなんとかするのが、大人だしな。彼女の兄……雪白宮の当主も、別に妹に不幸なままで居てほしいって訳ではなかったから、アトランティスにまた送り出したんだからな」

「そうですね、きっと」

 何はともあれ、これで恋を諦めていた二人の女性を救うことができたのだ。

 ……これで、良かったのだ。

「ま、これで皇御国とこっちの関係もいい方向に向かうはずだ。……蒼司郎、なんか食いたいものがあれば奢るぞ。そっちのお嬢さんも」

「え、あの……」


 クロエがどうしようか、といった表情で蒼司郎を覗き込んできた。

「それじゃ叔父上、スペシャルマカロンタワーでも奢っていただきましょうか」

「……は?」

「スペシャルマカロンタワーです。学生の財力ではとても買える品ではなかったので、助かります」


 わざと淡々とした口調で叔父に告げながら、頭の中では何人ぐらい友人を呼べばあれを食べきれるだろうかと考える。

「いいんですか? 是非一度食べて見たいと思っていたので、嬉しい……」

 多分無自覚なのだろう、クロエが財布の中身を確認する叔父に追い打ちをかけている。


「クロエ、フェリシィ達を呼んできてくれ」

「わかった!」



「くぅ……飲み物代は自分で出すんだぞ!!」



 叔父のヤケっぱちの大声が、春の青空に響き渡ったのだった。




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