花は涙で色あせて




「なぁソウジロウ、ハナミにはいつ行くんだ?」

 仕立て科席次一位シィグ・アルカンナがずいっと身を乗り出して、ソウジロウに問いかけてくる。いつもきらきらしている彼の目が、期待感からかより輝いていた。



「ハナミ……花見か。今年も行くのか?」

「当然っ」

 蒼司郎はふいっと窓の外を見るフリをしながら、ほんの少しだけ思いを馳せる。

 あの場所は、ユミス学園長の思い出の場所だ。彼女が雪白宮ゆきしろみや月子つきこと楽しく過ごした日々を思い返すための、聖域。

そこに文字通り土足で踏み込んでいいのだろうか。……よくはないだろう。


「なぁなぁ、ソウジロウー」

 シィグが、まるでおあずけをくらった犬のような声をあげている。……こいつに花見に行くなと言うことも、蒼司郎には出来ない。

「次の休みでいいんじゃないか? 天気もいいらしいし」

「やったぜ! んじゃ、人集めてくる!」


 ようやくおあずけを解除された大型犬シィグは、さっそく教室内の連中に声をかけて回っている。

 ……相変わらず、シィグの周りには人が集まる。そういう奴なのだ。





 次の休日。

 蒼司郎たちは集団でアトランティス本島にある山を登っていた。山……というより、蒼司郎に言わせれば丘の斜面といったほうが近い。

 それでも山登りに慣れていない者や体力のない者は早くも音を上げている。去年の教訓を活かしたのか、今年は皆も荷物が少なくはなったり動きやすい服装だったりしているが、それでも普段歩くのとはまったく異なる山登りに、ほとんどの仕立て科学生は息を切らせていた。


 花見に行く、と言っても見るのはも桜ではなく野生のさくらんぼの花。シィグ曰く、いつもこの時期になると斜面がピンクに染まるほどたくさん咲くのだとか。



「はぁ……はぁ……」

 蒼司郎の斜め後ろでは、ツイルが懸命に山を登っている。彼女よりもはるかに体の大きなリオルドですらバテているのに、しっかりついてきているあたりは、大したものだ。

 ……というか、リオルドは見習え。


 今年、シィグは同学年の学生だけではなく、下級生にも声をかけたらしい。相変わらず顔の広い奴である。

 ツイルは二学年が『ハナミ』なるものをやると聞いて、蒼司郎に参加を申し出て来たのだった。彼女は、今日は赤い髪のパートナーとも一緒だ。

 なので蒼司郎たちのグループは、いつもの六人に加え、下級生二人の計八人ということになる。



 樹木の多い山を登っていくと、やがてひらけたところに出る。

 そこには、今を盛りとばかりに咲く、桜……ではなくさくらんぼの木々。


「ついたー!」

「今年も綺麗だね……」

 まだまだ元気な様子のクロエとフェリシィがきゃっきゃとはしゃぎあう。

 魔女科が軍隊並に鍛えられているのは知っているが、相変わらずの体力おばけっぷりだ。

「それじゃ、お弁当を出しましょうか。……リオルド、あなたは今は足手まといなので休んでいてください。まったくこれだから山もないところに住むイギリス人は」

 レベッカがつんとした態度を取りながらもリオルドを休ませ、持参の敷物を取り出している。


 蒼司郎も持ってきていたバスケットを開ける。ふんわりと、甘い匂いが鼻をくすぐった。

 今年は菓子の用意を任されたので、下宿のマダム・テレーズにいろいろ作ってもらったのだ。いつもありがたい、本当に頭が下がる思いである。


 まず目につくのは、格子状のパイ生地の向こうに赤く輝くいちごジャムがのぞくパイ。時間がたっているのにも関わらず、パイ生地はさくさくほろほろ感を保っていて、早く食べてくれといわんばかり。

 それから、薄く砂糖衣のかかったバターケーキ。マダム曰く、レモン風味のケーキだそうで、ウィークエンドという名前らしい。なんでも、休日にこれを持ってバカンスに出かけるから、ということでそう呼ばれているのだとか。

 他には、お茶に欠かせないスコーンが、リネン布に包まれて入っていた。プレーンなものと、茶葉入りのと、それからチョコレート入りのものと、三種類もある。さすがというか、仕事が細やかだ。もちろん、スコーンのお供であるジャムとクリームも小瓶に入って整列している。


