新緑の頃に
クロエは、窓の外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
季節は新緑の芽吹きを迎える頃となっていた。
校舎から見えるのは、みずみずしいまでの緑を身に着けた木々。
新緑の季節は、クロエの生まれた季節でもある。
もうすぐ、クロエは誕生日を迎える。そしたらまたひとつ大人に近づく。
「なぁクロエ、今度のドレスは……」
教室に居残りをしているソウジロウが、机から顔を上げて意見を求める。窓から入ってきた風で、彼の黒髪がさらりと揺れた。
「そうだね……」
少し首を傾げながらいろいろ考えてはみたものの、今は特にこれといった希望はない。
「特にないのだったら、俺の方でいくつかデザイン画を描いておくぞ」
「わかった、手間かけさせちゃうけどよろしくね相棒」
「任せろ、相棒」
クロエがぐっと拳を突き出すような仕草をすると、ソウジロウも拳を握って小さくぶつけるような仕草をしてくれた。
「ねぇソウジロウ、今度の休みは空いている?」
さらさらと前髪を風に遊ばせながら、クロエは窓を背にして彼に尋ねる。
「今度のか。特に予定は入っていないが」
「だったら、うちに来てほしいな! その日は私の誕生日なの」
待ちに待った誕生日の夕方。ちりんちりんと控えめに勝手口から呼び鐘の音がした。
「はいはい、はーーい!」
クロエは扉の向こうに元気よく返事をしながら、勝手口の簡易な内鍵をもどかしく開け、扉を開く。
「いらっしゃい!」
「……お、お邪魔します」
そこには、スーツ姿のソウジロウが立っていた。よかった、うっかり別の人だったら、この浮かれている姿を見られて恥ずかしい思いをするところだった。
「さ、入って入って」
「あぁ」
彼は建物に一歩入ってから、片手で自分の靴に手をかけるような仕草をして首を振る。……前にも見たが、あれは一体何の意味があるのだろうか。
「母さん、ソウジロウが来てくれたよ」
台所で今日のごちそう作りに張り切っている母クレールに、弾んだ声で報告する。
「あらまぁ、ソウジロウ君! 今日も素敵ね。娘の誕生祝いに来てくれてありがとう。この子ってば朝から浮かれていたの。うちのはあくまで家庭のご飯だから、そんなに立派な料理じゃないけれど、いっぱい食べていってほしいわ」
「ありがとうございます。あの、こちらは下宿のマダムにもたせてもらったものなのですが」
そう言って、ソウジロウがクレールに差し出したのは色とりどりのアネモネの花束だ。
「まぁ、綺麗ね。ありがとう。マダムにもお礼を伝えてくれると嬉しいわ。それじゃ、これは花瓶に生けて食卓に飾りましょうか。ソウジロウ君は座って座って!」
母は花瓶と花用のハサミを探しているので、クロエがお茶を淹れることにした。
ソウジロウは紅茶にミルクや砂糖を入れない派なので、なるべくストレートで美味しい茶葉を探してみる。見つけたのはニルギリの紅茶缶。すっきりとして飲みやすく癖もない種類だ。これがいいだろう。
「はい、どうぞ。レモンスライスもあるけど」
「このままでいい。ありがとう」
いつもよりもなるべく丁寧にお茶をカップに注ぐ。母がお客様用の茶器を使っていいと言ったので、青い花模様のティーセットの出番だった。
クロエはせっかくなので自分の分も淹れたのだが、席につこうとすると母からお手伝いをするように言われてしまった。
「こっちの小さい花瓶、アルバンの作業部屋に置いてきて」
「もう、せっかくの紅茶が冷めちゃうよ」
口では文句を言いつつも、クロエは素直に花瓶を受け取って父の作業部屋にひとっ走りして帰ってくる。
「ねぇ、ソウジロウ。父さんが作業部屋を見学に来るか? って言ってるんだけど、どうしようか」
父アルバンからの言葉を伝えると、ソウジロウはほんの少しの間だけ時が止まったかのように固まり、それから花がひらくようにぱあぁっと笑み崩れる。
「まさかそんな、い、いいのか……?」
「いいみたい」
紅茶が冷めてしまうことはもったいないが、彼がもういますぐ作業部屋に飛び込みたくて仕方ない顔をしていたので、すぐに連れて行くことにした。
「アトランティス本島で、仕立ての店を営んでいる仕立て師の作業……!」
本当に、
父の作業を一緒に見学しているうちに、母はささやかな誕生日パーティーの準備を終えていた。
「ごちそうが冷めないうちに、手を洗っておいでなさい。アルバン、あなたもよ」
「「「はーい」」」
そうして、皆で手を綺麗に洗ってから、食卓についた。
いつもの食卓だけど、いつもより華やかに花やごちそうで彩られているのが嬉しい。
「それじゃあクロエ。これは私達からよ。誕生日おめでとう」
母が、青い薔薇模様が描かれた包装紙でラッピングされた箱を差し出す。
中身は以前から欲しいとおねだりしていた靴。
この通りにある昔ながらの靴屋で売られていたもので、ごく優しいピンクベージュのエナメル靴だ。足首のところに生成り色のリボンがついたその可愛い靴を、クロエは一目で気に入ってしまった。普段あまりピンクを身に着けないクロエだが、これなら履いてみたいと思ったのだ。
「クロエ、誕生日おめでとう。受け取ってくれ」
ソウジロウも、遠慮がちにプレゼントの小箱を差し出してくれたので、クロエはそっと優しくうけとった。
「ありがとう、今開けてもいいかな」
「あ、あぁ」
彼の許可を得てから、丁寧に包装を解いていく。手のひらに乗るぐらいの小箱を開けてみると、中にはリボンが入っていた。
まるでコスモスの花のような、少し紫がかった抑えめのピンクで、先端には白と緑で刺繍がある。
クロエはさっそく、今着けているリボンを外してコスモス色のリボンを髪に結んでみる。
「……似合う、かな」
素敵なリボンだった。クロエの緑色の髪に着けると、まるで新緑の中に花が咲いたかのようにも見えたのだ。
「……似合ってる」
「ふふ、ありがとうね。ソウジロウ」
この素敵なリボンは大切に大事にしようと、心に誓う。
「さぁ、それじゃあ料理をいただこうか」
「はぁい!」
父アルバンの言葉にクロエが元気よく返事をして、お祝いのごちそうの時間が始まったのだった。
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