二日目・おじうえとデート




 メイクを落とすと、肌がさっぱりする。

 この気持ちを言い表すなら、どういう言葉が適当だろうと考えながら、蒼司郎は制服を着込む。

 一日中革靴を履きっぱなしのあとに、靴と靴下を脱ぎ捨ててベッドに足を投げ出した時の爽快感にも似た感じと言えばいいだろうか。すっきりさっぱりして安心するのである。


 アウレリア曰く、メイクというのは肌にとってはいわゆる『汚れ』なので、なるべくすぐに落とすほうがいいのだという。

 あれは『汚れ』だったのか。世の女性は美しくなるためにそんなことまでしているのか……と改めて美の追求というのは大変な道であることを実感する。



 未だに苦手なネクタイをなんとか結び、ジャケットを羽織る。

 鏡を見ながら襟を直し、ゴミなどがついていないかを点検。……問題ない。




「お待たせしました、叔父上」

 かちゃりとドアを開けて、そこで待っていた伊達男に声をかける。

「おう、思ったより早かったな」

 叔父が一見なんでもないかのように壁に寄りかかっているのが、実に絵になっていた。それがちょっと小憎たらしいが、表情には出さないようにする。


「では、どこから見ましょうか。叔父上は流鏑馬やぶさめをしておいででしたし、馬術部や弓術部にでも行きますか?」

「そうだな、じゃあ弓術部のほうから行くか。たしか友達がいるんだろ。手紙にかいてあったし」

「まぁ……一応。下宿が同じやつならいますけど。じゃあ弓術部の展示は……校舎の外ですね、行きましょう」



 校舎の昇降口で、叔父は少しだけ足を止めて、それから軽く苦笑いをした。

「慣れねぇもんだな。外国に十年以上住んでいるってのに、未だに靴を脱いだり履き直したりしなくていいのかー、なんてやっちまうんだ」

「あぁ……たしかに。俺もこちらに来たばかりの頃には、靴を脱ぎそうになったことが何度も」

「だなぁ。生まれ故郷の習慣ってのは、抜けないもんだな」

 そう言って、ごまかすように頭をかく仕草さえも、様になっている。叔父はやはりずるい。思うのだった。





 今年の弓術部のスペースは、校舎外だけあってかなり広い。

 距離の違う大きな的が五種類ほど用意されていて、一番遠い的には中央に赤い風船が取り付けられている。あれを割れば豪華賞品なのだそうだ。


「ソウジロウじゃないか、来てくれたのか?」

「ようリオルド、お疲れ」

 いつもの制服のジャケットを脱いで、シャツの上に洋弓アーチェリー用の胸当てを着けたリオルドがやってくる。

 彼のパートナーのレベッカは、今はお客に弓の構え方を教えているので手が離せないようだった。

「ところでそちらの御仁は、ソウジロウの親戚の?」

「あぁ。叔父上、彼はリオルド・アシュクロフト。俺と同じところに下宿している学生です。リオルド、こちらは俺の叔父に当たる方だ。父の弟だな」

 紹介が済むと、叔父とリオルドはお互い軽く挨拶を交わした。


「ところで、ソウジロウのご身内ということは……やはりサムライでいらっしゃるのですか?!」

 リオルドはきらきらと瞳を輝かせながら問いかける。

「ははっ、皇御国すめらみくににはもう正式にサムライはいないけど、サムライの子孫ではあるよ。剣も習ったし、弓も馬もたしなみ程度なら」

「リオルド、叔父上は若い頃に流鏑馬やぶさめをしていたんだ」


「なんと、ヤブサメマスターでいらしたか!」


 ……誰も『ヤブサメマスター』とは言っていない。蒼司郎が英語を間違ったわけではない。はずだ。


 その後、リオルドに懇願されて叔父は洋弓アーチェリーを構えたり、的を射抜いたりして遊んでいた。

 一度か二度しか触れたことのなかったという洋弓を、何度か練習しただけで一番遠い的に付けられた赤風船を射抜いてみせたのだ。

「……しっかし、やっぱこっちの弓は重いな―。構え方もぜんぜん違うし」

「さすが、サムライはどんな武器でも使いこなすのですね!」

「いや、違うから」




 赤い風船を射抜いて得た豪華商品は、カラフルなマカロンの入った可愛らしいカゴだった。

「俺には似合わないから、蒼司郎が持ってろ」

「そう言われたって、俺にも似合いませんよ」

「そんなことないだろ」

 それ以上言い返せないのが悔しい。おとなしく蒼司郎は、マカロンのカゴを持つ。





 校舎に戻り、今度は静かな仕立て科の展示スペースを見て回る。

 人気はない。

 ないほうが、都合がいい。


 叔父上とは皇御国語で話をするので、誰かにうっかり聞かれてもまず内容はもれないのだが、念の為だ。


「叔父上、折り入ってお願いがございます」

「なんだなんだ、面倒事か?」

「かもしれませんね」

 ぎゅっ、と蒼司郎はマカロンのカゴを抱きしめるようにして持った。


「可愛い甥っ子のお願いだ。とりあえず言うだけ言ってみろ」

「はい」


 誰もいない展示スペースで、蒼司郎は背の高い叔父を見上げた。


雪白宮ゆきしろみや月子つきこ、という女性について調べてください。最優先は現在の居場所です。それから、彼女がアルストロメリア学園を卒業してからの足取りも」

「……雪白宮家か。皇族の魔呪盛装まじゅせいそうを作る家、だな」

「えぇ」


 叔父は、うつむいて黙っていた。

 蒼司郎は、その彼の顔を見上げていた。


「わかった。雪白宮の本家当主なら、昔からの悪友だ。月子、というのはおそらくはやつの妹だろう。聞くぐらいはしてやる」

「……ありがとうございます」


 少し離れてから、蒼司郎はぺこりと皇御国式のお辞儀をする。


「しっかし蒼司郎、お前そんな事調べてどうする気だよ」

 どうする、と真っ向から聞かれ、しばらく言葉に詰まる。

 自分は一体どうしたいのだろう。


 ……頭をよぎったのは、ユミスのはかない微笑み。

 彼女に、心から笑ってほしい。

 おこがましくも、そう思ってしまったのだ。


 そして、それができるのは雪白宮月子しかいない。


「……ある人を、救うためです」

「そうか」


 叔父は馬鹿にするわけではなかった。

「あのちっちゃいのが、立派になったもんだ」


 ただ、蒼司郎を抱き寄せて、頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でてくれたのだった。



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