 敷物の上に料理と菓子、飲み物を並べて、準備は整った。

「それじゃクロエ、頼んだ」

「うん。……こほん」

 クロエはわざとらしく咳払いをして見せて、それからマグカップを掲げた。

「それではまずは乾杯から」

 その声に合わせて、同じグループの皆はマグカップを同じ高さに持っていく。


「「「乾杯!」」」

 相変わらず『その言葉』の発音は皆見事にバラバラ。それぞれの国の言葉。だが、意味するところは同じなのだから構わない。


 今回、水筒には飲み物だけではなくて、温かいスープも入れてきた。

 ほんのりと甘いコーンスープが、体を胃袋からおいしく温めてくれる。花見は、春とは言え野外でじっと座っている時間が多いので意外と体が冷えているのだ。


 シィグのグループから、葡萄果汁の瓶が差し入れされた。ここの皆はなぜそんなに葡萄果汁が好きなのだろう。というか、シィグが葡萄を好きなのかもしれない。将来はワインばかり呑むようにならないかと、今から少し心配になった。






「……」


 一通り料理をつまんでから、蒼司郎は意を決して立ち上がる。

「ちょっと、花を見ながら一句読んでくる」

 なんて適当なことを言ってごまかした。

 リオルドには「ソウジロウはハイクを詠むのか! それともワカか?!」と興味津々でついてきたがったのだが、一人にならないと集中できないからといって振り切った。



 周囲のグループはすでに食べ終わったのか、ボール遊びやバドミントンに興じているところもある。

 この賑やかな様子だと、かなり奥までいかないと彼女には――ユミスには会えないだろう。




 さくらんぼの木立を、どんどん進む。

 はらり、はらりとはなびらの雨が降っている。蒼司郎のまつげにひとひらのはなびらが載ってしまったので、取っていると――


 ふわり、風がそよいだ。

 ラベンダー香水の匂いをさせた風だ。



「……ユミス!」

「ごきげんよう、ソウジロウさん。私を探してくださったのね」


 今日のユミスは、花に溶け込むような、淡いピンクの装い。

 流行の、すとんとしたラインのワンピースドレスに、足元は白い編み上げブーツ。首にはペールグリーンのストールと小さな金のネックレス。それにリボンの付いた小さな白い帽子。


「あの人に教えてもらったのだけど、皇御国では春に入学式を行うのですってね。桜の花が咲く中での入学式は、とても思い出に残ることでしょうね」

 ユミスはとても嬉しそうに語り始める。


「私とあの人との入学式はそりゃあ大変なものでしたわ。席次とパートナーが発表されて、壇上で待っていたらやってきたのは東洋人のちっぽけな女の子で。しかも、私の顔を見るなり「あなたに私のドレスが着こなせるのかしら?」ですもの。しかも信じられないぐらいに拙い英語だったわ」

 くるり、ユミスは両腕を広げて、回る。まるで少女のようにはしゃいでいる。

「私、天才なんてもてはやされていて、自分でもそれを信じていたものだから、当然かっとなってしまって、彼女に……月子に掴みかかってそのままお互い取っ組み合いの喧嘩でしたわ。アルストロメリア学園の入学式の壇上でよ!」

 おかしいでしょう、笑ってくださいな、とでも言うように、ユミスはくすくすと笑ってみせた。


 だが、蒼司郎は笑わない。

 彼女が心の中で、悲痛な叫びをあげているから、笑えるわけがない。


「私……一度だってそんなこと言われたことがなかったのよ。誰もが私をお姫様のように丁重に扱うのが当たり前でしたもの」

 そこで、ユミスは頬に片手をあてて、大きくため息をついた。


「……本当に、不器用な人だったわ……だけど、そんな月子を私は愛したの」


 涙声。

 だけど、ぎりぎりのところで彼女は涙をこらえている。

 学園の長であり、国際魔女連盟の長であり、アトランティスの女王とも呼べる存在であるユミス・ラトラスタ・アトランティスに涙など許されない。


 蒼司郎は、口を開いた。

「皇御国の旧い歌に、このようなものがあります」


 すぅっと息を吸い込んで、その歌を皇御国語でよみあげる。

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」


「どういう意味の歌かしら?」

「諸説ありますが……長く物思いにふけっている間に、花の色も雨で色あせてしまった。という意味ですよ」

 ユミスが、きゅっと唇を噛んだ。

「俺はきっと、雨は涙の雨だと思うのです」

「花が……涙で色あせてしまうのですわね」

「えぇ」


 ユミスは月子のことを不器用な人だと言ったが……ユミスの方こそ不器用極まりない人間だ。たったひとつの恋を、十年以上抱え込んで捨てることも向き合うこともできずにいる。本当、なんでもできるのに不器用な人だ。


「……ソウジロウさんは、そろそろ皆様の元に戻ったほうがよろしくてよ」

「そうですね、では、また」

「えぇ……『また』」


 蒼司郎はユミスに軽く礼をして、そのまま来た道をもどる。


 とぎれとぎれに嗚咽が聞こえてくるが、決して振り返らない。



 ユミスが、花に涙雨を降らせているのは、彼女自身しか知らなくていいことなのだから。



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