最高の誕生日
ふわふわ、ふかふか、ふにふにする。
それに心地いいぬくもりがある。
いい香りもする、石鹸かなにかだろうか。清潔感のあるいい香りだ。
気持ちいい。
できることならいつまでもこうしていたいと、
けれどいつまでもこうしてはいられない。朝の鍛錬もしなければいけないし、いつもどおりの時間に通学しないとクロエを待たせてしまうことだろう。
蒼司郎は、ゆっくりとまぶたをあける、と――
布団の中に、クロエがいた。
……なんだ、まだ夢の中なのか。夢なら納得できる。
けれど、せっかく夢の中にクロエが出てきてくれたのだ、キスの二つや三つぐらいしてから起きても許されるだろう。多分。
ふわふわした頭の蒼司郎はそんなことを考えながら、クロエに唇を寄せる――
「き、きゃぁあっ!」
ばさばさと布団を跳ね飛ばしたのは、クロエ・ノイライ。
その顔は、林檎のように真っ赤に染まっている。
蒼司郎は、寝転がったまま彼女を呆然と見つめた。
「……クロエ……その、夢じゃないのか?」
「謝るべきなのか謝ってもらうべきなのかわからないけど、とりあえず夢じゃないから早く起きて身支度しなさい!」
一度クロエに廊下に出て待ってもらい、急いで洗面と着替えを済ませる。ネクタイの結び目が歪んでいるような気がするが――あとで直せばいい。とりあえず、なぜこんなところ朝早くからにクロエがいるのか、そしてなぜ蒼司郎の布団の中にいたのか、それが早く知りたかった。
「クロエ……」
かちゃりと自室のドアを開けると、クロエは廊下に落ち着かない様子で立っていた。顔は赤かったが、さっきほどではない。
「その……ソウジロウ、おはよう……」
「お、おはよう」
どうやって話を切り出そうかと少しの間考えていると、クロエが口を開いた。
「その、ごめんね。ちょっとびっくりさせようと思って、あと寝顔見てみたくて、マダムに許可もらって部屋に来たんだけど……その、ソウジロウ」
「もしかして…………俺がやらかしたか?」
「う、うん……その、ねぼけたソウジロウに布団にひっぱりこまれた……」
ソウジロウは思わず頭を抱えた。恋人であるとはいえ、結婚前の若い女性に自分はなんてことをしでかしてしまったのか。
しかし、いつまでも頭を抱えてばかりもいられない。そのまま、頭を思いっきり下げる。
「……すまん!」
「ううん、その、びっくりさせようなんて思った私が悪いんだし……でも、今年もどうしてもソウジロウに、一番最初にに渡したくって」
そう言ってクロエは、大事に抱えていた手提げ鞄から丁寧にラッピングされた箱を取り出す。あまり大きくはないし重そうでもないが、とても大切なものだということはひと目で分かる。
「これ、ソウジロウへのプレゼントだよ。……今日は誕生日でしょ。いつかみたいにまた忘れてるんじゃないかと思って」
「……あ」
「その様子だと、また忘れてたでしょ。まぁいいや、開けてみてよ」
「いますぐか?」
クロエはいたずらっぽい笑顔を向ける。
「いますぐ」
「わ、わかった」
綺麗な包装紙を破かないように丁寧に包みを開けると、薄い箱が姿を見せる。それを開けると……中には焦茶色の革手袋が行儀よく収まっていた。
「……手袋、か」
「そう、うちのお父さんに作ってもらったのを、ちゃんとした価格で買い取ったんだよ。……ちょっとはおまけしてもらったけどね」
蒼司郎は通学のときも、休日も手袋をつけずにいる。紳士としては手袋をつけないというのは失格かもしれないが、仕立て師としてはどうも手が完全に自由にならないのが気に入らなかったのだ。
「ちゃんと蒼司郎のサイズにしてもらったから、ぴったりのはずだよ」
「いや、待て……寸法をはかってもらった記憶はないが」
「見ればわかるってお父さん言ってたよ」
「……本物の仕立て師は凄いな」
ため息をつきながらその革手袋の縫い目なんかをじっくり眺めていると、クロエがしびれを切らしたらしい。
「早くつけてみてってば!!」
「あ、あぁ……わ、わかった……」
ゆっくり手袋に、指先をすべりこませる。
なめらかな革の感触が気持ちいい。ごく薄手の柔らかな革が、吸い付くような感覚さえある。
両手とも着けてから、指を曲げ伸ばしを何度かしてみる。
……はめていても、どこも不自由な感覚がしない。いや、むしろ気持ちがいいぐらいだ。
「……これは……本物の仕立て師は、本当に凄いな」
「お父さんにも伝えとく、きっと喜ぶよ」
えへへー。とクロエもとても嬉しそうな、ゆるんだ笑顔。可愛い。とても可愛い。さっきキスしそこねたのが本当に無念だ。
二、三回のキスどころじゃない。これならもう、十回でも二十回でもキスしたい。そのぐらい可愛い。
「ソウジロウ、誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
すると、クロエはきょろきょろと廊下を見回す。前後左右。それになぜか上下まで気にしているようだった。
それから、蒼司郎の方に近づいてくる。
手をつなぎたいのだろうかと思ったのだが、彼女はゆっくりと顔を近づけて、そのふっくらした唇を寄せて――
「……もう一つ、プレゼントだよ」
ゆっくりと離れながら、彼女は言う。
あぁ、もう、なんて可愛いことをしてくれるのか。
これは――
「これはもう、最高の誕生日だよ」
「ふふっ、それはよかった」
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