佳人、月を乞う
ひらり、ひらりと粉砂糖のような雪がゆっくりと舞い始める。
十二月三十一日。
一年が終わる日の夕方、ある種の儀式のように蒼司郎は郵便局に向かった。
去年までと違うのは、隣に恋人であるクロエがいるところだ。
もしかしたら――あの人は来ないかもしれない。
けれど、一年の中で定まった日にあの人に会える可能性があるのは、今日だけなのだ。
「ソウジロウ」
郵便局に着くと、不安げな影を声ににじませてクロエが呼びかけてくる。
「大丈夫かクロエ、寒くはないか」
「平気、だけど……」
「すまないな、つきあわせてしまって」
郵便局前で立ち止まり、空を見上げる。
雪は小さいが、降り止む様子はない。
……早めにやってきてほしいが、向こう次第なのだからどうしょうもない。
とりあえず、日が完全に落ちるぐらいまでは待ちたい。それ以降は一緒にいるクロエ次第だろう。
「ねぇ、来るのかな」
「五分五分ぐらいだろうな」
クロエとともに郵便局前で雪粒を数えながら待っていると――ふわりと、場違いに温かな風が頬を撫でた。ほんのかすかに、ラベンダー香水の匂いが漂う。
「いるのですか…………ユミス」
背後から、それに応じる声が響いた。
「えぇ。ごきげんよう」
ソウジロウもゆっくりと振り返って、挨拶を返す。
「ごきげんよう」
ユミスは今日は、ラベンダー色のすんなりとした線のドレスに白っぽい毛皮のついたコートを羽織っていた。いつもながら、美しい装い。
「今日は、お連れがいらっしゃるのね」
「えぇ、そうです。同席させてもかまいませんか?」
「私は構いませんわよ」
その許可に、思わず蒼司郎は
「さて……と。こんなところに立っていたのでは、体が冷えているでしょう? 私の別邸が近いので、そちらに案内いたしますわよ」
ユミスの別邸というのは、本当に郵便局のすぐ近くにあった。
意外と広い前庭を持つ建物ではあるが、豪華という感じではない。国際魔女連盟の長であるユミス・ラトラスタ・アトランティスの持ち物という意味では、質素な印象さえ受ける。
「小さい家だけど、気に入っていますのよ」
その言葉は真実に違いないだろう。家具や雑貨は少ないが、この女性が自分の趣味で選びぬいたに違いないだろう美しい品ばかりだ。
家は、程よく暖められている。顔は見せないが使用人がいるのだろう。
通されたのは、小さな暖炉のある部屋だった。
中央には座り心地のよさそうな椅子が四脚と、白いテーブルクロスのかかった丸いテーブル。
東洋趣味の影響を受け作られたらしい飾り棚には、『本物の』皇御国の茶器もいくつか並んでいた。
「あぁ、それは手に入れるのに苦労しましたのよ」
お茶の用意をしながら、ユミスが呟く。
「ここ十年というもの、国際魔女連盟とあちらの関係は良好ではありませんでしたからね。まともに人も品物も入ってこなくて」
皇御国と国際魔女連盟の冷ややかな関係。
それは……高位貴族の
だが、ユミスが連盟の長となって、関係改善に勤めてきたことで、こうして蒼司郎が国際魔女連盟領に留学にやって来れるぐらいにはなったのだ。
「どうぞ、緑茶ですわ」
皇御国の茶器に注がれた緑茶をまじまじと眺めて、クロエは呟く。
「……ものすごく緑色なんだけど……飲んでいいの?」
「緑茶ははじめてかしら。それなら、お砂糖を少し入れたほうが飲みやすいかもしれませんわね」
ユミスは小さな砂糖壺を差し出して、クロエに勧めた。
「あ、ありがとうございます……」
クロエは砂糖入り、蒼司郎とユミスは砂糖なしの緑茶を飲む。
小さな茶碗の半分ほど飲んだところで、蒼司郎は今日彼女に会いに来た目的を果たすことにする。
「今日は、あなたとあなたのパートナーである月子さんのことを聞きたくてきました。ユミス、あなたは月子さんと引き裂かれた時――」
「なぜ、無理にでも月子と逃げなかったのか、と聞きたいのですかしら?」
ことり、と小さな茶碗を茶托に戻しながら、ユミスはため息をつく。
「怖かったのですわ。月子と逃げるということは、これまでの持ち物を何もかも捨てなければいけないということでしたもの」
「そんな……!」
声を上げたのは、クロエだった。
「それで……十年の間、愛する人と会えないままで……」
「覚悟なんてね、いざとなると決められないものなのですわよ」
茶器を見下ろしながら、ユミスは苦い笑みをこぼしていた。
「できるはずだったのよ。月子のためならそんなことなんでもないって思っていたのですわ。けれど、実際には出来ませんでした。それでこのざまです。十年以上も苦しんで、きっと私は一生苦しむことになるのでしょう。月子の愛情を裏切った罰としてね」
「そんな……そんなの……」
クロエは、うつむいてつぶやき続けている。
蒼司郎は、何も言うことが出来ないまま、すっかり冷めた緑茶を一口すすった。
決断できなくて、後悔し続けて、苦しんで。
そんな彼女を本当に救えるのは、月子だけ。
だけど、蒼司郎にもその手助けぐらいは出来るはずだ。
「……もしも、月子さんに会えるとしたらどうしますか」
「まるで夢ですわね。けれど……そうですね」
蒼司郎の質問に、ユミスは少しばかり考えて、そして言った。
「二度と彼女を離さないでしょうね。月子が嫌だと言っても」
ユミスのその声音は――真剣そのものだった。
彼女は、席を立ち、こつこつと窓のところまで歩いていくと、詩を諳んじるように呟く。
「月が見たいわ。この場所は冬が長すぎて、夜が暗すぎて、何も見えないのだもの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます