「わからない」




 クロエの家で誕生祝いのごちそうを食べて、少しくつろいだ後、あまり夜遅くならないうちに、と蒼司郎は帰ることにした。



「下宿まで送っていかなくて、本当に大丈夫?」

「その後、クロエが一人で家に帰ることになるだろうが」

「む」

 アトランティス諸島――国際魔女連盟領はどこも治安が良いのだが、さすがに若い女の子を夜遅くに歩かせたくはなかった。

「ソウジロウだって、私とあまり変わらないと思うんだけど」

 むぅ、とふくれながらクロエは不公平だ。なんてぼやく。

 ……蒼司郎はいつもの仕込み杖を持っているから、大抵の危険は対処できる自信がある。が、まさか自分は武器を持っているから安心しろ、などと告白はできない。


「じゃあ、また学園でな」

「そうだね。またね、ソウジロウ」



 手を振っていつまでも見送ってくれるクロエに軽く手を振り返して、緋野蒼司郎は夜の道をやや急ぎ足で歩きはじめる。


 早く。早く。先程アルバンに見せてもらった作業風景と、そこで湧いたイメージを忘れないうちに自分の下宿にたどり着かねばならなかった。

 山手の下宿までの道のりが、今日ばかりはとても遠く感じられる。

 一歩、また一歩。

 機械的に足を動かし続け、どうにか下宿の前までたどり着いた。


 そっと玄関扉を開けて、なるべく静かに中に入る。

 リビングでくつろいでいたマダム・テレーズに外出から戻った旨を報告して、花束のお礼を伝えた。


 それから、なるべく忍び足で階段を登って二階へ、自室へ――リオルドにだけは絶対捕まりたくなかった。あれこれ話を聞きたがるだろうから。今はそれよりも、とにかく自分の作業がしたくて仕方がなかったのだ。


「ふぅ……」

 ようやく自室に戻ってこられて、蒼司郎は思わず安堵のため息をつく。


 これでようやく作業ができる!

 スーツ姿のまま、着替えもせずに蒼司郎は笑顔で大きな机に向かった。


 愛用の白ノートを広げ、思いついたデザインを次々描いていく。

 ゆるやかに広がる袖はどうか。きゅっとしぼって広がるマーメイドラインのスカートは。ウエストはどの位置にもってくるのがいいだろう。デコルテをどのぐらい見せるか。それなら帽子は小さく纏まったもののほうが。足元はどうする。合わせる小物は、アクセサリーは。


 何枚も何枚も、緑色の三つ編みの少女と、彼女に似合いそうなドレスを描いていく。


 クロエはまず、背が高い。それからいかにも西洋人らしいメリハリのある体つき。お腹はぺたんとして、おへそは小さくくぼんでいる。手足が長く、指もすっと長くてしなやか。

 それから、緑色の髪。ちょっとくせっ毛なので、いつも三つ編みにして抑えているという。本当に珍しい、そして綺麗な色の髪。

 顔立ちは、目鼻立ちがはっきりした意志の強そうな容貌。猫の瞳を思わせる形をした緑色の大きな瞳。すっと高く整った鼻。くっきりとした、ちょっと強気な性格が現れた眉。

 白い肌はなめらかで、つるんとすべすべしているというよりは……ふにふにといつまでも触っていたくなるふわふわ感。


 そしてふっくらとした唇。

 いつも、ほのかに色付きの蜜蝋クリームを塗っているらしく、いつも少しだけつやがあるのだ。



 そこまで考えて、デザイン画を描く手が止まる。


 クロエの髪、瞳、鼻、おでこ、ほっぺた、それに唇。

 首、肩、鎖骨、胸、お腹、腕、指先、ふともも、ふくらはぎ、それに足先。


 どこもかしこも魅力的で眩しくて、そして――ドレスがよく似合うクロエ。



 ……そんなクロエは、可愛い。



 思考がそこに至って、蒼司郎は鉛筆を落とす。


 空になった手で、思わず頬を抑えた。

 顔が、とても熱い。



 まだまだクロエに似合うデザインが湧いてくるのに、なのに、まるで作業が手に付かない。こんなことって。

 あぁ、のぼせたように、体が熱い。


「わからない」


 ぽつりと、蒼司郎は呟いた。


 なんだろう、この気持ちは。

 とても熱くて、ふわふわして、胸が締め付けられるようで、でも幸せで、涙が出てきそうなこの気持ちは、一体何なのだろうか。




「わからない」


 かぶりを振りながら、もう一度だけ蒼司郎は呟いた。




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