お疲れ様会と、視線と
「……こほん。それじゃあ、ダンジョン実習授業の引率役、皆お疲れ様でした!」
クロエがそう声を掛けると、この場に集まった皆がティーカップを掲げて乾杯のしぐさをする。薄く繊細なカップなので、実際にぶつけ合ったりはしない。さすがの浮かれ気分の学生でも、そのあたりは自制できる。
「お疲れ様ー!」
「お疲れ様!!」
もうすっかりおなじみとなった、ティーサロン『虹の架け橋』の個室。
そこには十人の学生が集っている。席次一位のシィグとフィオリーニア。席次二位のアンジェリナとダーシャ。それにいつもの六人。
「フィオリーニアのほうは引率、どうだったんです。たしか二学年でも成績トップの子たちで組んだパーティーだったんですよね」
将来はダンジョン関係の進路を考えているというレベッカが、紅茶に口をつけるよりも早くフィオリーニアに問いかけた。
「そうですねぇ……こっちはとにかく真面目な子たちが多かったですね。それはそれで大変でした。彼女たち、トラップを裏読みしすぎて……なかなか進めなくて」
「う、うわぁ……」
「フィオリーニアのことだからきっと生真面目に、ギリギリまで口を出さずにいたんでしょ。ダーシャのところはトラップにもかからずにスムーズに進めたわよ」
「だねぇー。ダーシャのところは階層突破時間が最短記録だったもんねぇー」
「えへん、だわ」
皆でお茶を頂きながら賑やかに、ダンジョン内での行動のあれこれを反省したり、成果を自慢しあったり、パーティーメンバーの面白い行動や格好いい行動を思い返したり。
ソウジロウら仕立て科の方も、今回のダンジョン引率の
冬が近いので、温かいお茶がとても美味しい。
今日クロエが飲んでいるのは、アップルティー。
それもただ茶葉に林檎の香りをつけたものではなく、硝子の大きなティーポットの中に新鮮な林檎と茶葉が入っていて、そこにお湯を注いだフルーツティーだ。こういうものは果物の旬にしか飲めない。ある意味贅沢だと思う。
ちら、とクロエは隣のソウジロウを見る。正確には彼の前にあるテーブルのスペース。
そこには、いつもどおり砂糖を入れないダージリンの紅茶。あとは茶菓子として彼が注文した、シナモン香るアップルパイ。つやつやとした焼き目が実に食欲をそそる品なのだが、まだ彼は一口も食べていないようだ。もったいない。
「…………ん?」
とそこで、ソウジロウがクロエの視線に気がついたようで、こちらを振り返った。さらりと、東洋人特有のしっとりとしたまっすぐな黒髪が揺れて、ぱっちりとした瞳が見つめてくる。
「どうした、クロエ」
「あ、えっと……なんでもない」
まさか、彼の注文したアップルパイがもったいないなと考えていたなんて言えない。
だが、彼は何を思ったのか唇の端を上げて、可愛らしく微笑みながら――
「食べるか?」
大きめの一口分アップルパイが載っかったフォークを、クロエに差し出してきたのだった。
これって――
「た、食べるっ……!」
ぱくり。
クロエは親鳥から食事を与えられる雛鳥になった気持ちで、そのフォークの上のアップルパイを食べた。
礼儀作法も何もかも知ったことではない。そんなことをうるさく言うのは、きっと恋人から「あーん」をされたことのない人々なのだろう。
もぐもぐと咀嚼すると、アップルパイから溢れ出るのは林檎の味ではなく、幸福の甘酸っぱい味。
「「「おー……」」」
そこで、クロエは学友たちから羨望の眼差しを向けられていることに気づいた。
「あ……えっと……」
「クロエ、お気になさらずですよ?」
「そうそう! パートナー同士が仲良くするのはいいことだしな!」
席次一位ペアを始めとする学友たちに、こうも「微笑ましいものを見る視線」を向けられてしまっては、逆に恥ずかしいではないか!
「あぁー……あの二人、ほんとに付き合ってるのね……」
「アンジェリナ、あの二人が仲良くしてるの見るの大好きよね。ダーシャ知ってるわ」
「うん、まぁ、そうだけど……ってダーシャ!!」
「あら怖い。どうして真っ赤な顔で怒っているの? ダーシャわからないわ」
「わかってるでしょ、あんたって子はーー!!」
そうこうしているうちに、ダーシャとアンジェリナはなぜか仲良く喧嘩を始めてしまうし。
そうして、今日のお茶会もとても賑やかに終わったのだった。
かつ、かつ。夕暮れの街にたくさんの足音が響く。
特にクロエの家がある辺りは、賑やかな街中なので、人通りも車通りも多い。
「いつも思うけど、送ってくれなくても大丈夫だよ?」
「俺がクロエを家に送りたいんだよ」
二人とも、繋いだ手には手袋はしていない。ソウジロウは元々手袋があまり好きではないらしい。指先が完全に自由にならないのが嫌なのだと聞いたことがある。
クロエの家である、仕立て屋『運命の女神』の店先までやってきて、ソウジロウはゆっくりと手を離した。
「それじゃあ、また……学園でな」
「うん!」
彼の背中に手を振って、その姿が人混みに紛れて完全に見えなくなるまで、クロエは見送った。
――そして。
「さて、もうそろそろ出てきてもいいんじゃないかな」
そう声をかけると、曲がり角に隠れていた影は震えた。
「自分から出てきたほうがいいと思うんだけど」
続けて声をかける。影はしばらく迷った様子だったが、おずおずとクロエの前に姿を見せた。
「……あの」
アルストロメリア学園の男子制服に華奢な体を包んだ異国の少女が、今にも泣きだしそうな大きな瞳を震わせながら、クロエの数歩先に立っている。
ソウジロウの部活の後輩で、確かツイルと呼ばれていた子だ。
「あの」
「もう、そんな顔するなら、最初から尾行したりしないの」
「あっ……その……ご、ごめん、なさい……」
ツイルは小さな体をますます縮めて、今にも消えてしまいたいといった表情をしていた。
「ずっと前、ソウジロウの下宿前で感じた視線もあなただよね」
「ごめんなさ…………そう、です。ソウジロウ先輩のお誕生日、一番にプレゼント渡したくて、でも、下宿に入れないでいるうちに…………ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とす彼女。
その彼女につかつかと近寄って、クロエは右手を掴んでひっぱった。
「きゃっ……」
「今日もずっと外で私達が出てくるの待ってたんでしょ。まったく、手が氷みたいに冷えてるじゃないの。……あなた、お茶には砂糖を入れても大丈夫なタイプ?」
「え、えっと……大丈夫です…………甘いほうが好きです」
その返事にクロエはにっ、と笑ってみせた。
「それじゃ、うちで温かいお茶でも飲んでお行きなさいな」
彼女に差し出したのは、湯気の立つマグカップ。特別体があたたまるように、生姜にはちみつたっぷりと、レモン果汁も入れた紅茶だ。
「あ……ありがとうございます……」
このあったかさには、ずっと外にいたのであろう彼女は抵抗できなかったようだ。ソウジロウから以前聞いたところによると、彼女の故郷は温かい気候の国らしいので、なおさらだろう。
ツイルは両手でマグカップを包み持ち、少しずつ紅茶を味わっている。
クロエも彼女の席の隣に腰掛けた。
ノイライ家の小さな台所。
母クレールは、友達を連れてきたと言うと気を使って席を外してくれた。ありがたいことだ。
こくこくとカップの半分ぐらいまで紅茶を飲むと、彼女はこちらを見ずに呟いた。
「あなたが、ソウジロウ先輩とお付き合いしてる人ですよね」
「……そうだけど」
「ですよね……あなたといると、ソウジロウ先輩、すごく綺麗なんだもの」
そう言って、彼女はふてくされたように、ぷいっと向こうを向いてしまう。
はっきりいって生意気極まりない仕草なのだが、なんだか妙に可愛くて……クロエは彼女の肩を抱き寄せてなでなでした。
「いいこ、いいこ」
「なっ…………は、離してください」
「やだ」
離せるもんか、こんな可愛い子。
「……離してくださいよ……泣きたくなるじゃないですか……」
ツイルは泣きながらそう呟くけれど、クロエにされるがまま撫でさせてくれた。
「これじゃ、あなたを恨むこともできないじゃないですか……どうしてくれるんですか……」
なでなで、なでなで。
クロエはツイルが失恋の涙を全部流し終えるまで、彼女をなでなでしていたのだった。
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